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第十八話 桃薔薇の憂


 王宮の朝は静かに、そして穏やかに始まる。


 薄紅のカーテン越しに差し込む陽光。遠くで聞こえる小鳥たちの囀り。風が揺らす木々のざわめき。そのすべてが、まるで「おはよう」と囁きかけてくるかのようだった。


「……こんな朝、久しぶりね」


 そう呟いたのは、リヴェルタ王国の第二王女、エルリナ・フォン・リヴェルタ。


 腰まで伸びる淡い桃色の髪が風に揺れる。病に伏せっていた頃のやつれはもうなく、彼女の瞳には生気と、わずかな憂いが宿っていた。


 今日は体調も良く、自室に隣接した小さな庭園をゆっくりと散歩していた。かつてなら一歩歩くだけでも息が切れていたのに、今ではこうして風の匂いを嗅ぎ、花々を見て笑う余裕がある。


 それは一人の男によるものだった。


 “シュウ”。


 突如として現れた薬師。少し口が悪くどこか掴みどころのない彼は、まるで風のように、ふいに現れては、人の心に何かを残して去っていく。


「……最近、来る日、減ってない?」


 ぽつりと、呟いた。


 治療が進み、エルリナがもう寝たきりでなくなった頃から、彼が王宮に顔を出す頻度は減った。いや、正確には“エルリナのもとに来る回数”が減った、というべきか。


 それは当然だ。彼は王宮勤めの薬師として忙しく動いているし、助けを求める人は山ほどいる。


 わかっている。……けれど。


「それに……あのユナって子」


 最近、彼の傍には、銀髪の少女――ユナの姿がある。


 大人しく、目立たず、けれど妙に目を引く子。

 エルリナとは正反対の、静かな存在感を持つ少女だった。


「……やっぱり、大人しい子が好きなのかしら」


 呟いた言葉に、自分で首を傾げる。

 なぜこんなことを考えているのか、分からない。自分でも意味が分からない。胸が、もやもやしているだけ。


「もう、だめ。考えるのは終わりっ!」


 ぴょん、と軽く跳ねるように踵を返し、散歩を終える。

 今日は久しぶりに市街に出向く予定だった。公務として――だが、彼女にとっては、それ以上に自由を感じれる貴重な時間だった。


(外に出たい。ただ、それだけ)


 それだけの願いが、こんなにも眩しい朝に似合うとは。

 


◇ ◇ ◇


 

 王都セイランは祭りのような賑わいだった。


 “病に打ち勝った王女”が街を訪れる。そんな噂が瞬く間に広がり、道には民衆があふれていた。

 子供たちは笑い、大人たちは涙を浮かべてエルリナに手を振る。誰かが即席の楽団を呼び寄せ、陽気な音楽が街に満ちていった。


「王女様ー! 結婚してくれー!」

「こら! 何言ってんのよ、あんたっ!」


 そんなやり取りさえ、懐かしく、心地よい。


 エルリナは笑顔で民の声に応えつつも、次第に足が重くなっていくのを感じていた。病み上がりの体には、やはり少し酷だった。

 少しだけ、休みたい。そう思っていたとき――


「“占いの館”って、知ってる?」


 近くにいた小さな女の子が、突然話しかけてきた。


 話を聞くと、最近若者の間で話題になっているらしく、王都の裏通りにひっそりと建っているという。

 占い、か。

 興味本位で行ってみよう。そう思った。侍女は戸惑っていたが、エルリナの足はすでにそちらへと向いていた。

 

 

 それは、ほんの気晴らしのつもりだった。

 けれど――この選択が、エルリナの運命をわずかに、けれど確実に軌道を変えていく。


 


◇ ◇ ◇


 

 “占いの館”は、王都の喧騒から少し外れた裏通りにあった。

 だが不気味ではなかった。不思議と落ち着いた雰囲気があり、入口に掛かれた《命の灯を視る者》という言葉が、妙に胸に引っかかった。


「ご入室、どうぞ」


 迎えたのは、胡散臭そうな仮面をつけた人物。年齢も性別も分からないが、声には妙な温度があった。冷たくもなく、熱くもなく、ただ耳に残る声。


 小さな部屋に通され、赤い絨毯の上を歩き、椅子に座る。

 机の上には、カード、水晶、そして柔らかな香の煙が立ちのぼっていた。


「……あなたの、視たい未来はどちらですか?」


「未来、ね……」


 口をついて出そうになる言葉を、エルリナは飲み込んだ。

 健康、王国の未来、そういったありきたりなものが脳裏に浮かぶ。だが、心のどこかがそれを拒んでいる。


「迷われていますね。でしたら……少し、お話を。あなたの中にあるものを、整理してみましょう」


 仮面の占い師は、穏やかに語りかけた。


 カードが切られ、水晶が光を帯びる。

 静かに目を瞑り、エルリナは自分の「大切なもの」を思い浮かべた。王国。家族。民。そして――。


「では、カードを引きます。数字を一つ、お願いします」


「……3」


 めくられたのは、“皇帝”のカード。

 力、安定、支配。……王国の象徴のようなカードだった。


「王国の未来を思い浮かべましたか?」


「……ええ。でも、何か違う気がするわ」


 二枚目。“力”のカード。意志、不屈、理性。


「病と闘った自分を、表しているのかしら……」


 自然と口に出た。

 だが、それも、違うと感じた。


 三枚目。

 “恋人”のカード。


「……えっ」


 エルリナは一瞬、息を呑んだ。


「誰か、心に想う方が?」


「そ、そんなわけ……っ、ない、と思うけど……」


 言いながら、顔が熱くなるのを自覚した。

 誤魔化すように手で頬を覆う。けれど、その胸の内は自分でもはっきりと分かった。


 視たい未来。気になっていた“何か”。


 その正体は、薬師シュウという男に他ならなかった。


 そして、占い師の問いかけに対し、答える。


「……はい」


 声は小さかったが、仮面の奥にいる人物には、しっかりと届いていた。




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