13.人は本能的に物語を求める
身体は本能的に闘争を求める……ではないよ。
いよいよ、ここが本丸で一丁目一番地である。つまり「何故、人は本能的に物語を求めるのか?」という事だ。
人間自身が持つ本能と欲望と言っても良い。それがあるから、人は社会的動物として進化してきたとも言える。
ここは、これまでと同様に「構造主義」から見た物語の構造を探ってみたい。
という訳で、息抜きの時間だ―!
ウゴゴゴ、息抜きとは? などと聞いてはいけない。
実際の所、皆も知りたいのではなかろうか。特に創作論などと、エッセイを語る人にとっては……。
これまた、人間の生態を元に考えると他人との交流を無意識に求める、と考える。人は、一人では生きられない。誰かに聞いて欲しいし、聞きたいのだ。
他人とのコミュニケーションを経て、同じ価値観を共有して協力する。それが人間としての自然な欲求なのだ。
……いや、人と関わるのを避けようとする人もいるが、それは例外としておこう。
ともあれ、同じ価値観を持つために必要な要素を考えれば良い。
生物として生きるが故に、避けられない事・もしくは叶わぬ願い、という二パターンあると仮定しよう。
前者としては、大まかに次の三つに分けられるのではないか。
①我々はどこから来たのか? :神話であり歴史
②我々はどうやって生きるのか? :仲間との連帯、または恋愛や子育て
③我々はどこへ行くのか? :宗教であり死後の世界
かなりおおざっぱだが、人として生きて考えると、このどれかの問題に突き当たる訳だ。『生まれ出づる悩み』という奴だ。うむ、どんどんと哲学的な領域に切り込んでいくぞ。
そんでもって、後者はこれと相対関係にある。つまり、叶えられない望み・願いと言うのも存在する訳だ。
①我々は、特別な存在意義でありたい。
②我々は、万能になりたい。
③我々は、不老不死の存在になりたい。
こういう事になる。
人として悩みたくはないし、望んだ存在になりたい。なので、これらは並列で語られる。主に、人間の生活の中でなく夢として。
……これ、どっかで見た事が無いだろうか? つまり「テンプレなろう」の典型である。つまり、どうやっても叶わないから夢なのだろう。何故、人はチートを生み出すのだろうか? せめて仮想の世界だけでも夢を見たいからだ。
人は、にっちもさっちもいかなくなった場合、夢を語りたがる。そしてその夢に縋る。人は弱いものである。現実逃避として、これ程簡単な解決方法も無い。
逆に叶わないからこそ、無駄だとも感じる。それがなろう系を始めとする「創作」の負の側面である。安易に語られるからこそ、くだらないのだ。
一方で、人々はお互いの悩みを共有する事で初めて相手を理解し、信頼する。
同じ釜の飯を食った仲間でも良いだろう。共通の悩みを持つ者同士と言うのも良くある話だ。
ともあれ、「創作」で目指すべきなのはどちらなのだろうか?
……正直に言って良い?
やっぱ、なろうは駄目だわー! 引くわー。ドン引きですよー。
閑話休題。
「創作」は人それぞれ。追い求める物が違っていても良い筈だ。それ位は許されるべきだ。例え、それが「傷をなめ合う道化芝居」だろうとも。
ともあれ、そればかりになっても困る訳で……。
原則として「創作」とは、悩む人を助けるために使いたい。そうであって欲しい……。うーむ、困った。オチが見つからん。
そも、人は文字を持つ前から物語を描いて来た。それは紛れもない事実である。であればこそ、その為の何かが必要なのではないか。
例えば、「我々はどこから来たのか?」という問いには、「私は選ばれし者である」とすべきではない。「遥か昔の先祖が『そうあれかし』と望んだから」の方が良い。……精神的にもな。
「我々はどう生きるのか?」と聞かれて「我々に未来なんてない。絶望して生きろ」などという奴は無視すべきだ。「君たち若者には前途ある未来が待っている。頑張って生きよう」と言う方が大人の対応だろう……。
……いかん、何を言っているんだ。俺は?
いや、うん。前提に戻って良く考えよう。この場合、駄々をこねる子供よりも大人の対応が必要なのではないか? 無い物ねだりをしても、何も解決しないのだ。
だったら、前向きに倒れた方が良いではないか!!
(よし、押し通したっ!)
……そうだね、うん。その通りだ。
やはり、「近頃の若い者は……」などと言う老人にはなりたくはない。もっと建設的な事がしたいのだ。「創作」とは! 人類の進化である!
そう思っていなければ、絶望のまま何処へ向かえば良いのか、分からなくなるだろう……。そう言うものなのだ。
徳川家康も言っている。「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず」だ。うん、良い言葉だねぇ……。
強いては事を仕損じる。案ずるより産むがやすし。
昔の格言や賢人の言葉というものは、何と力強いのだろうか。
『我々は、過去に学びて未来を目指すべし!』そういう事なのかな?
そういう事にしたい。しても良い?
そういう事になった。
……うむ、これもまた良し。
駄目? 良い話っぽいのに? 説教臭い?
何だよ、ちゃんと考えたのに駄目出しすんなよぅ!
こういうのはね、本来偉い人とか頭の良い人が言うべき事なの! 馬鹿に考えさせるから、こうなるのよ! 馬鹿だから「知らないと言い切る」強さがあると信じる。
分かってたよ、自分の身の丈に合わない位。良いじゃん、それ位の事言っても!
……なんかさ、寂しいじゃん。一人ぼっちで悩んで、叶わぬ夢を見ているだけの人生って。
虚勢を張っても、空元気でも! 一歩進めたら、大進歩なの!!
そう言うものなんだよ、実際。
だからさ、成功しても失敗してもさ。「その人だけの物語」ってのが欲しくなるんだよ。歳を取ると思い知らされる。残された時間が無い事を……。
悲しいじゃない、年寄りが弱音ばっかり吐いているのって。
……せめて自分の娘にはさ、胸を張って自慢してやりたいじゃないの。自分の生き方を。
人間ってさ、弱いけど強いんだよ。守るべき物・伝えるべき事があるって事は、大事な事だ。
だから、人は誰かの物語を本能的に求めるんだよ、きっと。
という事で、このシリーズも語るべき事は語ったので、終了したいと思います。
……人間、引き際が大事ってね。
大丈夫、物語を求める限り「創作者」はいなくならないよ。きっと力強い物語を語ってくれる人は、生まれて来るさ。
ふと世の中の創作を見れば、異口同音で中々真理に近づいたのではなかろうか。
……馬鹿、恐るべし、である。
そして、語るべき事は語ったといった。あれは嘘だ!
意見があれば追記する。間違っていれば修正する。あくまでこれは「私一人で考えた事」を語り終わったのであって、それに反論があれば追記も必要だ。
もし誰かの意見の方が正しいと私が認めれば、その部分はその人の意見を受け入れる。
そうやって、バージョンアップしていくべき問題だと思っていますので。
つまり、誰かの意見や反論が欲しい! 議論したい!
そう言う望みを持っているのです。