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狗の王

かつて活況に沸いていた神杭村も今は年寄りばかりが暮らす限界集落となっていた。

都会から引っ越してきた秋月蒼一(あきづき そういち)は小学五年生。

同級生の冬見日向(ふゆみ ひなた)とは仲良くなったが、一家は村に上手く溶け込めず、余所者として扱われていた。


一方、村の農業を支える外国人技能研修生は年々数を増していた。

過酷な労働に安い賃金。労働環境に不満を抱えていた研修生たちは、仲間が事故によって障害を負って首にされたことで爆発した。

数と暴力によって村を掌握した研修生たちは、自分たちの居場所を作り始める。


蒼一は日向とともに彼らを出し抜き、村を取り戻そうと動き始める。

 神杭村は死期を迎えた老象だ。

 かつては亜鉛鉱山に多くの鉱夫を送り出し、活況に沸いていた村も閉山とともに今や見る影もない。

 追い打ちをかけるようにダム建設によって村の中心部が水没し、多くの住民が離散すると、最早、村に残る家は数えるほどになっていた。

 仕事を求めて若者が都会に出ていくと、残されたのは農業に従事する老人ばかり。

 そこには典型的な限界集落の姿があった。


 秋月蒼一(あきづき そういち)は神杭村に引っ越してまだ一年の新参者だ。

 都会の喧騒から離れ、のんびりとした田舎暮らしに憧れていた両親は、この村を終の棲家に決めた。

 コロナ禍でリモートワークに切り替わり、転職しなくても収入の当てができたことも追い風となった。


 それでも、かなり出たとこ勝負だったのは父親の性格によるところが大きいかもしれない。

 蒼一はまだ十一歳で小学五年生。

 友達とは遠く離れてしまい、取り巻く環境は一変した。

 今は行き交う車に気を配ることもなく、青々としたキャベツ畑を横目にあぜ道を歩いて登校している。


「蒼ちゃん、おっはよー」


 追い抜きざまに蒼一の背中を叩いた冬見日向(ふゆみ ひなた)は屈託のない笑顔を見せた。


「おはよう、日向。大きな荷物だね」

「これ? お弁当。姉ちゃんと弟の分も持たされとるんよ。もう重うて仕方なか」

「貸しなよ。持ってあげるから」

「ええっ、よかっちゃね? じゃあ、お礼におかず一品あげるけん」


 日向は蒼一と同じ小学五年生。

 この村では唯一の同級生だ。

 小中学校が統合された村の学校には五人しか生徒しかいない。

 二人は自然と仲良くなった。


「日向もお腹空くだろう? おかずは交換しようよ」

「やった! 蒼ちゃんとこのキャラ弁、可愛くて美味しいから好いとうとよ」

「ちょっと僕には可愛過ぎるかなあ……」

「蒼ちゃんのお母さん、めっちゃ料理上手かもんね。今度、教えて欲しか」


 ショートボブにジャージ姿で着飾る気のない日向も可愛いものには目がない。

 彼女の部屋の中はぬいぐるみで溢れていた。


「マイービオッチョアァ?!」


 鳥のさえずりと虫の声の合唱を切り裂いて怒号が鳴り響いた。

 日に焼けた浅黒い男たちが老人に向かって口々に言葉を投げつけている。

 老人は憮然とした表情で男たちをあしらっていた。


「不注意で怪我したヤツのことなど知らん、知らん。さっさと仕事に戻らんね!」

「デモ首ハ、ナイデショウ。撤回シテクダサイ」

「草刈り機で指、落としとうとよ。もうちゃんと働けんばい!」

「ミンナ借金ガアル。今、国ニ帰サレテモ困ル」

「そげんこと、ワシは知らんちゃね」


 立て板に水の老人の態度は、男たちの神経を逆撫でするだけだった。

 睨みつける眼光に剣呑さが増し、握られる拳に力が入る。

 一触即発の空気を破ったのは一際背の高い男だった。

 深くくぼんだ目は知性の光を宿し、削げた頬と引き締められた口元は強い意志を感じさせた。

 背の高い男が前に出て後ろ手で男たちを制す。

 互いに視線を交し合った男たちは忌々しそうに地面に唾を吐くと、次々に踵を返していった。


「スオンディアングックディ」


 背の高い男から発せられた地の底から響く低い声。

 それは不吉な予兆を感じさせた。


「じいちゃん、大丈夫とね?」


 日向は不安で揺れる瞳を老人に向ける。


「おお、日向か。なんも心配いらん」

「さっきの人ってウチで働いているベトナムの人じゃなかね?」

「怠け者のくせに口ばっか達者で困っちょると。秋月んとこと同じじゃ」


 老人はちらりと蒼一を一瞥して鼻を鳴らす。


「蒼ちゃん家は関係なかとよ!」

「わかっとる、わかっとる。ワシは忙しいけん、もう行くばい」


 老人は煩わし気に顔の前で手を振ると、さっさとその場を離れていった。

 ばつが悪そうに蒼一の顔をのぞき込む日向。


「ごめんね、蒼ちゃん」

「気にしなくていいよ。お父さんもよく文句を言ってるし。お互い様かな」


 青年団というにはあまりに構成人数が少な過ぎる集まりでは、久方振りの新人を大いに歓迎した。

 そして、ありとあらゆる雑用を押し付け、互いの関係が冷え込むまでそう大した時間もかからなかった。

 期待感は思い通りにならないと、簡単にひっくり返る。

 それは大きければ大きいほど深い失望へとつながった。


