7.「第三の波」による文化的勝利(前編)
さて、話を始めよう。私の、私達の物語を……。
前回「パラダイム・シフト」による価値観の変化について述べた。そこでは「構造主義」による生存環境の変化を原因として、価値観や社会構造の変化が無意識のうちに変わる事を説明した。
実際には、「農業革命」「産業革命」に続く「情報革命」という『第三の波』を迎えた事により、一部の社会の構造は大きく変化している状態である。今、「情報化社会」という新たなるツールを手にした者達により、この日本という国は1990年代から現在に至るまで、その前後の価値観の変化の中で動き続けている。
そこには「失われた30年」など無かった。ただ、社会の変化に試行錯誤してそれを乗り越えた力を無意識に使っている唯一の国なのだ。
それこそが「創作」の力であり、「情報を作り、発信する能力」なのである。
現在、当たり前のように存在する「コミケ」や「動画投稿サイト」そして「小説家になろう」を始めとした小説投稿サイトの数々。
私達は当たり前のように物語を書いているし、動画を作り流す事でネット上は無数の情報に溢れている。それは決して突然手に入れたものではない。
……長い苦難と試行錯誤の果てに掴んだ、絶対たる強大な力なのだ。
元々、1980年代までは何か物語を作り、それを伝える事が出来るのは政治家やマスコミから認められたライター達、小説家や作曲家もしくは大学教授と言った、特別な肩書を持った一部の人にしか出来なかった。
もっとも間口が広いと思われる漫画家でさえ、当時デビューする為に編集者に認められない限り、なる事の出来ない狭き門だったのだ。
例を挙げてみよう。ある一軒のラーメン店があるとしよう。
そこのラーメンは旨い。何処と比べても一級品であるが、その事を情報として発信できるのは限られたグルメ評論家や出版社のガイドブックなど、ほんの一握りの人だけであった。
今では、ツイッターでも食べログでも良い。何なら、動画でラーメン店巡りを撮影して動画サイトに流す事も出来る。誰でも「情報」という物語を考えて語り、発信出来る。受け取る側も同じ。むしろ、TVなどでは仕込みややらせ等の問題を常に考える必要がある始末だ。
どうしてこうなった? ネットの広がりと双方向の情報管理社会と言う「情報革命」が進んだからだ。
単に、そう言ったサイトやツールが流通しただけではない。「物語を作るというノウハウ」自体を誰もが持つようになった。それが「情報革命」の本質である。
今や、誰でも「創作」が出来る時代が来ているのである。
確かにインターネットや動画サイトは日本以外にもある。だが、他の国の人が「創作」出来るか? と言えばNOである。日本人だけが絵を描いたり文章を書いたりして、誰でもわかる様に「情報」として創る事が出来る。
今の日本人における「製作側」と「読み手側」の境界は非常にあいまいだ。
例えば、コミケ。今となっては海外の人もそう言ったイベントは出来る。だが、参加者はコスプレをしたり、ワークショップで臨時の体験を行うのが精一杯なのだ。唯一日本だけが大量の人間が同人誌や共同制作のゲームを作り、当然の様にお互いが作った作品を比較し語り合う。そんな状態だ。
そして、世界中からそんな日本を体験したくて観光客が絶えないし、アニメの聖地などと言って集まって来る。単に円安や物珍しさだけが原因ではないのだ。
情報の最先端と言われるアメリカでさえ、「製作者側」に行ける人間はほんの一握りだ。
何故、日本だけがオリジナルの作品を大量に創り上げる事が出来るのか?
……それは、どうやって実現できたのか?
そんな、当たり前の日常が始まった頃の当時の1990年代と言う状況。私の、私達の歩んだ物語。
『オタク』と呼ばれる人々が30年かけて作り上げた世界なのだ。
そんな物語を語らねばならない。それは、迫害と苦難の道。僅かな希望と遥かなる未来を掴むための、くだらなくて最高にかっこ悪い人々の努力の積み重ねの果て。
それが私の、私達の物語なのだ。多分、長い話になる。ここまで来るのに人生の大半をつぎ込んで来た。
恐らくこの状況は、今後数十年……もしかしたら数百年は続く。我々のくだらなくて情けない「世界征服」は既に完了している。気が付けば、強力なライバルは潰れており、「情報革命」の波に飲み込まれている。
我々が獲得したのは『創作した情報を扱う力』だ。その強力な力は、軍事力や経済力と言った既存の力をねじ伏せて、もはや「洗脳」とも言える凶暴な嵐と化して、世界中をなぎ倒している真っ最中だ。
シビライゼーション的に言う「文化的勝利」な状態と言える。相手の歴史的文化など、彼我ともしない強力な力だ。思考全てを塗り替えて、こちらの味方にする能力である。
……まぁ、「萌えっ!」とか「かわいいは正義!」とかいう、自慢出来ない文化である事は認めよう。
要するに、我々『オタク』は少々やり過ぎてしまったのだ。だが、もう引き返す道など無い。人間の自然な欲求に抗う事も出来ず、ただ、金を課金し続けるだけのコンテンツは終わる事も無いだろう。
結果的に『オタク』自身もそれに飲み込まれているのだが……尊い犠牲だったと諦めよう。
ともあれ、「ハリウッド映画」だったり「ブロードウェイ」「アカデミー賞」と言ったエンターテイメントももう残骸しか残っていない。科学や経済、軍事力と言った物も無力化した。我々は既に「書く兵器」を持って、運用しているのだ。
そして、あるのは美少女たちで溢れる日常のみ。ありとあらゆるものを「かわいく」「かっこ良く」「面白い」事に特化させたから。今では、公式な市役所や企業でさえ、美少女をイメージキャラクターにして喜んでいる。
……我々は、何処から来て何処へ行くのか?
ある時は、美少女を歌って踊れるフリーソフトにした事もある。目に見える全てを擬人化した事もある。無意識に、かつ猛烈な人の力で全てを飲み込むまで我々は止まらなかった。
かつて軽蔑と迫害の中で、それでも諦めきれなかった僅かな人々の生存競争。あるのは自らの存在と世界のどちらかという、互いを食い合う醜い争いの数々!
世界全てを覆い尽くすまで戦い抜き、見る物全てが「萌え」一色に染め抜けば、全人類全てが『オタク』になる!
そう言われても仕方が無い位、私達はやり尽くしたのだ。
結果だけを見れば、幸せな物である。勢い余って、変な物も大量に生み出したが、それはそれである。
ともあれ、結果があれば原因もある。そうなったのは仕方が無いが、どうしてそうした? と言われれば、ごめんなさいと謝っておこう……。
大事な事なので、繰り返し言おう。
かつて、私は……私達『オタク』は、やり過ぎてしまったのだ!
次回は、どうしてこんな事になったのか? その原因と経緯について客観的に見ながら、昔語りをしたいと思う。
さあ皆、喜べ!! ここは世界の最先端。誰も恥ずかしくて語りたくないし直視も出来ない、そんな物語の始まりだっ!