4.構造主義って知ってますか?
長い間、連載の方に時間をかけて、ここの存在を忘れていた。
そうだよ、まだ私には帰れるエッセイがあるんだ。こんなに嬉しい事は無い。
……次回作の構想もあるが、まだ書き始めるのはちょっと置いておいて。
ともあれ、一作品が完結したのは目出度い。次の作品を、と考えて色々と考え中である。
よーし、息抜きの時間だーっ!
という事で『構造主義』である。何それ? という人も多いだろう。私も最近知った。
大昔から続く西洋哲学の考え方を否定し、ぶっ壊してしまったある考え方である。
私も詳しくないのでざっくりと説明すると「これまでの西洋文化は、ヨーロッパの歴史や文化を前提に考えられてきた。だが、未開部族が劣っていたり、遅れているのではなく人類に共通した『構造』があり、人類はそれを無意識に守っている」という事……らしい。
この辺り、専門的に学んだ訳ではなくあっちこっちの動画やら論文なんかを見て感じた事だ。ともかく『神は死んだ』とか『人間は考える葦である』とか『我思う、故に我有り』の名言で有名な西洋哲学は、この『構造主義』という考え方の前に反論出来なかった、という事実がある。
そして、それに代わって『構造主義』が哲学の主流になった……訳ではないらしい。なんでさ。
どういう事だか分からないが、それを提唱した『レヴィ=ストロース』という先生は、その人類の構造と言うものを解き明かした……訳ではないらしい。
確かに人類学で謎だった『近親婚のタブー』について論理的に解明した。だが、その後は世界各国の音楽や神話と言った物を調べ、他の人類の構造を調べようとした……。
だが、神話なんて山ほどあるのだ。専門違いの問題に歯が立たなかったのかもしれない。詳しい人がいたら、是非感想を書いて欲しい。特に大学なんかで哲学を学んだ人とか、誰か説明して下さいよ!
そんな訳で、ふと調べた動画で知った『構造主義』。面白いのだが、どうも誰の話を聞いても歯切れが悪い。『それで何が役に立つのか?』とか『構造主義は機械的で不完全だ』という感じ。
……ぶっちゃけ、誰も詳しく理解出来ていないという事じゃないの?
それっぽく「ポスト構造主義」「ポストモダン」とか聞くが、その『レヴィ=ストロース』という先生以外はその『構造主義』について理解していない様に見えるのだ。
じゃあお前は分かるのか? とか聞かないで欲しい。とっても難しいのだから。
とりあえず、具体例を説明してみよう。
「三すくみの遊び」と聞いて分かるだろうか? 簡単に言えばじゃんけんの事だ。
つまり、「AはBに強い」「BはⅭに強い」「ⅭはAに強い」という関係で、複数人でそれを指し示して勝ち負けを競う。地域によってABCの組合せは違うが、世界中この遊びはどこに行ってもあるらしい。
つまり「三すくみの遊び」というのは、人類の構造だと言えるという話が『構造主義』らしい。
ちなみにこの「三すくみ」という関係自体は、戦争に繋がりがある。
兵種による勝ち負けと言っても良い。古代から、戦争において兵種の三すくみは常に発生する。
例えば「弓兵は槍兵に強い」「槍兵は騎兵に強い」「騎兵は弓兵に強い」と言った感じ。
戦争ゲームなんかで良くあるシステムである。
現在でもこの関係は存在する。海軍を例に取ってみよう。「潜水艦は大型艦に強い」「大型艦は駆逐艦に強い」「駆逐艦は潜水艦に強い」となる。
要するに「三すくみの遊び」というのは、戦争というモチーフを元に世界各国で同じように考え出され、今も戦争の要因として残っている。これが「構造」という意味になる。
……理解は出来るが、難しい。とはいえ、有用である事も確かだ。この理屈で行けば、ある「構造」を見つけ出せば、時代を超えて人間の基本的な考え方を特定できる。
逆に言えば、社会や文化が未発達な人類を想定して、そこで見つかった「構造」は現代の社会や文化でも通用するのではないか?
例えば、地理的・文化的に繋がっている現代日本と縄文時代ならどうだろう?
現在、縄文時代の研究は物的証拠や調査の結果、様々な事が分かっている。そこから、現代と同じ考え方や文化などが思いつけば、それは世界中の人類共通の「構造」なのではないだろうか?
かの『レヴィ=ストロース』という先生自身も「日本文化は、他と比べるものがない」と言ったという。
もしかしたら、そんな日本文化を研究する足掛かりになるのではないだろうか。
……やはり、詳しい人がいてくれればと思う。だが、誰も考えていないのなら私がやろう。
こういう、誰もやりそうも無い事って楽しいのだ。個人的な趣味である。学会とかならともかく、なろうでこんな事を言い出す奴はいない。哲学とか難しいしね。
だが、思い立ったが吉日である。本当に正しいかは置いておいて、縄文時代をイメージしてその時代に日本人が何を思いつくか。これを考えていきたいと思う。
ジャンル的にエッセイなのだろうか? ともあれ、ある程度まとまったら新タイトルで連載してみたいと思います。