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冬の童話祭2025

黒天馬

作者: 六福亭

 ペテルという青年がいた。ペテルとその家族は、馬を育てて、町の商人や貴族に売ることで生計をたてている。馬小屋には、いつも十頭ほどの若い馬たちと母馬がいて、毎日彼らの世話で大忙しだった。


 ペテルは、馬の扱いが誰よりも上手いと評判である。馬のお産や病気の世話を近隣から頼まれることもよくあった。彼は人間にも家畜にも分け隔てなく優しいので、馬にすぐ好かれた。そして、馬に関する知識も優れていた。


 ある日、村長がペテルを呼び出した。村長の家を訪ねて行くと、そこで飼っている馬や牛や豚が、みんな庭に出ていて、途方に暮れた様子で盛んに鳴きたてていた。


 一体どうしたんだろうと思っていると、村長が家畜小屋から飛び出してきて、ペテルの肩をがっしりと抱いた。とても困った顔だ。

「よく来てくれた、ペテル。本当に助かるよ」

「な、何があったんです?」

「君を見込んで頼みがあるんだが……ま、とにかく、小屋の中へ」

 小屋に近づくと、甲高い馬のいななきが中から聞こえた。苛立っているのだな、とペテルは思う。

「ははあ、馬の病気か、怪我ですね」

「まあ簡単に言ってしまうとそうなんだが……ちょっと、特別な馬なんだよ」

「特別?」

 中に入って、ペテルは驚いた。


 そこにいたのは、夜の空気がそのまま切り取られてきたような、真っ黒な馬だった。背中には立派な翼が生えており、ペテルや村長を威嚇して激しく羽ばたいた。

「天馬だ……」

 ペテルは唖然として呟いた。天馬はわらを敷いた上にべたりと座り込み、いらいらと身震いを繰り返している。

「昨夜、みんなで星を眺めていると、こいつが空から落っこちてきたんだ。その時に右前足を折ってしまったみたいで、飛んでいかない。うちの家畜は大騒ぎするし、大変だったんだよ」

 言われてみれば、右前足が妙に腫れている。ペテルはかわいそうに思い、村長に言った。

「任せてください。僕がこの子を、元通りに治してやりますよ」


 それからペテルは、家業のかたわら、毎日村長の家に通い詰めた。天馬は、最初はペテルを警戒し、決して体に触れさせようとしなかったが、ペテルが優しく話しかけるうちに、次第に気を許すようになった。


 天馬といっても、体のつくりは馬とほとんど変わらない。ペテルは腫れたところに薬を塗り、前足に添え木をした。体をきれいに拭いてやってから、やわらかいわらの上に寝かせてのんびりと過ごさせた。家畜小屋に他の動物を入れず(村長は仕方なく新しい家畜小屋を建てた)、いつも清潔なようにこまめに掃除をした。


 三月ほども経つと、天馬は立ち上がって歩けるようになった。そのころすっかりペテルになついていた天馬は、彼に角砂糖やりんごをねだったり、たてがみをすいてくれと首を垂れるようになっていた。


 このまま行けばいずれ空に帰っていくだろうと村長たちは胸をなでおろした。天馬は神聖な存在で、村の人々は皆とても優しい性質だったので、突然天馬を何か金儲けに使おうとは思いつきもしなかった。


 

 ところで、ペテルには天馬と全く関係のない悩みがあった。


 それは、若者らしい恋の悩みである。同じ村に、カリンカというとても可愛い娘がいた。カリンカも、ペテルのことが好きで、二人はよく一緒に散歩をした。時には、弁当を持って、少し離れた森にピクニックに出かけることもあった。


 ペテルは、いずれカリンカと結婚したいと思っていた。しかし、カリンカの両親は、ペテルよりもっと裕福な男に娘をやりたいと考えているようだった。その上、カリンカのことは大抵の男が好きだ。

 

 男が女に求婚をする時は、自分が用意できる最上のものを贈るという習わしがあった。ある金持ちの息子は、大きな宝石のついた指輪をカリンカのために買うつもりらしい。村長の息子は、当分食うに困らない量の小麦を、仕立屋は素晴らしいドレスを。では、ペテルは?


