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15.何故「レヴィ・ストロース先生」を特別と感じているのか?

 曰く、「構造主義」を提唱した哲学者・人類学者。曰く、「バリバリの哲学者であるサルトルを叩きのめした男」曰く、「知の巨人」


 「レヴィ・ストロース先生」をそう語る人がいます。


 行ってきた行動と提唱した内容、それが何を生み出したのかという評価において、この方の存在は、とても低いと思っています。つい最近まで生きてインタビューを受けていたからではないでしょうか。失ってから感じるその知識。


 ……この先生は、他の哲学者は誰もやった事のない、偉業を成し遂げたのです。


 それは、世界中の民族へのフィールドワーク。その民族の神話・習慣・ルール、その他、価値観や死生観まであちこちに足を運びました。


 そうして、「人類の持つ固有の構造」がある事を発見し、西洋哲学がその文化に依存している事を否定したのです。


 それまで、人類というのは進化の過程で「資本主義」から「共産主義」に向かうと考えられてきました。いずれ、別の価値観が生まれて、学生運動などを通じ革命へと流れると。フランス人哲学者のグループはそう考えました。


 その代表者が「サルトル」です。名前くらいは聞いた事があるかもしれません。


 いわば、「新たな時代へのアジテーター」扇動者ですね。


 その彼に対して、フィールドワークの結果を突き付けて、否定したのが「レヴィ・ストロース先生」なのです。


 曰く「西洋哲学はヨーロッパ中心の学問だが、他の地方でも思考や論理感など劣っている訳ではない。その土地に住む人間にとっての構造に従っている。西洋哲学も同様である」と。


 かーっこいぃー!!(個人の感想です)。


 それについて、世界中で「近親相姦のタブー」という人類学上の謎があり、理由が説明出来なかった。


 それに論理的で経済的な理由で説明を付けた、そう言う話です。



 ただ、その後の流れはどうか? 西洋哲学は「構造主義」によって変わったか? 答えはNO、である。「ポストモダン」とか「脱構造」という言葉に置き換わっただけだ。何故、そうなったか?


 「構造主義」だけで、人類の構造を解き明かしたわけでは無かったからだ。


 確かに、神話や音楽、文化的要素で共通する要素はある。では、何故人類の中で『違いが生まれるのか?』これに対する回答が無い。


 中国人とインドと日本、オーストラリアの民族の違いを説明出来るか?


 それに対して、「レヴィ・ストロース先生」からの回答は無かった。


 だから、「構造主義」の有用性は認めても、その先が無かった。


 各々、専門の分野で「構造主義」的な主張を繰り返し、反論した。


 ……何と言うか、詰めが甘いと思う。先生本人は長生きだ。100歳まで生きた彼は、自説を調査しながらも決定的な証拠は見つけられなかった。



 要は「構造主義」は「西洋哲学」にとっての宿題になったのだ。各民族の違いを観察し、自らその謎に挑め! そう言っているようではないか。


 まあ、そんな難しい問題が簡単に溶ける筈も無く「情報化社会」だの「仮想現実」だのを並べ立てただけだった。


 結局、その後の哲学者がフィールドワークに赴く事も無く、そんな地味で面倒な事は御免とばかりに、唯々新しい時代の事を語っていた。


 では、その答えはもう見つからないのだろうか?


 ……私はそうは思わない。例えば科学の発達。古代人類史は、その調査の過程で人類がどのように枝分かれして行ったのかを解き明かした。


 また、遺伝子の調査によって文化の伝達経路も分かるようになってきた。


 当時とは、状況が変わっているのである。


 であれば、今ならわかる事も多いだろう。先生が晩年まで調べていたのは日本。「比肩する文化が見当たらない」と言っていた。


 何故か? 東洋に属しながら東の果ての地。海に囲まれて、独自の文化や価値観が残る。東アジアとの繫がりも薄い。


 だというのに、明治以降西洋の文化を取り入れて西洋化を果たし、ほんの数十年で独自の文化を築き上げた。


 また、その宗教観や世界観の多様さ。独自の解釈やルール自体は残っているのだ。


 ……東洋と西洋の文化が残ったまま、独自の発展をした国など、そう多くは無いのだ。最近の研究では、3~4万年前から縄文人が日本国内を移動しながらあちこちと交易をしていた、そう言う報告もある。


