第一話 異邦の地、静かなる影
眩い光が収束し、空間が反転するような感覚が訪れた。
次の瞬間、足元に確かな感触が戻る。土と草の匂い。微かに吹く風と、木々のざわめき――自然の音が、五感を包み込む。
霧間終は静かに目を開けた。
そこは森の中だった。木々の背は高く、空はよく晴れている。遠くで鳥の鳴き声がした。
この場所が異世界だという実感は、そうすぐには湧かなかった。ただ、空気が微妙に違っていた。匂い。密度。色――どれもほんの少しだけ、現実とは違う。
「……生きてみるか、とは言ったけど」
終は小さく呟き、自分の両腕を眺めた。
「死なないんだよね、僕。ホントかな」
確かめる方法はいくらでもあった。ナイフの一本もあれば、答えはすぐに出るだろう。
けれど――
「……まあいっか」
終は肩をすくめて、それ以上は追求しなかった。
自分を傷つけてまで知りたい答えではなかったし、そもそもそんな趣味も持ち合わせていない。
それに望んで手に入れた力ではない。もらえるものならもらっておこう主義ではあるが、過ぎた力が身を滅ぼすことを知っている終は、不死の力を試すつもりも使うつもりもなかった。
「可能なら、ノーコンティニューでいきたいね」
それから数日。
終は森を出て、小さな村へと辿り着いた。
異世界とはいえ、人の暮らしは本質的にそれほど変わらないようだった。行き交う人々、家畜、畑。少しばかり粗野な服と道具に、古めかしい文化を感じた程度だ。
終は言葉の壁を一瞬だけ心配したが、それも杞憂だった。謎の存在の仕業か、あるいはこの世界に“通じている”のか、言葉は自然と理解できた。
行商人と話し、村人に話しかけ、酒場の片隅で耳を傾ける。
そうして得たのは、この大陸の大まかな地図と、いくつかの国の情勢だった。
十を超える国が乱立するこの地で、特に力を持っているのは「帝国」「神聖国」「魔導国」と呼ばれる三つの大国。
力も規模も段違いの三大国だが、それゆえに互いに牽制し合っているらしい。
一方で、終が現在いるのは、小さな王国の周辺だった。
豊富な資源を有し、立地に恵まれた地形。それだけが、この国をいまも支えているという。
だが、三大国のどれかが本気で侵攻してくれば、ひとたまりもない。そんな不安が村人たちの間にも静かに広がっていた。
終はそれを聞いて、ふと目を細めた。
「この国、悪くないかもしれないね」
弱さと脆さのなかに、奇妙な安定がある。
誰もが恐れながらも、日々を懸命に生きていた。
秩序の端に立ち、ぎりぎりのバランスで成り立っている――そんな不安定さが、なぜか心地よかった。
終はその王国へと足を向けることにした。
王都への道は簡単ではなかったが、終にとっては馴染み深いものだった。
草原を抜け、山道を越え、幾つかの関所を避けるようにして歩く。
そして――王国の城壁が見えた日。終は何の躊躇いもなく、都市の影へと潜り込んだ。
兵士の目を避け、群衆の動きを読み、物陰から物陰へと渡っていく。
殺し屋として生きてきた技術は、異世界でもまったく色褪せることはなかった。
魔法でもスキルでもない、ただの“技術”。けれど、それは時として魔法以上に役立つ。
視線の外側をすり抜けるようにして、彼は王都へと潜入する。
夜の王都。灯りが揺れ、路地裏に静かな音が響く。
終は人気の少ない路地に立ち、空を仰いだ。
「うん。悪くないね。雑多で、油臭くて……でも、生きてる匂いがする」
彼は王都の片隅、情報が集まる場所へと足を運んだ。酒場、闇市、盗賊の隠れ家のような路地裏。
そこに生きる者たちの声から、終はこの国の現在と、内部に渦巻く思惑を静かに拾い上げていく。
殺し屋だった頃と同じように、彼は“観察”から始める。
だが、かつてと違うのは。
彼が今、殺し屋として何かの依頼を受けているわけではないということ。
彼はただ、自分の興味のままに動いているだけだった。
「……さて。どんなおもちゃが転がってるかな」
その呟きに、冷たさはない。ただ、飄々とした好奇心が滲んでいた。
魔王として世界を支配する。
実感もないし、やる気もあるわけではない。
けれど、世界を知る一歩として――この王国は、悪くない舞台だった。
終は目を伏せ、深く息を吸った。
そして心のなかで、再び確かめるように呟く。
――ここからが、本当の“始まり”だ。
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