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回るペンと回らないペン

作者: 輝鱒黄印

 時刻は十一時四十七分。傘岡(かさおか)市警刑事部鑑識課のオフィスには片手で数えられる程の職員しかいない。

 鑑識課に限る話ではないだろうが、午前に署を出た職員はそのまま現場で昼食を取る者が多いので、午前に署を出た職員は夜になるまで署に戻らないことが殆どだ。かくいう自分は、年の近い先輩と共に朝から書類仕事に明け暮れている。背もたれに体重を預け背中を伸ばし深呼吸をすると、酸化したコーヒーの香りが鼻腔を満たした。数ヵ月前この傘岡署に配属されてから幾度も嗅いだせいで、不快であるはずのそれは既に馴染みのある匂いとなっていた。

 ふと、自分のデスクの隣で先輩が低い唸り声を上げた。そちらに目をやると、先輩はA4の用紙を手に室内を眺めまわしていた。

「おっ、ラッキー。今日藤本(ふじもと)さんいるじゃん。」

 先輩の目線の先には、しきりにペン回しをしながらPCのモニターを眺めるベテラン刑事がいた。

松浦(まつうら)、これ藤本さんにサインもらってきて。」

 先輩が差し出したのは捜査に必要な申請書だった。条件反射的に用紙を受け取ったが、同時にある疑問が湧いた。

「了解です。藤本さんだと何がラッキーなんですか?」

「あの人、申請書にサインするの早いんだよ。これ昼前に出さないといけない書類だから、藤本さんならギリ間に合うんだよ。」

 チラっとオフィスの向こうを見た先輩に釣られて目線を上げると、藤本さんの手元で高速回転を続ける銀色のペンに目が行った。なるほど、確かに仕事をこなしながらも手持無沙汰に常人離れしたペン回しを続けるベテラン刑事からは、如何にも仕事が出来そうな風格を感じざるを得ない。何より、サインに必要なペンを既に手に持っている。


 書類を手に藤本さんのデスクに歩み寄ると、彼の手元で回転するペンが蛍光灯を乱反射してキラキラと輝いて見えた。

「藤本さん、これにサインお願いします。」

 PCのモニターから顔を上げたベテラン刑事は、一目で高価だと分かる銀色のペンを握り込み、大事そうに胸ポケットにしまった。

「おう、ちょっと待ってろ。」

 二つ返事で書類を受け取った藤本さんは、何かを探すように自分のデスクをかき回してから、ふと顔を上げた。

「ペン持ってないか?」

 予期せぬ言葉に一瞬言葉が詰まった。

「いえ、えーと」

 目の前の上司の胸ポケットを見ながら自分の上着のポケットをまさぐるが、入っているのはガムの包み紙だけだった。

「すみません、いま取ってきます。」

 早足で自分のデスクに戻ってペンを掴み、またも早足で藤本さんにそれを渡した。

 ペンを受け取ったベテラン刑事は、それと同時に申請書に崩れた文字で彼の名前をサインをした。

「はいよ。」

 申請書を受け取った僕は思わず訝しむように上司を見てしまった。確かにサインは速い。速いが、予想していた類の早さではなかった。

「ありがとうございます。ところで、えーと、そのペンは使わないんですか?」

 僕が怪訝な顔のまま藤本さんの胸ポケットで輝きを放つ銀色のペンを見ると、彼は口角を上げた。

「ああ、これはペン回し用だからな。間違ってペンとして使わないように芯を抜いてるんだよ。」

 藤本さんは得意げに銀色のペンがささった胸ポケットを叩いた。


「サインもらってきました。」

 肩透かしを食らった気分の僕は、釈然としないまま先輩が待つデスクに戻り申請書を渡した。

「サンキュー。早かったろ?」

「いや、サイン自体は速かったんですけど、(むし)ろペンを取りに戻った分遅かったですよ。いつもペンを持ってるから早いんだと思ったんですけど、あの銀色のペン書けないらしいですよ。」

 不満交じりにそうこぼすと、先輩は白い歯を見せて笑った。

「あー、お前まだ新人だから知らなかったか。藤本さんが申請書のサイン早いのは、ペンを常備してるからじゃなくて、内容も(ろく)に読まないで許可出してくれるからなんだよ。」

 手にした申請書を揺らして意地悪そうに笑う先輩を横目に、ふとオフィスの向こう側を見ると、尚も銀色のペンを回している上司は腑抜けた顔で大きな欠伸をした。

※本作はX(旧Twitter)にも掲載しています。

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