第九話 裏切りの記憶と慈悲の願い
王都セイランの夜は、光と影の境界を曖昧にする。
商業地区の灯りが消え始め、裏通りの喧騒が目を覚ます頃、一人の黒づくめの男が古びた雑貨屋の奥、薄暗い小部屋に身を潜めていた。
仮面の奥で微かに息を吐きながら、終──レイスは、壁際の椅子に腰掛けている情報屋と対峙していた。
「……で? お前の言ってた“客”ってのは、誰だ?」
フードを目深に被った情報屋は、小さな金属の箱を机の上に置いた。開けると、中には封蝋付きの手紙といくつかの金貨。
「北区の第三街区に住む貴族。名はロッド・ガレオン。資産はそれなり、家柄もそこそこ。だが女遊びと賭け事が過ぎて、とうに家計は火の車……最近、“儲け話”を求めているらしい」
レイスは黙って手紙を取る。仮面越しに視線が情報屋を射抜いた。
「……興味を引くね。やつの壊れ方。もしくは壊し方、見届けてやりたくなる」
「ま、あんたがあの“ヴィレリア”を持ち込んでから、街の空気が変わったのは事実だ。今日も三人、路地裏で白目剥いて倒れてたらしいぜ」
レイスは何も返さず、立ち上がる。黒いマントが床をなぞるように揺れた。
情報屋が苦笑まじりに言う。
「……あんた、何者なんだ?」
「“売人”だよ。客の欲望に、薬という形で答えるだけ」
小部屋を出て扉を閉めた瞬間、街の雑音が戻ってくる。そこはもう、闇の支配する王都の裏側だった。
◇ ◇ ◇
雑踏の中、仮面をつけたままのレイスは人混みに紛れつつ歩く。ふと、細い路地から怒声が響いた。
「逃げられると思ったか、コラァ!」
影が二つ、三つ、石畳を走る音。その先に、一人の銀髪の少女の姿。やせ細った肢体にボロボロの衣服、顔も泥で汚れていた。
追いかけていたのは三人のゴロツキ。どうやら、少女が何かを盗んだらしい。
角を曲がった先で少女はつまずき、倒れた。しばらく立ち上がろうとするが、足が震え、力が入らない。
「ははっ、もう逃げられねぇな」
「とっ捕まえて、指の一本や二本へし折ってやるよ」
ゴロツキが足を振り上げ──。
ゴッ、と鈍い音がして、少女の体が地面を転がるように吹き飛ぶ。
それでも彼女は、叫ばず、泣かず、ただ静かに目を見開いたままだった。
レイスはその光景を、影に潜みながら見ていた。あの目──。
(……拒絶でも怒りでもなく。虚ろとも違う。死を……受け入れている目)
静かに仮面の奥で目を細める。
(……ああ。見覚えがある。その目は……僕が“殺された日”にしていた目だ)
興味が湧いた。だから、次の瞬間にはもう──少女の体をレイスが抱き上げていた。
「なんだと!?」
「てめぇ、どっから……ッ!?」
声より早く、黒い影は霧のように路地裏から消え去っていた。
◇ ◇ ◇
王都南区。人気のない石造りの塔の手前にて。
レイスの姿が物陰で揺れ、一瞬後には、いつもの終の衣装へと変わっていた。仮面もコートも袋に収め、薬師としての表情に戻る。
まるで無害な一般市民の仮面に付け替えた終は、ぐったりした少女を背負ってレアリアの研究室の扉を叩く。
「おーい、レアリア。ちょっと手を貸してほしいんだけど」
中から聞こえる声は、いつも通り賑やかだった。
「おっと、君が拾ってきたのは猫ではなく、それは人かな? しかもなかなか重症」
中から現れたのは、白衣を羽織った青髪の天才、レアリア。試験管を片手に笑っている。
「やあ、レアリア。どうやら僕は人助けが趣味になったみたいだよ」
「はは、本当に人助けしてる人はそんな台詞言わないよ。……怪我をしてるね。さあ、こっちに運んで」
終とレアリア、二人で少女を布の上に寝かせ、応急手当を施す。
「なかなかひどい状態だね。骨も折れてるし、栄養失調気味。内臓にダメージもあるかもしれない」
レアリアは静かに魔力を手に灯し、傷の様子を探る。
終はじっと少女を見ていた。
(生きることに執着しない目──それは、選ばせてもらえなかった人間の目だ)
「レアリア。しばらくこの子をここに置かせてくれないか?」
「……ふーん。君にしては珍しいこと言うね」
「たまにはこういうこともあるさ。僕はね、面白いものに目がないんだ」
レアリアは肩をすくめて笑う。
「はは、面白いもの? 君のことだから、またとんでもないことを考えているんだろうね」
終はそれを聞きながら、少女の顔をもう一度見た。泥だらけの中に、かすかな安堵の色が浮かんでいた。
仮面の男は、名もなき少女に名乗らず手を差し伸べた。
それは、ほんの気まぐれのようでいて──誰よりも真剣な、闇の中の慈悲だった。
(どう生きるかは自由さ。ただ僕の予想ではこの子は……)
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