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12.構造主義から考える「日本神話」と「創作」

 さて、鉄は熱いうちに打てとも言う。こういう話は、悩まずサクッと書くのが精神的にも良い。何より、毎日考えて文章を作るというリハビリにもなるのだ。


 なので、思いついた端から書く事にしよう。


 という事でタイトルである。最近では古代日本の論説や動画など、賑やかな事だ。知るという行為は、楽しいものだ。ましてや、一人の発見で歴史が動くとなれば、尚更だろう。


 とはいえ、トンデモ論にならない様にしないとドンドンと横道に逸れてしまう。


 ここは、「創作」を通じて「構造主義」をツールとして、日本の神話について語ってみたい。


 という訳で、(相も変わらず)息抜きの時間だ―っ!


 

 という事で、毎度おなじみエッセイの時間です。


 ある種厄介な問題である。それを飯のタネにして稼ぐ人もいるのだ。仇や疎かにしてはならない。


 では、「誰が日本神話を欲していたか?」という問いはどうだろうか。


 「古事記」や「日本書紀」を編纂したのは誰か? もちろん当時の権力者である朝廷である。きちんとした文字で書かれた神話や歴史書を欲しがるのは、不思議な事ではない。


 もちろん、そんな物を一から作る訳にも行かず、元ネタを探す事になる。

 

 つまり、各地に伝わる口伝と他国の神話や歴史書集めである……。


 当時、遣隋使を通じて様々な書物が持ち帰られた筈である。その中に、各国の神話や歴史を漢文に翻訳したものもあるだろう。


 古代文明がシルクロードを通じて流れて来る。建築技術だけでなく、そう言った物語も同様に伝わるだろう。


 ならば、日本の神話や歴史がそれらを元にした可能性は高い。


 何と言っても、この頃の中国は強大な文明である。取捨選択をしたとしても、影響を無しにする事は出来まい。



 当然、その中には「三国志」や「史記」と言った最新の歴史書もあるだろう。


 何が言いたいのかと言えば、たった五百年前の日本との歴史がその書物に載っていれば、当然それを踏襲する筈なので「邪馬台国」の存在を無視するとは思えない。


 「邪馬台国」が「ヤマト政権」つまり、天皇制の起源だとすれば、それが「古事記」に書かれていない方がおかしいのだ。


 要するに「邪馬台国≠ヤマト政権」であり、抹消したいからこそ無視したのだと考える。


 本当に「邪馬台国」があって、中国の歴史書に記載されていたのなら猛烈にプッシュするね。むしろ、ほんの少し後の「聖徳太子」のエピソードの方を抹消する。


 そうでは無くて、「邪馬台国」が今の天皇制にとって意味の無い、もしくは不利益を与える存在だからこそ、書かれていないのではないか。


 もちろん、「あの歴史書は、元ネタがあったんですよ」などと言える訳もなく、そう言う事実は消されるだろう。それこそが、本当の歴史だ。



 そういう訳で「縄文時代」の痕跡が残る今の日本と「邪馬台国」が繋がっていると考える方に無理がある。


 どちらかと言えば、『海幸彦と山幸彦』の様に、「これが天皇制の由来ですよ」と物語として残っていないと、おかしい。


 古代ロマンを掻き立てる話題ではあるが、所詮は他国の誰かの聞き語りに過ぎない「魏志倭人伝」に根拠を求める方に問題があるのだ。


 残念だが、やはり古代日本を語るなら正当な歴史書を元にするのが筋であろう。そもそも、何故にそこまで「邪馬台国」や「魏志倭人伝」に拘るのか?


