出来損ないと蔑まれた少女、最強ドラゴンと友達になる
魔術師を育成する学校の生徒でありながら、ほとんど魔術が使えない少女、リネア。
「魔術ナシの出来損ない」として、クラスの女子からイジメを受ける日々を送っていた。
リネアが唯一使える魔術は動物の声を聞き取る――それだけだ。
実の家族にも蔑まれ、疎まれている。
毎日のように傷を作って帰ってくるリネアの心の支えは、師であり心優しき祖父の存在だ。
薬師である祖父の作る傷薬の効能は凄まじい。リネアの体にできた傷も、跡一つ残さず綺麗に治してしまう。
大好きな祖父と一緒にいられることが、リネアにとっての幸せだった。
しかし、その幸せはある日突然崩れ去る。
いつものように研究室の椅子に座っていた祖父の体は、冷たく動かなくなっていた。
祖父の死が受け入れられずにいたリネアだったが、師として最期に残してくれた言葉を思いだし、強く生きることを決意する。
手入れの行き届いた庭の隅で、ふるふると小動物のように震える少女と、取り囲む気の強そうな顔をした少女たち。
震える少女を鋭く睨みつけ、少女の左側の額に生えた一本の黒い角を乱暴に掴む。
折ってやる、と言わんばかりに前後に振られ、角を掴まれたままの少女はぎゅっと目を瞑り嵐が過ぎ去るのを待つようにじっとその行為に耐えていた。
人気の少ない庭の隅に助けを求める相手はいない。
そもそも、少女は一言も発していない。
痛いとも、止めてとも、何も言わずにただ耐えてる。
角を掴んでいた少女は目をギラつかせ、しかしごっそりと表情が抜け落ちた顔をしている。
どれぐらいの時間が経ったのか、角を掴んでいた少女は突き飛ばすように角から手を離した。
ふらりと植え込みに倒れ込む姿を冷めた目で見下ろす。
「明日その辛気臭い顔見せたら、これだけじゃ済まないから。さっさと退学してよね、魔力ナシの出来損ない」
スカートを翻し、取り巻きと一緒に立ち去った少女の背中を見つめ、乱暴に掴まれた角を触る。
傷は付いていない。いつもどおり、ザラザラとした感触が手に伝わってくるだけだ。
額に角が生えた少女、リネアはれっきとした人間だ。
なのに、なぜか額には黒い角が一本生えている。
角は、赤ん坊の頃から生えているモノだった。成長と共に上へ上へと伸び、十三歳となった今では十センチほどの高さがある。
これは一体なんなのか、リネアはわからないままだ。
そろそろと立ち上がり、スカートに付いた砂埃と葉っぱを手で払う。
すると、足元に一匹の猫がすり寄ってくる。
「……心配してくれてありがとう。いつもの事だもの、大丈夫よ」
そっと微笑み、猫を抱き上げる。
アーモンド型の目を細め、にゃあとひと鳴きした猫は腕の中からするりと器用に抜け出し、地面に着地する。
少し歩き、リネアの方を振り返る。
ついてこいと言っているような動作に、リネアは困ったように眉を下げて笑う。
「行けないよ、授業があるから。またね」
猫に背を向けて歩き出すリネアを、アーモンド型の目がじっと見つめていた。
「ただいまっ」
大急ぎで制服から普段着のワンピースに着替え、家の中を早足で進む。
途中、すれ違った家族に鬱陶しそうに睨まれたが、リネアは気にしない。
まともに魔術が使えないのに、魔術師を育成する学校に入った出来損ないを、家族は疎んでいる。
幼いリネアは悪意をぶつけられる度、深く傷つき涙を流していた。
しかし、ひとつの出会いによってそんな日々は一変する。
『おかえり、リネア』
軽く息を切らしたリネアを出迎えたのは、一匹の大型犬。
首輪を付けただけの、穏やかな犬だ。
舌を垂らして尻尾を振っている姿は、誰がどう見ても人懐っこい犬にしか見えない。
しかし、リネアには彼の言葉がわかる。
幼い頃からリネアが使える魔術はたった一つだけ。
それは、動物と言葉を交わせる――それだけであった。
魔術師は、魔獣と呼ばれる魔力を持った獣……彼らを使い魔として使役することが出来る。
しかし、リネアに出来るのは会話だけだ。
強い魔術師ほど、強力な魔力を持った魔獣と使い魔の契約を交わすことが出来るとされている。
だが、リネアにとってはどちらでも構わない。
言葉を交わせる彼らは大切な友人であり、決して従えさせる相手ではない、と考えているからだ。
当たり前のように犬の鳴き声に言葉を返すリネアを見て、家族は酷く気味悪がった。
「ただいま、ロル。おじい……師匠は?」
『いつもどおり。研究室にこもってるよ。リネアが呼んだら飛んでくるから大丈夫』
「そう、ありがとう!」
家の奥の部屋の隠し扉をロルに開けてもらい、研究室に足を踏み入れる。
中では予想どおり、祖父が背中を丸めて薬草の調合に夢中になっていた。
祖父は、数年前まで現役の魔術師だった。しかし、事故による怪我で引退したのだ。
優秀かつ、偉大な魔術師だった祖父の引退を惜しむ声は多かったが、薬師として今は裏方に回って魔術師をサポートしている。
