第五話 病室の魔剣姫
王宮の高い塀を越えることは、終にとって特段困難な仕事ではなかった。暗い夜を駆け、音も影も残さずに城壁をすり抜ける。見張りの兵士たちの動線を見極め、死角から死角へ移動し、誰にも気づかれずに王宮内へと入り込む。
殺し屋としての技術が鈍っている様子はない。むしろ、不死となったことで、失敗の代償を恐れる必要がない分、動きにはどこか余裕さえ感じられた。
(こういうの、やっぱり慣れてるな……)
月明かりすら頼れぬ夜。終は足音すら落とし、王宮の裏門から忍び入り、薬師として偽装した身なりのまま内部を歩いた。
王宮に仕える薬師の服装はすでに用意してある。レアリアが保管していた古い衣装を手直ししたもので、それに薬草と調合器具を持たせれば、それなりの“顔”になる。
(ふつう、王女様の病室に部外者が入れるわけないけど……まあ、入り方はいくらでもあるさ)
王宮内部は華やかさと静寂が入り混じっている。高貴な者だけが歩くその空間に、影のように滑り込んだ終は、何事もなかったように立ち止まり、扉をノックする。
中から返事はない。
だが、気配はある。重い魔力の揺らぎと、それに押しつぶされそうな小さな呼吸音。終はゆっくりと扉を開け、声をかけた。
「病人はこちらですかー?」
軽い口調で放たれたその声に、微かな咳が返る。
「……誰よ、今さら」
声の主は、王女エルリナ。薄桃色の髪を枕に広げ、病の床に伏しながらも、その目は強く、鋭い光を宿していた。
(ああ……目を見ればわかる。この人、ただの病人じゃない)
終は一歩、二歩と近づく。警戒されてもおかしくない距離に、自信をもって踏み込んだ。
「王女殿下ですね。新しく雇われた薬師です。調合した薬を試してもらいたくて」
「ふん……薬師? ずいぶん軽い口のくせに、偉そうなこと言うのね」
エルリナは顔をそむけながらも、終を睨むように視線だけを向けてきた。
「別に信じろとは言ってませんよ。効くかどうか、試してからでいい」
「……じゃあ、試してみなさいよ。もし変な薬だったら……覚悟しなさい」
終は、何も言わずに小さな瓶を取り出す。中には淡い銀青色の液体――魔力の暴走を一時的に抑える薬が入っている。
病の正体は「魔力過多に起因する制御障害」。彼女の体は才能ゆえに、過剰な魔力に蝕まれていた。
殺し屋時代に毒と薬を学び、レアリアの研究室で調合して仕上げた一品。効果は保証できる。
「少し眠くなるかもしれませんが、それ以外の副作用はありません」
終がそう言って瓶を差し出すと、エルリナはひったくるようにして受け取り、ためらいなく口に含んだ。
「……っ」
口をゆすぐように飲み下し、舌を鳴らす。
「味は最悪ね。最初に言いなさいよ」
「いや、それは薬師としては成功ってことなんですけど」
冗談まじりに返すと、エルリナの目がきらりと細まる。
「……それなりに、口が回るのね。気に入らないけど」
しばらく沈黙が流れた。だが、数分も経つと、彼女の呼吸が落ち着き、肩の緊張が解けていくのが見て取れた。
「……本当に……少し楽になったかも」
「なら、よかった」
終は微笑みながら言う。だが、その表情の奥に、警戒もまた宿していた。彼女は王女だ。そして、病気になる前は王国屈指の魔法剣士として名高い――油断は禁物だ。
「……ねえ。あなた、名前は?」
「シュウ。薬師シュウです」
名乗りに偽りはない。それが“本名”かどうかはさておき。
エルリナは小さく頷きながら、視線を天井に向ける。
「私の病気、みんなごまかしてばかりだった。魔力のことは、誰もまともに触れようとしない。……けど、あなたは違った」
その言葉に、終は静かに目を伏せる。
「僕も、似たようなものですから」
自分のことを語りすぎるわけではない。ただ、共鳴するように、少しだけ真実をにじませる。
「……じゃあ、信用してもいいの?」
「それは、薬の効き目次第ですよ」
「ふん……生意気」
エルリナはそう言いながらも、どこか安心したように目を閉じた。小さく寝息が聞こえはじめる。
終は薬草の香りが残る瓶を手に取り、そっと窓際に置いた。
──王女の信頼を得る。それが今夜の目的だった。
(さて、次は……王宮にいる“内側”の人間を探ってみるか)
夜の王宮を後にしながら、終は次の手を、静かに、そして楽しげに考えはじめた。
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