 こういう結論の無い議論と言うものはしっかりとした根拠から仮定を導き出さないと、結局意味の無い議論に終わる。


 だが、何時まで経ってもそのような議論は行われる事も無く「魏志倭人伝は偽書だ!」と断言してくれる方がこちらとしても有難いのだが……。



 ともあれ、恐らく旧石器時代から続く日本の文化というものは、編纂された「正しい神話・歴史」ではなく、各地域に伝わる口伝でもある「風土記」や「万葉集」と言った書物との突き合わせの方が地道で有益ではないかと思う。


 同じ時代に創作されて、同じように伝わる二つの物語。そこの差分にこそ、本当の日本史が眠っていると信じたい。


 まあ、文句を言う前に代替案を出せ! と言われるのも業腹である。ここは、縄文時代から続くであろう日本文化論を語ってみたい。



 まず根拠となるのは、『古事記』だ。何と言っても他の要素が一切入っていない「天皇家の考えた神話・歴史」である。純度100%である。


 なので、ここでは『山幸彦と海幸彦』と『国譲りの神話』をベースに考えてみたい。ここでは、「邪馬台国」は一切出てこない。あくまでも、日本の中での辻褄合わせである。


 まず、『山幸彦と海幸彦』であるが、一般的に大和王権がクマソを打ち滅ぼした話とされている。


 だが、ちょっと待って欲しい。ここには第三勢力が存在するのだ。


 つまり、物語でいう所の「海神わたつみの宮殿と妻」であり、そこから力を授けて貰い海幸彦に勝利する。


 私はこれを非定住民である「海の民」説を提案したい。つまり、古代日本において、陸上のどちらの勢力にも属さず交易のみを行ってきた人達がいた。


 ポリネシア系の日本人達にとって、必要な物は陸地ではない。そこから必要な物は交易によって賄える。では、彼らが必要としていたものは何か?


 それは「大木」である。彼らにとって、大きな丸木船を作れる木こそが豊かな富を約束した。だから、彼らは木々を神と崇めて、「柱」と呼び祭った。


 また、「海の民」である彼らにとっては、東を告げる「太陽」こそが最も重要だった。だから、当時マイナーだった伊勢地方の「海と太陽を祭る神」であるアマテラスの命を主神とした。


 ……大胆な仮説である。当時の船のレベルは分からないが、沖縄地方や日本海沿岸を周回出来たとすれば、相当の物である。


 また、長江文明との定期便もある……。最新の技術や物語をやり取りするにはもってこいだ。それらを含めて、複数の文明が共存し合い仲良く暮らす世界。


 それこそが「日本」を特別な物とすると考える。『山幸彦と海幸彦』についても、仲間割れした結末こそあれ、皆殺しには合っていないのだ。


 周囲との価値観を重要視して、争いを避けるという当時の価値観を伺う事が出来よう。


 それは、『国譲りの神話』でも同様である。恐らく、氷河期で住めなくなった東北を離れ、「出雲の国」で再び国作りを行ったのだろう。


 そうして、作った国をより良くするためなら、その地位さえも譲る精神。


 ……これこそが日本の神話の神髄であり、皆が引き付けられる要因なのではないかと思います。

まったく、日本人という奴は……。


やはり、構造主義という奴は人を幸せにするものです。


人は、自分にとって最も幸せになる思考を無意識のうちに選びます。


そして、人間社会に馴染み協力するのも同じ事です。


環境が変われば価値観も幸せの定義も変わる。


日本人は資本主義を選んで、高度経済成長を成し遂げてアメリカそのものを買い取ろうとしました。


それが壊れた時、思ったのです。「資本主義は人間を幸せにしない」と。


だから、日本人は「オタク文化」という「情報主義」とも言うべき社会を作り上げました。


ただの紙が大金になり、目に見えない情報に価値を見出す。


それもこれも「パラダイムシフト」に適応した結果です。もう、この流れは止まりません。


お金の量も高度な技術も、有難い先生の言葉も全て「ある情報の一つ」に過ぎなくなるのです。


過去に囚われず、新たな価値観を受け入れましょう。


新たな世界でも、普遍的な人間の構造は変わりません。


「飯と技術に手を抜かず、女性に頭が上がらない」日本人の構造は不変なのです。

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