第二十五話 飽きない街
翌日。
朝の空気は少し冷たく、終の体に筋肉痛を残していた。
(あー……昨日の稽古、やっぱり効いたなー……)
エルリナとの模擬戦は、思っていた以上にハードだった。
だが嫌な痛みではない。むしろ、まだ生きていると感じさせる心地よい疲労感だ。
終はいつもの黒装束ではなく、軽装の薬師姿で王都西区へと向かった。
王都西区――商業区画。
大通りには露店や常設店舗が立ち並び、往来には商人や客がひしめき合っている。
香辛料の刺激的な香り、甘ったるい菓子の匂い、そして獣肉を焼く香ばしい匂いが混ざり合い、人々の食欲を刺激していた。
(こんなにちゃんと市場を見たことなかったな……)
終はふと立ち止まり、周囲を見渡した。
今いるのは、通称装備通り。
武具屋が並び、剣や槍だけでなく、小型の弩や銃火器も売られている。
簡易魔導銃や、黒色火薬式の古い拳銃が無造作に棚に置かれていた。
(バンさん、こういう拳銃似合いそうだよな……)
そんなことを考えながら店先を流して歩く。
(それにしても……この世界って、思ったより魔法を使える人少ないんだよな。 まあ、僕の不死っていうのも……試してないから忘れそうだけど)
歩きながら自分の体を伸ばす。
筋肉痛はあれど、昨日の稽古で確信した。
身体能力が明らかに上がっている。
(前より体が軽いし、動かしやすい。頭で思い描く動きより、さらに上の動きができる……)
暗殺者として生きた日々で培った体捌きが、異世界の肉体に馴染みつつあった。
これまでゴロツキ相手にレイスとして立ち回ったことはあったが、エルリナとの稽古は明確に自分の力を証明してくれた。
(さて……ユナはレアリアに面倒見てもらってて借りがあるし……面白いものでも見つけたらプレゼントしようかな)
そう思いながら、終は露店を眺める。
装備通りを抜けたのか、辺りは飲食の屋台が立ち並ぶ。
屋台からは見たこともない生き物の串焼き、紫色の粘つくスープ、不思議な形状のパン、香ばしい揚げ菓子……どれもこれも興味をそそられる。
気づけば両手は食べ物でいっぱいになっていた。
(うん。全部試してみるか)
そうして一口齧りながら歩いていると、石造りの建物と建物の隙間、暗がりに人影が見えた。
ボロ布を纏い、地面に座り込む物乞い。
顔は陰になって見えないが、目だけが光を受けてこちらを見ていた。
「め……めし……」
掠れた声。
大きな体格から男だとわかるが、その声には力がなかった。
終は手に持っていた串焼きを差し出す。
男は一瞬だけこちらを見上げ、次の瞬間には夢中で食らいついていた。
肉を頬張りながら、犬のような目で終を見上げる。
その目は「もっとくれ」と訴えていた。
(……なんだよ。懐かれたか……)
食べる様子を見ながら終は考える。
(仕方ないな……レアリアにでも預けに行くか)
そう決めた時、男の腹が再び大きく鳴った。
終はため息を吐き、そして静かに笑った。
◇ ◇ ◇
レアリアの塔。
その広い研究室の隅で、終が市場で買ってきた屋台飯を、目の前の男がバクバクと勢いよく頬張っていた。
男の髪は真っ赤で逆立ち、頭には黒のヘアバンドを巻いている。つい先程までボロ布を纏っていたとは誰も思わないだろうその派手な見た目。何よりも目立つのはその体格だった。大柄どころか、もし塔の天井がもう少し低かったなら、頭をぶつけていたかもしれない。
肉の串焼き、謎の白い団子、紫色のドロッとしたスープ、カラフルな粒々がついた揚げ菓子。見ているだけで胃がもたれそうな量を、彼はまるで飢えた獣のように平らげる。
食べ終わった瞬間、その巨体を椅子から跳ね上げ、天井に届きそうな勢いで両手を突き上げた。
「タケっち! ふっかぁぁつ!!!」
「いやあ! すまんなあ!! めっちゃ助かったでー!! 命の恩人! 感謝!感謝! このタケっち感謝の気持ちがお空に突き抜けるぅ!!!」
その声量に、隣で串焼きを齧っていたレアリアが「元気だなぁ」と笑い、終は(……話がしにくいな)と内心ため息をついた。
