この世界はあらゆる方面に配慮されているため安全です。
10代のうちは見るもの、書くもの、聞くもの、話すもの、あらゆることに制限があります。例えば人に命を落とすことを命令する**を口にすることはできませんし、血を見る時は視界一面がピンク色のボールと形容できるもので覆われます。また僕は母親以外の異性に触れたことがありません。*の歪みを防ぐためです。人の温もりを経験したのは愛着形成が必要とされる本当に小さい時だけなので、今は両親とも声だけの存在になりました。**い世界のようですが自由恋愛は認められているので、誰かを好きになって顔を見られたらいいなと……ああ、早く彼女を作って正しい大人になりたい……。
「おいそこの**、その**みたいなゴーグル外せ**だッ!!」
緊急事態、いきなり誰かに捕まれました。
乱暴はやめてください安全装置が壊れ
……僕は生まれて初めて女の子を見ました。
状況整理。いつもどおりに登校中でした。横断歩道の前で左右の確認をして、手を挙げて渡りました。通りすがりの人とぶつかり謝ることも、話をする行為もありませんでした。では、どうして僕は殴られたのでしょうか?
この居住区はδ16B区。つまり、αからιの9段階の知能ランクに区分されたうち、およそ13歳から16歳の人が集められているB区と呼ばれる地域です。とはいえ、どの地域であっても、安全装置をつけていない人は一人もいないはず。理不尽な暴漢の存在はゼロに等しいです。
経過整理。相手は安全装置を外せと言いました。僕がすぐに行動を取らなかったので、代わりに殴って壊したのでしょう。でも的確に狙えるなんてありえません。僕らがつけているものは、人とぶつかることがないように視覚を調整するはずだからです。この広い公道ではなおさら、相手が僕の正確な位置や頭を正しく認知して殴ったとしたら、安全装置の装着を罷免されたスポーツ選手か、安全装置を持たない異端者としか……。
疑問提起。僕に話しかけてきたのは誰でしょうか? 目の前の状況を正しく認識する必要があります。僕がなんらかの非礼をして、相手を怒らせてしまった可能性もありますから。
……。
観察結果、および推測。もしかして相手は女の子でしょうか? 肩まで茶色い髪を伸ばしていて、瞳も茶色。背は僕より低めで、体格が男性のそれとは違います。ツナギのような服を着ています。安全装置はありません。つり目。怖いです。とても機嫌が悪いようです。
「はじめまして。僕がなにかしてしまいましたか?」
「は?」
「復唱、はじめまして。僕はなにか、あなたによくないことをしてしまったのでしょうか?」
「……」
「転換復唱。事情を理解できないので、理由を教えていただきたいのですが」
「教えてほしいのはこっちだ。私を邪魔するつもりでふらふらしていたのか?」
「いいえ、そのつもりはありませんでした」
「じゃあ安全装置のせいで視界がブレてんのか? てかおまえ、その話し方、キモい」
「キモい?」
奇々怪々。聞き慣れない言葉です。僕は首をかしげました。きもい。キモイ……おそらく形容詞でしょう。頭に浮かんだのはイモリ。でもこれは名詞です。
「なにその目……ああー、そっか、わかった。その気色悪い機械外したことないから、悪口を耳にしたことがないんだな?」
「……悪口? 悪口ですか!?」
緊急事態。慌てて口をふさぎました。視界も手で遮りました。見てはいけないはずの異性を観察して、さらに"キモい"という悪……ンンをリピートしてしまいました。安全装置が完全に壊れていなければ、会話も管理局に聞かれています。犯罪者予備軍として逮捕されるかもしれません。
「覆水不返……」
「なんだって? え、てかおまえ泣いてんの?」
「僕は情状酌量の余地があるでしょうが」
不可抗力。人力で悪口や視界を制御できないのは仕方がないことです。泣いているのは、不安が込み上がってきて、またやってはいけないことをしてしまいそうで、怖いからです。
「危急存亡、あなたは僕が安全装置をつけている間も、よくなさそうな言葉を口にしていました。しかも人に暴力をふるって、安全装置を壊しました。天国行きの確率は極端に高いでしょう」
「……天国ねぇ。はぁん。ここに住んでいるやつらは、屠殺場をそう呼んでるのか」
疑惑浮上。僕と女の子の間には共通認識が足りないと思われます。僕はもっと良い伝え方がないかと、口をもぐもぐさせて言葉を考えました。彼女はB区の外から来たのでしょうか?
「その変なしゃべり方も、機械に育てられてそうなってんのか。見た目は人間なのにな。ふぅん、これが機工人形……」
「ちゅ、注意喚起!! 触ると罪が増えますよ!?」
緊急回避。二の腕をぷにぷにと押されました。回避と言っても、すでに腰が抜けていますが。
ふと地響きを感じました。だんだん大きくなっています。こっちに、トラックかダンプカーか、大きなものが近づいている?