 黒曜石の動きからわかった。伊豆諸島で採れた黒曜石が遠く離れた内陸部まで運ばれていた。つまり、交易があったのだ。


 世界の文明というものは、現在残っていない。エジプトもメソポタミアも黄河文明も別の文明や民族と交じり合ったり、追い払われたりして廃墟だけが残る。



 ……唯一、日本だけが古くは旧石器時代からの文化を途絶えさせずに縄文時代・弥生時代と残っていった。一部はあちこちに散らばりながら、異なる文化や価値観を残したまま、近代化を成し遂げた。


 今現在、我々が考えている以上に、縄文時代位の文化が形を変えて残っている。


 お金に関する感覚や自然に対する価値観。働く事に対する考え方など、未だに日本人の中にその痕跡は残っている。


 だからこそ、現代と縄文時代を比較して異なる部分・同じ部分から推測して、どのような文化が残ったのか推察が出来る。


 縄文時代に関する研究は進んでいる。それは「環日本海文明」とでもいうべき広範な地域に影響を与え、一部は取り入れて自分の文化としている。


 そして、幸運な事に私を含め日本人である。フランス人である「レヴィ・ストロース先生」には分からない独特な感性・思想・価値観と言うのは、感覚で分かるのではないか。



 だからこそ、私は「構造主義」について、客観的に分析するツールとして扱い、日本の文化を見る事で、その差異を確認し分析する事が出来る。


 縄文時代から続く文化ならば、それは「構造主義」でいうところの「日本人特有の構造」なのだろう。


 だからこそ、面白い。当時は分からなかった、その構造から「何故、人類は日本人とそれ以外で異なるのか?」という疑問に対する答えになる、と思うからだ。


 以上が私が「構造主義」に基づいて、その独特な文化や習慣を分析したいと思う理由だ。世界中の民族と日本人の違い。


 それこそが誰も考えた事のない「ブルーオーシャン」だと思うのだ。


 ……今はもう「資本主義」の時代ではない。だからこそ、見えるものもある。



 そしてもう一つ。別のエッセイになるのだが、「ブリコラージュ的発想」というのもある。これまた世界中で見られる創作の仕方なのだが。


 一方で、任天堂を支えた横井軍平氏も同じような事を語っていた。


 詳しく情報を分析して比較検討した結果、「二人とも、同じことを言っておらんかね?」という事が分かったという事なのです。


 具体例を示してみましょう。


 <横井軍平>

  ①-A:「枯れた技術の水平思考」についての情報

  ①-B:使い込んで安価で手に入れやすい部品や技術を組み合わせて、新しい商品を作る。


 <レヴィ・ストロース>

  ②-A:「ブリコラージュ」という人類の構造・創作についての情報

  ②ーB:手元に有るあり合わせの物をやりくりして、適当に別の道具を組み立てる行為。


 この①-Bと②-Bというのは、対象となるものは異なるが、組み合わせたりして新たな物を作り出す、という内容は一致しませんか?


 つまり、「ブリコラージュ的発想術」というのは、「枯れた技術の水平思考」と同じものだという事です。


 つまり、そこら辺にある「情報」同士を組み合わせたりすると、全く別の側面が現れる。そういう事なのです。


 これら二つの事象から、「レヴィ・ストロース先生」が発見した「人類の構造」について、全く別のアプローチが出来ると知ったのです。


 どうです? 奥が深いでしょう。これこそが「哲学」「社会人類学」なんですよ!


―――――――――――――――――――――――――――――――


 なお、個人的にサルトルはじめ、西洋哲学自体に問題があるとは思っていません。前提条件が違うだけで、言いたい事は分かるのです。


 そして、時代の波もありました。当時は「共産主義一色の哲学界」そう言う時代だったのです。

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