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第五十三話 夕暮れのバイゼル村


 オレンジと藍が交わる空の下、エルリナ達はバイゼル村へと足を踏み入れた。


 森に囲まれた小さな村。

 夕暮れ時の涼しい風が、木々の間を通り抜け、どこからか煮炊きの匂いや薪を割る音が流れてくる。

 畑の隅では、今日収穫した野菜を籠に詰める女性たちの姿。森の入口では、狩りから帰った男たちが鹿や兎を解体していた。


(……王都と比べれば、ずいぶん素朴ね)


 けれど、この土地に流れる穏やかな空気は、どこか心地良かった。


「泊まらせてもらえないか、って?」


 村の中央にある集会所で、終が村の年寄りたちに頭を下げている。

 薬師だと告げると、老人達は顔を見合わせ、やがて頷いた。


「おぉ、ちょうど良かった。薬の調合を頼めるかい?」


「もちろん。そのために来たようなものだからね」


 終は手際よく荷物を下ろし、腰の小袋から器具を取り出した。

 夕焼けの中で、薬草を刻む小気味良い音が響く。

 その隣でユナも無言で瓶や鉢を並べ、煎じた薬を小瓶に注いでいく。


「助かります。最近は山越えをする行商人も減って、薬が底をついていたところでして……」


「こちらも貴重な薬草を分けてもらえてありがたいよ」


 終が柔らかく微笑むと、老人はくしゃりと顔を皺だらけにして笑った。


(……仕事はできるのよね)


 エルリナは少し離れたところで、薬を調合する終の横顔を眺めた。

 黒髪を揺らしながら無駄なく動くその姿に、思わず感嘆してしまう。


「お姉ちゃん!」


 不意に声をかけられ振り返ると、何人かの男の子達が駆け寄ってきた。

 剣に視線を向けると、ぱあっと顔を輝かせる。


「それって剣だよね!?」


「ちょっとでいいから、構えとか教えて!」


 エルリナはわずかに笑い、村人から木剣を借りると、簡単な構えと振りを教えてやった。

 しかし、遊びのつもりの子供達にとって、彼女の指導は厳しすぎたようで、数分もしないうちに皆が地面に倒れ込み、荒い息を吐いていた。


「……これでも手加減したつもりだけど?」


 腰に手を当て、呆れたように言うと、今度は後ろから別の声がした。


「王女様ですよね……?」


 振り向けば、女の子達がきゃあきゃあと騒ぎながら近寄ってくる。


「本物の王女様だ……!」


「ねぇねぇ、お城ってどんなところなの?」


「ドレスって何着持ってるの?」


 矢継ぎ早の問いに、エルリナは返事に困った。

 彼女の王宮での記憶は、稽古か病床に伏していた日々だけ。

 華やかな日常など、知るはずもなかった。


「……そうね。お菓子とかいっぱいあって……お茶会とか、するわよ」


 適当な答えを口にすると、女の子達は瞳を輝かせた。


「いいなぁ……!」


「すごーい!」


 きゃあきゃあと騒ぐ声が、次第に別の話題へと変わっていく。


「ねぇ、あの黒髪のお兄さんって……どっちが付き合ってるの?」


「王女様? それともあの銀髪のお姉さん?」


 一瞬、エルリナの頭が真っ白になった。


(付き合ってるって……そんなの破廉恥だわ……!)


 けれど子供達の瞳は真剣で、期待に満ちている。

 彼女は仕方なく、嘘をつくことにした。


「……実はね、あのお兄さん、お姉さんなのよ」


「えぇ!? 女の人なの!?」


「そうよ。顔立ち、女っぽいでしょ? でも女三人で旅をしてると思われると大変だから、男の格好をしてるの」


「なるほどー!」


 子供達は満足げに頷き合っている。


(……うーん、我ながらなんとも情けない返事。……はぁ、剣の稽古より疲れたわ)


 心底げんなりしながら、エルリナは子供達に囲まれ続けた。

 


◇ ◇ ◇


 夜。


 集会所での薬調合を終えた後、終達は一軒の家に泊めてもらうことになった。


「今日はありがとうございました」


 出迎えたのは、温厚そうな中年の男性だった。

 その後ろから、幼い姉弟が顔を覗かせる。


「あっ……お姉ちゃん!」


 昼間稽古をつけた男の子が、笑顔で駆け寄ってくる。


「元気ね。さっきは伸びてたじゃない」


「内緒だよっ! お父さんに怒られるから!」


 少年が慌てると、少女がくすくす笑った。


 父親は子供達を見守りながら、少し寂しそうに笑う。


「……少し前に妻を亡くしてから、あの子達がこんなふうに笑うのは久しぶりなんです」


 その目元には、深い哀しみと、それでも子供達を守りたいという強い決意が宿っていた。


 その夜。

 終達はその一家とともに素朴だが温かな夕食を囲み、久しぶりに屋根の下で夜を過ごしたのだった。




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