真っ赤な逆立つ髪に、やけに白い歯を光らせながら、タケっちは満面の笑みを浮かべる。黒いヘアバンドが逆立つ赤髪を支えているが、彼のテンションは暴走列車のごとく、止められるものはない。
ハイテンションと無駄な言葉が多すぎるこの男――タケっち――から、どうにか事情を聞いてみる。
「それで。君、一体どういう経緯であんな場所で倒れていたんだい?」
「よくぞ聞いてくれましたぁ!! いや、もうマジで大変だったんやでー!! 手錠かけられて! 足にも重しつけられて! そんで鎖でぐるぐる巻きよ!!」
太い腕をぶんぶん振り回しながら叫ぶタケっち。その二の腕は鍛え上げられ、まるで石柱のように太かった。
「……どうやって抜け出したんだよ?」
「それは一発バチコンよ! こうやって、こう!! そんで鎖とかバキバキよ!!」
腕を振り上げ、ドゴォン!と擬音を叫ぶタケっち。その巨体から発せられる勢いに、塔が微かに震えた。
(どこかで聞いた話だな……。どこだったか。まあいいか)
終がそんな風に思っていると、面白そうにその様子を眺めていたレアリアが口を開いた。
「それで、シュウ。次はこんな大きなワンコロを拾ってきたのかい。まったく君ってやつは」
「ふふ。レアリア、前にも言ったじゃないか。僕は人助けが趣味なのさ。こんなワンコロが寒そうに震えていたら、救いの手を差し伸べるしかないじゃないか」
「ワオーン!!……って、タケっち犬扱いされてるっ!? ショックで心臓止まってまうでー!! そしたらどないする!? しっかり供養しておくんなましー!!」
喋るたびに話が逸れていく。終は眉をひくつかせ、レアリアもさすがに会話がしにくいと感じたのか、終に手振りでヒソヒソ話を促した。
「面白いやつだとは思うけどさ……君、あいつをどうするのさ? ユナちゃんは女の子だったから面倒みてあげてるけど、あれは無理だよ。一応、僕も女だしさ」
「うーん……塔の外に犬小屋作ったらダメ?」
「本気で言ってる?」
笑いながらもレアリアの声は真剣そのものだった。
「……半分くらい本気だったけど……わかった。僕が飼うよ。ちょうど大型犬の番犬が欲しかったところなんだ」
「ふふ。なにそれ。ほんと、君っておもしろいよね」
二人で内緒話をしていると、タケっちがこちらに気づき、逆立つ赤髪を揺らしながらぐいっと顔を寄せた。
「おうおう、お二人さん。タケっちに内緒でコショコショ話ですかぁ? タケっち人見知りですけど、仲に入れてもらってもええですかぁ!?」
終は少し考えた後、軽く笑みを浮かべた。
「んー。君の今後について話していたのさ。誰かに捕まっていたのなら、そのまま引き渡そうかなーってね」
「なんやてー!!」
大袈裟なリアクションをとるタケっち。しかし、その表情が一変し、彼は正座をして頭を下げた。
「このタケっち……いや、タケシ・ゼルナート。訳あってここまで旅をしてきたんや。恩のある君らに言いにくいんやけど、ちょびっとばかし、この国に用があるんで、その間だけでも勘弁してもらえんだろうか?」
その瞳は驚くほど真剣で、軽薄さの奥にある芯を感じさせた。終はレアリアと目を合わせ、そして口を開く。
「じゃあさ。僕の用心棒になってよ」
「へ?」
「決まりね。今日から君は僕の用心棒。僕が王宮に行く時も、こわーい人達に囲まれそうな時も、ついてきてもらうからね」
タケっちは呆けた顔をした後、破顔し、逆立つ赤髪を揺らして両手を突き上げた。
「ヒューヒュー!! やったるでー!! タケっち気合いマックスやぁ!!」
その様子を見て、レアリアは小さく笑いながら、こそっと呟く。
「こわーい人達ねー。一番怖いのは君だと思うけどな」
終は何も言わず、ただ無邪気にはしゃぐタケっちを見つめ、その背後で何かを企むように、静かに微笑んだ。
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