縁あって、よろずあやかし骨董屋に再就職しました。何故か退魔にも駆り出されます。
最近になって不運と怪奇現象に見舞われていた神崎梨花は、不思議な影に導かれ、骨董屋に迷い込む。
店主の土御門晴明の提案で、住み込みで働くことになった梨花だが、どうやらここはただの骨董屋ではないらしい。
生意気な少年、白虎。
堅気ではない雰囲気の騰蛇。
他、総勢12人の従業員たちと、おっちょこちょいで頼りなさそうな店主の晴明。
晴明のもう一つの稼業。
本業ともいえる仕事は、梨花に起きた最近の不運と怪奇現象に密接で。
梨花は否応なく巻き込まれていく。
いい加減、お祓いしてもらった方がいいのかも。
玉砕しまくった就活の帰り道。リクルートスーツに身を包んだ神前梨花は、自分の手首を擦りながら、真剣に悩んでいた。
最近どうもついてない。それに加えて妙な現象にあっている。
胸騒ぎ、何かの気配、ラップ音、金縛り。三日前は見えないものに手首を掴まれ跡が残った。中々の怪奇現象のオンパレードである。
「うーん。でも私、霊感なんてゼロだったんだけど。体質変わったのかな」
首をひねると、高い位置で一つに括った黒髪がさらりと揺れた。動きに合わせて爽やかさと甘さの混じった香りが漂う。
瑞々しい白い肌。ぷるんとした桜色の唇。細い頤。男女問わず視線を集めるタイプだが、本人は気づいていない。
「まあいっか。全部偶然と気のせいかもしれないし」
オカルトなんてあるわけない。数々の異変を気のせいで片付けたところで、くい、とポニーテールが引っ張られた。
「ひゃっ、何?」
足を止め、後ろを見るが誰もいない。首を戻すと、目の前を黒い影が横切った。何が横切ったのか無意識に目が影を追うと、住宅と住宅の狭間の細い道に入っていった。
「あれ、こんなとこに横道あったっけ?」
薄闇の迫る夕刻のせいか道の先はよく見えないけれど、黒い影がとてとてと進んでいた。小さくてしなやかなシルエットの、頭の辺りには耳のような二つの丸み。お尻の辺からは長くすらりと伸びた尾。
「猫ちゃん」
ぴん、と梨花のポニーテールが立った。否。ポニーテールが独りでに立つわけがないのだが、梨花の気持ちとしては立った。
猫は好きだ。動物全般好きだけれど、特に猫は癒しともふもふとツンデレの神である。
道の先が見えなくなるギリギリのところで、黒い影が止まった。顔の辺りが梨花の方を向いていて、ぴんと立った尾っぽの先が来い来いと誘うようにくねる。
「にゃんこ様のお誘いとあれば」
うきうきと梨花は横道に足を踏み入れた。数歩近づいても影は逃げる様子がない。ということは野良ではなく飼い猫か、人に慣れた猫なのかも。あわよくば撫でさせてもらえるかもしれない。
驚かさないよう、そろそろと影に近づく。手を伸ばしても触れない距離で止まり、猫を怖がらせないようその場にしゃがむ。目線が低くなったおかげで影の正体がはっきりと見えた。
「え? あれ、猫じゃない?」
影の正体が思っていたものと違う。白地に黒の縞模様。柔らかそうで美しい毛並み。吸い込まれそうな青い瞳。大きさだけなら猫なのだが、骨格が太い。耳は丸く、足が大きい。
「虎!? なんでこんなところに虎の赤ちゃん」
テレビで見たホワイトタイガーの赤ちゃんにそっくりだった。
「動物園から逃げ出しちゃったってやつ? でもなんで。この辺動物園ないよね」
謎。誰かの飼い虎だろうか。費用やら設備やら法律やらをクリアした、金持ちの物好きがいるのかもしれない。
「いらっしゃいませー。一名様、ご案内~」
誰かに声をかけられた途端、小虎が消えて、代わりに男の子が立っていた。
中学生くらいだろうか。白と黒のメッシュという髪色。悪戯っぽく輝く透明な青い瞳。白地に黒ボーダーのシャツと黒のジーンズ。にっと笑った口から犬歯が覗く。
横道の風景も一変していた。
両サイドの棚や中央の机に、ところせましと様々なものが並ぶ。趣のある食器。渋い壺。信楽の狸の置物。アンティークな柱時計。鏡。蓄音機。スタンドライト。雑貨屋にしては品々に年月を経た深みがある。見ていてわくわくするような店の中だ。品物は高そうだが。
「えっ、私、いつの間に?」
先程まで横道にいたはずなのに、店内とはこれ如何に。
梨花が目を丸くして固まっていると、男の子が店の奥に向かって叫んだ。
「晴明!! 客を連れてきたぞ!」
「ふぇ? び、白虎がお客様を!? はーい、今行きます」
ばたばたばた。奥から騒々しい音共に晴明と呼ばれた青年が出てきたと思ったら。
びたん! と目の前で転んだ。
「あたた」
「大丈夫ですか?」
鼻を押さえて呻く晴明に思わず駆け寄ると、白檀の香りがした。
「あ……」
匂い立つ白檀の香りが梨花の肺を満たし、懐かしさと切なさが胸を一杯にする。
この香りを知っている。
刀のようなあの人。美しく孤高で。触れるだけで切れてしまう鋭利さと神秘。静謐と陰惨を内に抱えていた。強くて優しいあの人の香りだ。