 自分が育てた中でも一番素晴らしい馬を贈ることも、考えた。しかし、彼女は馬が大の苦手である。子どもの頃、乗っていた馬に振り落とされ、怪我をしたことがあるからだ。


 いつものように日暮れまで村長の家で天馬の世話をした後で、ペテルはカリンカと会った。カリンカは、家で焼いたお菓子をペテルにくれた。二人で、お菓子を食べながら夜道を歩いた。

カリンカはぼうっと夜空を見上げている。

「何を見ているの?」

 ペテルが尋ねると、カリンカは微笑んで答えた。

「月よ」

 言われて彼も見上げると、見事な満月である。

「きれいでしょう?」

「ああ」

 カリンカの方がもっと、と言おうとして、ペテルはやめた。

「知ってる? 月にはね、白くて小さな花がいっぱい咲いているんですって。その花の蜜を飲むと、肌はまるで星のように輝き、仙女様のようにいつまでも若く、美しくいられるのよ」

 カリンカはうっとりとそう話した。ペテルはそれを黙って聞いていたが、彼女を家に送っていった後、走って村長の家に戻った。

 

 小屋の中には天馬がいて、ペテルが来るのを見るなり嬉しそうにいなないた。


 ペテルは天馬を小屋の外へ連れ出し、望みをかけてささやいた。

「僕を、あの空に輝く月へ連れて行ってくれないか? お願いだ、天馬。ほんのちょっとでいいから……」

 天馬はふんふんと鼻から息を吐きながら、背中をちょっとかがめた。

「ありがとう!」

 ペテルは馬の背中に乗り、固いたてがみをそっとなでた。天馬は翼を大きく広げ、少し駆けた後にふわりと空へ飛び上がった。


 ペテルは必死に天馬の背中にしがみついていたが、やがて慣れてくると、風をびゅんびゅん切るのを楽しみ、眼下のあっというまに遠くなる村の家々を眺めた。


 夜空は賑やかだ。分厚い雲の上には天使たちがいて、天馬にりんごをくれたり、たてごとや笛を演奏してくれた。天から降りてきた星たちは、気ままなおしゃべりや、小さな雲のかたまりを投げ合って遊んでいた。夜の闇に溶け込む天馬とペテルが星たちに近づくと、彼らは突然の来訪者に驚いたが、歓迎してくれた。


 星たちはこれから月でパーティーを開くのだという。

「あなたも、いらっしゃいよ。地上の人が来ることなんてないから、面白いわ」

「いいのですか……?」

 ペテルは、天馬をなでながらおそるおそる言った。

「あの、月には白い花がたくさん生えているというのは本当ですか?」

 星たちはうなずいた。

「その目で確かめてごらんなさいよ」

 ペテルは、星たちに囲まれて、月に足を踏み入れた。天馬も楽しそうに彼の後ろをぴったりとついてくる。


 月は、灯りがなくともぼうっと明るく、星たちのいう通り、足下に花が咲き乱れていた。地上のどこにもみあたらないような美しい花から蜜のしずくがあふれていたが、そのしずくの一粒一粒が小さな宝石に見えた。この花の花粉がそこらじゅうに飛んでいて、ペテルや天馬の肌にくっついた。そのうっすら輝く花粉をまとっているおかげで、ペテルも何だか星たちの一人かのように自ら光ってみえるのだった。


 月の真ん中に星たちが大勢集まっている。星たちは輝く肌に絹の衣、水の髪に炎の目をしていた。彼らにとってペテルはとても珍しいらしく、あれこれ聞かれてペテルはすっかり汗をかいてしまった。


 最も光の強い星たちの王が、ペテルをすっかり気に入り、自らペテルの杯に酒を注いではこう言った。

「そなたも、星になれ。月の花の蜜を飲み、三日も空で過ごせば、星の体になる。天馬もそなたを気に入っているようだし」

 花と聞いて、ペテルはカリンカのことを思い出した。

「星の王様、僕は、恋人のために月にやってきたのです。恋人に、月の花の蜜を飲ませてあげたいと思います」

「そうかそうか、恋人か」

 王は、朗らかに笑った。

「では、恋人もここに連れてくるがいい。その者がそなたを本当に愛しているのなら、共に星になってくれるだろう」

 そして、どんどんペテルに酒を飲ませた。ペテルはやがて眠くなり、その場に倒れてぐっすり眠り込んだ。


 目を覚ました時、そばにはやはり天馬がいて、周りで星たちが遊んだり、戦いの訓練をしていた。

 近くの星に、ペテルは尋ねた。

「僕は、どれくらい眠っていましたか?」

「ほんの三日よ」

 星はそう答えた。ペテルが月の泉の水面を見ると、肌は輝き、目は炎のように熱を秘め、髪は水のように波打っていた。

「カリンカに、花を届けなければ!」

 ペテルは王に会いに行き、月の花を一輪、摘んで地上に帰る許しを乞うた。

 星の王は鷹揚にうなずいた。

「よかろう、恋人に会ってくるがよい。だが、必ず夜になってから地上に降り、日が明ける前に帰ってくるのだぞ」

 こうして、ペテルは地上に降りることとなった。彼には翼がなくとも自ら空を飛ぶ力がいつの間にか備わっていたが、天馬も彼についてきた。王の命令に従い、太陽が沈んでから地上に降り立った。