引退した祖父は、家に帰ってきた。それまであちこちを飛び回っていたため、リネアにとっては見知らぬ他人も同然である。
最初の頃は警戒していたリネアだったが、祖父が連れてきたロルと話すうちに、祖父はとても優しい人だと知った。
偉大な魔術師の弟子として、リネアは日々奮闘している。
「師匠! 学校から帰りました!」
「ん、おお、リネアか。丁度いい所に来た。新しい薬が出来た所だ、見るだろう?」
茶目っ気たっぷりにウインクをする祖父に笑みを向けながら、リネアは器に入った薄紫の液体をのぞき込む。
鼻をひくつかせるが、香りはなかった。
どんな効能があるのだろう、リネアがじっと見つめていると、祖父が器を傾けて小皿に少し入れる。
「飲んでごらん。私の体で実験済みだ、体に害はないぞ」
ドキドキしながら、小皿を手に持つ。
ゆっくりと口元に近づけ、そっと傾けて液体を口に含む。
苦味はなく、代わりにほんの少しだけ酸味があった。しかし、顔をしかめるほどではない。飲んでから、ややあって体に変化が。
学校で突き飛ばされた時に出来た擦り傷や切り傷の部分が、少しだけ熱い。
心なしか脈も早くなっている気がする。ほんの数分で、それは治まった。
ニコニコと満足そうに笑っている祖父を見て、自分が毎日のように生傷を作って帰ってくるから、子供のリネアの体に合わせた傷薬を作ってくれたのだと、胸の奥が温かくなる。
「……師匠、ありがとうございます」
「なぁに、弟子が師匠の技を盗むにはこうして味わうのが一番よ。いいかいリネア、師匠を超えるのが弟子というものだ。いつまでも私の背中を追いかけているようじゃダメだ。追い越してやる、そのぐらいの気持ちでいなさい」
決して無理やり聞き出そうとしない祖父の優しさが嬉しかった。
祖父はきっと、孫娘にもっと強くなってほしいのだろう。
だから、あえて見守るというスタンスでいるのだ。
その気持ちに応えられる日が来るのか、リネアにはわからなかった。
翌日、ロルが激しく吠えている、と家族から聞き祖父の研究室に向かった。
胸騒ぎがした。昨日見た祖父の目は、真剣なものだった。
祖父は何を思って、リネアにあの言葉を伝えたのか。
「っ、おじいちゃん!」
研究室で、祖父はいつものように背中を丸めて椅子に座っていた。
その体は冷たく、二度と言葉を交わすことはできない姿だった。
偉大な魔術師だった祖父の葬儀には多くの人が駆けつけ、悲しみ、花を手向けた。
棺からあふれそうなほどの花に囲まれ、祖父は骨となった。
主を失くした研究室はひどく静かで、寂しく感じる。
ロルは飼い主を亡くしてからというもの、食欲もなくリネアに話しかけることもない。
肩を落としたリネアに、いつも美しい歌を聞かせてくれる鳥たちが歌う。鎮魂歌だった。
彼らもまた、祖父の死を悲しんでいるのだ。
実感がわかず、出迎える人のいない研究室にこもるリネアには、鎮魂歌すら耳障りだった。
自分に治癒魔術が使えたら。
もっと早く研究室に行っていたら。
もっと、もっと。後悔が波のように押し寄せて、リネアを飲み込もうとする。
傷薬を作り、嬉しそうに笑ってリネアと過ごした祖父はもう、いないのだと。認めてしまったら、祖父が自分の中からいなくなってしまう気がして、何度も呼ぶ。
師匠、また薬の調合の仕方を教えてください。
師匠、研究室にこもってばかりではダメですよ。たまには日光浴でもしましょう?
――――何もかも、今さらだった。
祖父が亡くなって三ヶ月が経ち、悲しみに暮れていた者たちも日常に戻りつつある。
リネアもまた、いつものように女子に囲まれ、乱暴を受けていた。
けれど、珍しくリネアは酷く苛立っていた。
もう自分の傷を癒やしてくれる師匠はいないのに、傷を作って帰るわけにはいかないのだ。
初めて、リネアは女子を睨みつけた。
角を掴む手を振り払い、怒鳴りつける。
「魔術がまともに使えなくたって、わたしは学校に通う! おじいちゃんが、師匠が、笑って送り出してくれたこの学校に通うの! それで、もう、大丈夫だよ、って……安心させるんだから! やられっぱなしの出来損ないなんかじゃ、ない!」
大人しく、いつもされるがままだったリネアの反抗に女子はたじろぎ、気迫に負けたように走り去っていった。
慣れない大声を出したせいで、喉がヒリヒリと痛む。
涙を浮かべることは、もうしない。
真っ青な空を見上げ、リネアは唇の端を無理やり持ち上げた。
「師匠、わたし、きっと貴方を追い越してみせます。だから安心して、遠くで見守っててね……おじいちゃん」
――わたし、強くなるよ。師匠の、弟子だもの。
大きな一歩を踏み出したリネアが晴れ晴れとした気持ちで家に帰る道中出会ったのは、凶暴で滅多に人と関わることはないと言われている伝説の魔獣――ドラゴンだった。
突然空から降りてきた見上げるほどの巨体を前に、リネアは卒倒寸前だった。
『ようやく見付けたぞ……我が主』
――おじいちゃん、やっぱりわたし……無理かも。