「あ、あはは。大丈夫ですぅ。ええと、いらっしゃいませ。どんな骨董をお探しですか?」
転んだままの晴明が、顔を上げてふにゃりと笑う。
この人のどこが美しく孤高だと思ったのだろう。
梨花は目を瞬いた。
瞳を隠すほど長く重い前髪と眼鏡の下で、鼻の頭が赤くなっていた。白シャツに紺のセーター。細身の体。先ほど感じた刀のような印象の欠片もない。
「骨董をお探し……? あ! 違います」
梨花ははっと我に返った。
両手を突き出して、首と一緒にぶんぶんと横に振る。
「客じゃありません。ここに来たのは自分でもよく分かんないんですけど、偶然といいますか。気がついたらいただけでして。骨董を買うつもりもお金もないです!」
骨董品なんて、無理無理無理無理。
失業中の梨花が買える品ではない。そもそも買い物なんてしている場合じゃない。
一ケ月ほど前、二年務めた会社が赤字経営で倒産。半年分の給料は踏み倒された。失業保険をもらいながら就活をしているけれど、貯金は減っていく。
そんな時にダブルパンチ、トリプルパンチ。ようやく内定を取り付けた会社はブラック企業として刑事告発を受けて、内定は白紙。住んでいたアパートは火事で全焼。ネカフェでしのぐ毎日である。
「ということで帰ります。お邪魔しました!」
踵を返して退散しようとすると、勝手に手が何かに引かれるように動く。
「え」
がしゃん。
動いた手が当たり、赤い蛇の置物が落ちた。
「きゃー! すみませんすみません!」
梨花の顔から、さああっと血の気が引いた。慌てて頭を下げる。
「謝ってすむわけねぇだろが、ああ?」
下げた頭の上から、晴明とも男の子とも違う、どすのきいた声が降ってきた。顔を上げると梨花の後ろ、店の入り口を塞ぐ位置に男がいる。
赤く染めた髪。切れ長の三白眼。大きく横に裂けるような笑い。腕を組んで見下ろすという、傲岸不遜な態度が似合うガラの悪い男だった。
男が割れた蛇の置物を指さした。
「その置物は千年以上前のものでよぉ。一千万は下らねぇんだよ。どう落とし前つけてくれんのかねぇ? ああ?」
「いっ、一千万っ」
そんなにするのか。蒼白で硬直する梨花に赤髪の男の笑みが深くなる。
目つき、口調と声音、隙のない位置取りなど。男からは堅気ではなさそうな気配が滲み出ていた。正直怖い。
「ちょっ、騰蛇」
「晴明は黙ってろ」
「あぅ」
床から静止しようとした晴明が、一言で一蹴され口を閉じる。見た目通り、やっぱり頼りない。
「金ねぇつったな。じゃあ体で払ってもらうしかねぇよなぁ」
梨花の頭の中で、自分が風俗に身を落とし、骨の髄までしゃぶられる未来が駆け巡る。それだけは嫌だと思った瞬間、怒りが恐怖を上回った。
「こんな蛇の置物が一千万もするわけないじゃないですか! いいとこ一万円です」
びしり、と男に指を突き付けて抗議する。骨董のことはよく分からないが、言いなりになっては駄目だ。
「ああ? あんだと。俺様がたった一万円だと?」
男の声から温度が下がる。じわりと黒く粘ついた気配が漂い始めたが、ここで引いたら負けだ。
「だったら証拠見せて下さい。ないなら別の骨董屋さん連れてきて鑑定し直してもらいます。一千万より安かったら詐欺で訴えますよ。あと、貴方の態度は脅迫です」
「てめぇ」
「あ、それです。その態度。こわーい」
梨花は自分の肩を抱きしめ、体を震わせた。半分は演技、半分は本気である。
「どこが怖がってんだよ」
男から暗い怒気が薄れ、呆れの方が表面に出てきた。よし、もう一押しだ頑張れ私、と背筋を伸ばしだところで。
「こら。いい加減にしなさい」
梨花の後ろから放たれたぽすんと軽いチョップが、赤髪に直撃した。
「でもよ」
「でももしかしもないの」
「ちっ」
いつの間にか起き上がり梨花の真後ろに来ていた晴明が、頬を膨らませている。意外なことに赤髪の男は怒ることなく、舌打ち一つで威圧的な空気を霧散させた。
「はあー。良かった」
「わっと」
さらされていた重圧がなくなり安堵した途端、足から力が抜ける。よろめいたところを、見た目よりも力強い手で支えられた。背中にあたる硬い胸の感触も、思ったより広く筋肉質で少し驚いた。
「うちの従業員がごめんなさい。お詫びというわけではありませんが、よかったら、うちで住み込みで働きませんか? 正社員雇用。福利厚生もあり。従業員には女性もいます。仕事内容は主に事務と僕の手伝いですから、骨董の知識も要らないです」
「いいんですか!」
「もちろん。君なら大歓迎です」
目下失業中でネカフェ生活の梨花にとっては、渡りに船の提案である。
にこにこと呑気そうな笑みを浮かべる晴明が、神か仏に見えた。
「神前梨花と言います。よろしくお願いします」
「こちらこそ。僕は土御門晴明。よろずあやかし骨董屋の店主兼、陰陽師もやってます。最近の梨花さんの怪奇現象も解決できると思いますよ」