「ふふふ。おじさん、怒ると真っ赤になるけんね」

「そうそうヤカンみたいに、ぴゅーって湯気を出してるよ」


 ひとしきり笑いあった後、蒼一は意を決して切り出した。


「ところで、またアレを一緒に捨てて欲しいのだけれど……」

「アレって、資源ごみ?」

「うん、回収日がわからなくて」

「まったく、回覧板を回さないなんて、ほんにしょうもなかね」


 村の人たちの大人気ない嫌がらせに日向は怒りをあらわにした。

 いつもお天道様に恥じない生き方を説く大人たちが、自分たちの行いを顧みないのかと。

 村での暮らしは決して住み心地の良いものではなかったが、こうしてなんでも話せる友達ができたことは蒼一にとって幸運以外の何物でもなかった。



 *



 夕食後、蒼一はLEDランタンを片手に資源ごみの袋を持って家を出た。

 カエルの鳴き声だけが木霊するあぜ道を冬見家に向かって歩く。

 辺りはもう真っ暗で、曇り空なのか月明りも見えない。

 足元を照らす心許ない光だけを頼りに、少し心細さを感じながら歩き慣れた道を急いだ。


 冬見家に近づくにつれて、様子がおかしいことに気づいた。

 家の周りには飛び交ういくつもの光が見える。

 静寂を破って聞こえてきた大声は警戒させるのに十分だった。

 ランタンを消し、草陰に隠れて足音を殺す。

 にじり寄った蒼一の目に映ったのは、ベトナム人たちに囲まれて玄関先に座り込む冬見家の面々。


 その中には日向の姿もあった。


「オ前タチハ、俺タチヲ奴隷ノヨウニ働カセ、怪我シタ仲間ヲ首ニシタ!」


 昼間見た背の高い男が強い口調で自分たちの主張を歌い上げる。


「コレハ悪イコトカ?」


 その問いに答える者は誰もいなかった。

 静寂が辺りを包む。

 身じろぎさえ許されない張り詰めた空気。

 唾を飲み込むのもためらわれた。


「正直ニ言エ!」


 背の高い男は日向の父親の胸倉を掴んで引き寄せた。

 戸惑い顔を背ける父親の様子に業を煮やすと、仲間たちに顎をしゃくる。

 左右から腕を掴まれて無理やり立たされる日向。

 生まれたての小鹿のように震える足は支えられていないと立てない有様で。

 あからさまな脅しに父親の顔が歪んだ。


「コレハ悪イコトカ?」

「……良くないことだ」


 怯え震えながら答える父親は一回り小さくなったように見えた。

 背の高い男は満足気に頷くと、口元を歪めてにやりと笑う。


「罪人ニハ、罰ガ必要ダ!」


 背の高い男は両手を掲げて仲間たちを見渡す。

 彼らは腕を突き上げ、嬌声をあげる。

 贔屓のチームがゴールを決めたような熱狂が辺りを支配した。

 その輪の中に日向の祖父が引きずり出されてきた。


「殴レ!」


 背の高い男は容赦のない命令を与える。

 救いを求めて視線を彷徨わせる父親。

 目を合わせる者は誰もいなかった。

 迷いながらも父親はのろのろと足を踏み出す。

 ぺちりと力のない平手が祖父の頬を張った。


「ソレガ、オ前ノ与エル罰カ? ソレデ罪ガ償ワレルノカ?」


 膝をついた父親に容赦のない言葉が投げつけられる。

 観衆は不満を露わにした。

 彼らが求めるのは正当な裁きであり、流される血だった。


「俺タチカラ奪ッタ金デ、オ前ノ家族ハ生キテイル」


 片手を上げて仲間たちの口を閉じさせる。

 一糸乱れぬ姿は異様な圧力を生んでいた。


「親ノ罪ハ、子供ノ罪デモアル」


 父親の目が見開かれ、恐怖に彩られる。

 背の高い男は低くゆっくりとした口調で問いかけた。


「子供ニ償ワセル気カ?」


 ぐっと拳を握りしめ、立ち上がった父親の目にはまだ迷いがあった。

 だが、繰り出した拳の勢いは観客を納得させるのに十分だった。

 鼻柱をとらえた一撃は祖父の心を折ると同時に父親の箍を外した。

 流れ出した血がぽたぽたと顎を伝って地面に落ちる。

 一滴、二滴、夜空に上がる花火のように広がった。


 そこからは誰の邪魔も入らなかった。

 ごきり、ごきりと骨が肉を打つ音が響く。

 単調に繰り返されるリズムが残す結果は複雑だ。

 瞼は腫れ上がり、右目はほとんど開けられない。

 入れ歯が飛び出し、唇は潰れて血と唾液の混じった液体が零れる。

 鼻は折れて曲がったまま青く染まった。


「ソウダ、ヨクヤッタ!」

「俺は……、俺は、なんてことを……」


 背の高い男の称賛を受けて父親は我に返った。

 血にまみれた手を見つめ、ぶつぶつと悔恨の言葉を繰り返す。


「コイツハ罪人ダ。罪ハ償ワレナケレバナラナイ」


 地面にうずくまる祖父を一瞥すると、吐き捨てるように言い放つ。

 「ああ」とも「うう」ともつかない、うめき声をあげる祖父を仲間が運び出した。


「ソシテ、オ前モ罪人ダ。罰ヲ与エナケレバナラナイ」


 背の高い男が父親に顔を向ける。

 父親は屠殺場に連れ出された牛のように、何もかも悟ったような悲しい目をしていた。


「サア、殴レ」


 背の高い男は怯える日向の背後から両肩に手を置いた。

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