「チッ。苦労して侵入したが、そう長く留まることはできなさそうだな」
女の子が言いました。
「疑問提起、あなたは一体どこから……おわっ!?」
「まあいい、機工人形一つ連れ帰れば、少しは収穫になるだろ」
疑心暗鬼。女の子は怪力ですか? 明らかに身長と体重が上であるはずの僕を軽々と持ち上げて肩に乗せています。ごつごつしているので、ツナギの下に機器を身につけているのかもしれません。もしくは彼女自身、ロボットなのか。
行動不能。僕が暴れないようにするためでしょう、手足を力技で拘束されました。視界を覆えない。
……良い匂いがします。花のような果物のような、甘くて不思議な匂いです。もやもやと胸が熱くなります。すぐに異変が起こることはなさそうですが、遅効性のガスを放出しているのかもしれません。危険回避。極力呼吸を抑えます。
周囲を聴取。がたごとと走って現れた四角い警察たちが、黒い筒を僕と女の子に向けながら、取り囲みます。警察は管理局直属の組織です。普通の生活をして出会うことはありません。女の子は一体、どんな罪を重ねてきたのでしょうか。
「ようマザーの犬共。おまえんとこのガキ一匹もらってくぜ」
女の子がダンと地面を蹴りました。するとヒュンとバネみたいに宙へ飛びました。ドバーンと、天井の青空パネルがぶち抜かれました。
奇想天外。この女の子、人間でしょうか? 実は警察たちに近い存在ではないでしょうか? 下の方で、僕とは違う形で作られた無機質型の人──四角い警察たちが、ぐんと黒い筒を掲げます。
「女の子! あなたは人間ではないのですか!?」
「なんだその呼び方。ミニャって呼べ」
「ミニャ! あなたは人間ではないのですか!!?」
「人間だよアホウ。てか人間じゃないのはおまえの方だ」
「なぜそんな……?」
びしっと痛いものが頬をかすめました。痛覚認知。警察が発砲しています。つうっと唇の端まで垂れてきた滴は、なめると確かに鉄の味がしました。
ミニャは打ち上げられる危険な雨の中をすいすいとかわして、真っ暗な煙の中に入り込みました。途端に音が消えます。
「射程外だな」
ミニャがぴゅっ、と短い口笛を吹きました。するとバサバサと、鳥が大きく羽ばたく音がして、ミニャはよく見えない何かを握りました。垂直移動していた僕らはぴたりと止まり、ぐらぐらと揺れながら水平移動を行うようです。
「作戦終了、帰投だ。行け」
暗雲を抜けると、真上に巨大な鳥が現れました。ゆうに五メートルはある、灰色の猛禽類です。吃驚仰天、僕がぎゃあと声を上げると、ミニャに「うるせぇ落ちたいのか」とたしなめられました。
……冷静さを誘致、心を転換、深呼吸。高いところから落ちたら危ない。大きな声を上げたら鳥がびっくりしてしまうでしょう。反聴内視。
「ミニャさん」
小声に変えて、僕はミニャに聞きました。
「僕をマシンノイドと言いましたが、僕は正真正銘、人間です」
不安定な高所を顔色ひとつ変えずに飛んでいるミニャは、じろりと目だけを動かしました。
「人間以外から生まれて人間に育てられていないおまえは、本当に人間って言えんのか?」
……理解、不能。
「より正確に説明します。僕の名前はT21FAです。母はO21FZ、父はJ453M、なんの変哲もない、真っ当な人間です」
「機械じゃねぇか」
「僕の体に金属パーツはありません。ここから落ちたら、赤い体液を散らし大破するでしょう」
屁理屈を思案。ミニャさんの体の方が明らかに機械です。
「名前、Tなんとかだっけ?」
「通名はニーフです。ミニャの本名は?」
「ミニャがフルネームだが?」
青天の霹靂。世の中に番号のないフルネームを持つ人がいるなんて。役所の手続きはどうするのですか?
ミニャは少し沈黙してから、ふと話題を変えました。
「おまえ、子供がどう作られるか知ってるか?」
「……当然至極。両親が工場に製造申請をして、欠陥のある人間が生まれないようにマザーのチェックを受けながら作られ、完成した赤ちゃんはコウノトリにより家に届きます」
「そのマザーっていうのがあれだろ?」
空高く飛ぶ僕らの視界に、黒いドーム状の施設が見えてきました。大きい。街一つ覆えるくらいです。ピコピコとした、警察たちが目として使う時のカラフルな光がたくさん動いています。魂飛魄散。迫力に思わず息を呑みました。僕もマザーを直接見たのは初めてです。
「原料から人類を製造管理する母なる機械。昔の人間は、ああいった存在を神と崇めていたらしい」
「カミ?」
「戦争の火種のひとつだ。ま、おまえは教えられていないだろうな」
大きな鳥が羽ばたきを強めて、ひゅるりとマザーから遠ざかります。
漠然と思考。僕はこれからどこに行くのでしょう。家族や友人にしばらくは会えないと思います。心配をかけてしまうことが心配です。
ミニャがやったことは"誘拐"という違法行為です。それに僕が気がついたのは、不可思議な施設に降り立ってからでした……暗雲低迷。