最愛の皇帝陛下。わたくし、皇国に反旗を翻させていただきますわ。
《鉄血の乙女》アーシャ・リボルヴァは、皇帝陛下を崇拝している。
そう言っても過言ではないほど、心酔し、愛を捧げていた。
しかしある日、正妃の座をかけて争っていた相手が、皇帝陛下の暗殺を目論んだとして拘束されてしまう。
ーーー納得がいきませんわ!
相手の自滅によって得た正妃の座では、満足できない。
陛下の心よりの愛を得てこそ、その座には意味があるのだから。
そう考えたアーシャは、ライバルの処遇が決まる公開判決の場で、陛下に宣誓する。
「皇帝陛下! わたくし、皇国反乱軍を結成したしますわ!」
これはめちゃくちゃズレた公爵令嬢が、陛下の愛を勝ち取るために皇国の不穏分子を平定していく、恋する狂気の物語。
「そなたに、皇国南部領への移住を命ずる」
玉座の間で行われた、公開判決。
その場で皇帝陛下が口になさった言葉は、事実上の死刑宣告だった。
ーーーこれでは、自滅ではありませんの。
公爵家の娘、アーシャ・リボルヴァは、宣告を受けた少女にチラリと目を向ける。
【魔力封じの首輪】を嵌められた首筋を、両脇の兵に押さえられた褐色肌の彼女は、床を見つめながら歯を噛み締めていた。
ナバダ・トリジーニ。
皇帝暗殺を目論み、拘束された彼女は、アーシャの恋のライバルだった。
西部の有力氏族の娘であり、美貌と膨大な魔力を持つ少女だ。
「嬲り殺されろ、ってことね」
陛下への、不敬なナバダの口の利き方に周りがざわつくが、黒髪と、眼光鋭い端正な顔立ちを備えられた陛下は表情を変えず、むしろ。
ーーー面白がっておられますわねぇ……。
強さを好む皇帝陛下は、彼女に目を掛けていた。
事実、ナバダの正体が有力氏族より遣わされた暗殺者だったと知っても、特に見る目に変化がない。
故にこそ、アーシャは不満に思っていた。
ーーー暗殺を目論むのなら、もう少し上手くやったらどうですの!?
全くもって、納得がいかない。
皇帝陛下の妃候補として、彼女に負けるつもりなどまるでなかったけれど、周りの評価はアーシャかナバダか、と二分されていた。
それが、直接攻撃による暗殺などという、毒を盛るよりも思慮の浅い下策によって相手が勝手に落ちぶれても、まるで勝った気がしない。
ーーーこれでは、陛下の御心をわたくしが射止めたとはとても言えないですわ!
事実、ナバダの行為は周りからしたら驚天動地の行動だったのかもしれないが、陛下ご自身のお気には召した様子だった。
逆に毒を盛って露呈していたのなら、即座に首を刎ねられていたはずだ。
だから判決は、南部貴族領への僻地送り。
彼女が住んでいた西部の氏族と不和のある辺境伯の領地なので、その後の扱いを考えれば死刑宣告に等しいが、死刑ではない。
彼女の才覚なら、生きる目がある。
参列した貴族たちのざわめきは収まらない。
宣告の内容にも、彼女の態度を許す陛下にも、困惑しているのだろう。
そんな中、アーシャは静々と前に進み出た。
「……アーシャ」
傍らに立っていた公爵である父が声を掛けてくるが、軽く微笑みかけただけで、足は止めない。
『化け物令嬢だ……』
『《鉄血の乙女》が……』
貴族たちのざわめきが大きくなる中、ナバダの斜め前に進み出て、彼女に声を掛けた。
「無様ですわね」
「……見下ろしてんじゃないわよ、皇帝の雌犬が」
「あら、わたくしの陛下への敬意を理解して下さって光栄ですわ!」
彼女が口汚い言葉を発したが、それが素なのだろう。
今までの鼻につくようなすました口調に比べれば、遥かに好感が持てる。
ナバダから目線を移し、最愛の存在である陛下のご尊顔を見上げながら満面の笑みを浮かべた後、アーシャは優雅に膝を折った。
「皇帝陛下、わたくしに、少々発言をお許しいただきたいですわ!」
「許す」
「感謝いたしますわ!」
顔を上げたアーシャは、チラリと周りを見回した。
目が合った貴族たちは、ある者は息を呑み、ある者は目を逸らし、ある者は頬を紅潮させ、ある者は眉をひそめる。
正反対の反応の理由は単純で、自身の容姿にあった。
アーシャは背こそ低いが、手足はすらりと長い自負があり、自慢の縦巻きブロンドは枝毛の一本すらない。
そして顔立ちは、白磁の人形のように整っている、と評されていた。
ーーー顔の、左半分だけが。
右半分は、醜い火傷痕によって覆われ、まぶたと眼球がなかった。
その為、左目と同じ色あいの義眼を入れている。
貴族の中で恐れを見せた者は右に、好意的な反応を見せた者は左に立っていた。
しかし、アーシャは顔を隠さない。
この顔の傷は、妹を魔獣から庇った時に灼かれて出来たものであり、とても誇らしい傷痕なのだ。
父母には、世間体ではなく、アーシャを不憫に思って隠すように言われた事はある。
しかし。
ーーーわたくしは、この容姿があるからこそわたくしなのですもの。