 地面を踏むと、ペテルの肌や目や髪は元に戻った。正直なペテルは、まずは勝手に天馬に乗ってどこかへ行ってしまったことを謝ろうと、村長の家の扉を叩いた。


 だが、家から出てきたのは、ペテルの全く知らない男だった。男は自分が村長だと名乗り、ペテルを追い返した。天馬のことも知らない様子である。


 ペテルは、首を傾げながらも、恋人の家に向かった。戸を叩くと、中から一人の老婆が出てきた。

「ここに住んでいるのは、私一人です」

「そんなはずがありません!」

 ペテルは叫んだ。

「僕の恋人、カリンカと、彼女の両親がいるはずです! 引っ越してしまったのでしょうか? たった三日しか経たないうちに!」

「カリンカ? 恋人? ……」

 老婆はペテルの顔をまじまじと見て、はっと息を呑んだ。

「まさか、あなたは、ペテルなの?」

 彼女がペテルの腕に触れようとして、慌ててひっこめた。その手を捕まえ、ペテルは目を見開いてうめいた。

「カリンカ?」

 老婆の目に涙があふれた。


 がらんとした家の中で、カリンカはお茶を淹れてくれた。

「あなたがある日突然いなくなったから、ずっと待っていたのよ。最初は、いつか、あなたは帰ってくると信じてた。だから、誰とも結婚しなかった。けれどあなたはいつになっても戻ってこない。やがて母も父も死に、私は一人ぼっちになった。あなたを諦められるほど時間が経ったころには、醜い、白髪のおばあさんになってしまっていた」

 カリンカは、自分の顔を手で隠して、ペテルに見られまいとしているようだった。

「それなのに、あの時とちっとも変わらない姿……いいえ、ますます美しくなって帰ってくるだなんて」

 彼女の節くれだった手の甲をじっと見つめ、ペテルは絶句していた。月にいる間に、地上でこんなに長い時間が経っていただなんて。

 彼女は杖をつかなければ、歩けないようだった。家の中の物はとても少なく、彼女の寂しい生活が窺えた。

「あなたは一体どこに行っていたの?」

 ペテルは、黙って、摘んできた月の花を差し出した。

「こんなものを探すために、私を一人にしたのね。私は……あなたさえいれば、それでよかったのに。私があんな話をしたせいで」

 カリンカは月の花から目をそむけ、絞り出すような声で訴えた。

「もう、帰ってちょうだい。こんなに変わってしまった私を、昔のままのあなたに見られたくないの」

 ペテルはたまらず、カリンカを抱きしめた。

「カリンカ!」

 ペテルの腕の中で、カリンカは震えて縮こまっていた。

「辛い思いをさせてすまなかった。許してくれ。もしまだ僕を愛してくれているのなら、一緒に来て、失った時間を共に取り戻そう」

「そんなこと、できっこないわ」

「できるよ。君さえいいと言ってくれれば」

 カリンカは、まだ疑いの目でペテルを見ていた。そこでペテルがカリンカに花の蜜を飲ませると、彼女はたちまち昔と変わらない姿になった。驚いている彼女を抱きしめたまま、夜空へ飛び上がった。天馬が後からついてくる。


 月に戻り、待っていた星の王にカリンカを紹介すると、王は彼女に尋ねた。

「この男と共に星となっても良いと思えるか?」

 カリンカは答えた。

「ペテルと一緒なら、何者にもなれます」

 そこで、彼女にも月の飲み物が振る舞われた。そして、対の星となったペテルとカリンカは、黒い天馬を従えて、今でも夜空を飛び回っている。


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― 新着の感想 ―
どういう結末になるのだろうと、ドキドキしながら読み進めました。2人が幸せであるのなら、それで良いのかもですね(๑・̑◡・̑๑)
2025/02/02 17:23 退会済み
管理
夜空に浮かぶ、じっさいの星たち、その古くからある星座の神話を教えてもらったような気持ちです。とても素敵でした! 文字を追うごとに、脳裏に浮かび上がってくる景色もとてもきれいでした。 夜空を見上げれば、…
良いお話でした。 待ち続けたカリンカがちょっと切ないですが。 幸せになれて良かった。
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