それでも気を張っていた面もあり、容姿にとやかく言われるのが煩わしかった時期もある。
ゆえに、文武どちらにおいても人一倍の努力をし、誰よりも愛想良く過ごすことも覚えたが。
今は周りの反応など、まるで気にならない。
それもこれも全てーーー皇帝陛下と出会ったから。
ある日、父の都合で早く帝城を訪れ、初めて参加する夜会の始まりを、庭で花を眺めながら待っていた時。
ふらりと現れた、飾り気のない服装で、剣を佩いて現れた、下位の騎士のような鋭い目つきの男。
そのままジッとこちらを眺めてきた失礼な男に、笑みと共に声を掛けたのだ。
『何か?』
聞くまでもなく顔のことだと思ったが、男は、予想に反して言葉を濁さずハッキリと聞いてきた。
『その顔の傷は?』
『これですか? 昔、妹を襲った魔獣を倒した時につけられたものですわ!』
『ほう。そなたは、武を嗜まれるか』
むしろ興味深そうに言われて、アーシャは目をパチクリさせた。
『確かに、鍛え上げられた佇まいをしている。ーーーそなたは、美しいな』
無表情にボソリと呟かれた言葉だったが。
なんの含みもなく、本心から出た言葉だと、何故か分かった。
『ありがとうございます。貴方は、変わった殿方ですわね!』
傷を負った後、父母以外から本心で褒められたのは初めてだったので、嬉しくなったアーシャは彼に近づいた。
『今夜の夜会には、参加されますの?』
『ああ』
『でしたら、ぜひお話してみたいですわ!』
その場でのやりとりは、それだけだったが。
夜会で玉座に現れた彼にアーシャは面食らい、さらに一番に傍に招かれたことに、夜会全てがざわめいた。
陛下は無表情で言葉少なだったが、こちらの話に楽しげに耳を傾け、時折うなずきを交えて冗談と思われる言葉を口に上らせた。
そして数度の夜会の後、妃候補として名を挙げていただいたのだ。
今の自分を美しいと言った、唯一の肉親ではない異性。
心を惹かれるのに、長い時間など要らなかった。
ーーー陛下の妃に。
彼の心を……第三代バルア皇国皇帝アウゴ・ミドラ=バルアの心を射止めるために、さらに努力を重ねた。
そうして、ようやく正妃候補が二人に絞られ、後一歩、というところで。
「わたくし、相手の自滅で正妃となることに、まるで納得がいきませんの!」
高らかにそう告げたアーシャは、真っ直ぐに陛下のご尊顔を見据えながら、言葉を重ねる。
「御心のままに、陛下がわたくしを選ぶことこそが、望みですの! 故に、ご提案がございますの!」
「聞こう」
陛下は、表情を変えない。
しかし瞳の色から、面白がっているのがありありと分かった。
「わたくしはこれよりーーー」
その期待に応えるべく、アーシャは宣誓する。
「ーーー陛下に楯突く者全てを連合させた、反乱軍を結成いたしますわ!」
アーシャの言葉を受けて、場が静まり返る。
何を言っているのかとあっけに取られている者たちの中で、父がまるで苦悩するかのような様子で首を小さく横に振っているのが、視界の端に見える。
「……真意を」
「わたくしは陛下の愛を勝ち取り、その傍らに立ちたいと願っているのですわ! ですから、不穏分子を平定し……」
アーシャは、肩に纏ったレースを重ねた赤い肩掛けの下に両手と扇を差し込む。
「わたくしの私兵とした後に、改めて陛下のお側に戻ることといたしますわ!」
扇を仕舞い、そこに隠していた物のグリップを代わりに握って、大きく両手を広げる。
それは、竜の意匠を施し、銃身の先に片刃の細い刀身を備えた双銃。
魔力が乏しく、体格にも恵まれなかったアーシャが、歴戦の勇士とすら渡り合うことを願って扱い続けた、魔力によって弾丸を放ち、刀身を伸縮させる唯一無二の武器。
異形の容姿と、恋する狂気と、この武具を操ることをもって、アーシャはこう呼ばれている。
「ーーー《鉄血の乙女》の名にかけて!」
反乱軍の結成。
それが、ナバダが捕まったと聞いた時から、考え抜いた末に出した答え。
皇国は強大で広大だが、その分、不和や軋轢も多く、併呑した民族などによる反乱の火種も数多い。
ならば、それらを平定させれば、アーシャは陛下にとっての唯一無二となれるはず。
「わたくしが陛下に納める婚礼の財は、自らの手で勝ち取った皇国の平和……御許しいただけますか?」
「許す」
即答だった。
それでこそ陛下、と思いながら双銃を仕舞ったアーシャは、続いて扇でナバダを示す。
「でしたら、ここに転がっているコレを貰って、わたくしは南部に向かいますわ!」
「はぁ!? アンタ、何言ってるの!?」
「お黙りになって。ゴミに発言権はございませんの。今は無様に転がってるコレが、それなりに役に立つ事は陛下もご存じでしょう?」
「許す。……アーシャ」
「はい」
それまで無表情だった陛下が、わずかに顔を綻ばせる。
「……期待している」
アーシャは、晴れやかな笑みでそれに応えた。
「ーーー必ずや、ご期待に応えてみせますわ!」