おいしく、ねかせてください
異世界より召喚された『聖なる乙女』のお世話係に任命された優等生のシェリア。
「あたし、サクラ。よろしくぅ」
「シェリアです。よろしくお願い致します」
「やだぁ、シェリたん、ちょーカタイ!」
少々意味不明の言葉を言う少女ではあったが、明るいサクラのお世話係として、そして友として聖なる乙女サクラを支えていく……となるはずだった。サクラが逃亡するまでは。
気づけばシェリアは、魔王の前にいた。
「聖なる乙女よ。我を眠らせてみるがいい」
不死の魔王は聖女による癒しの眠りを欲していた。だがシェリアは聖なる乙女ではない。
正体を告げようとした瞬間、シェリアの体に異変がおきた。
サクラはシェリアにとんでもない置き土産を残していたのだ。
「おまえが、異世界より召喚されたという聖なる乙女か?」
「は、はい……」
震える体をさすりながら、シェリアは「はい」と答えることしかできなった。
「違います」などと正直に伝えれば、この場で殺されても文句はいえない。シェリアの目の前にいる存在は、そういった御方なのだ。
「近うよれ、聖なる乙女『眠り姫』よ。この魔王ダンザを眠らせることができるならば」
天蓋付きのベッドに横たわった魔王ダンザは、シェリアを優しく手招きする。青みを帯びた長い黒髪がベッドに乱れ、漆黒の瞳が怪しく煌めく。
「我が元へ、眠り姫よ」
シェリアは聖なる乙女『眠り姫』ではない。異世界ではなく、アンシア国で育った人間だ
それでもシェリアは聖なる乙女として、ここにいる。身代わりとなるために。
本物の聖なる乙女は、とっくに逃げ出してしまったのだから。
*
かつて人々は凶悪な魔王の存在に怯えていた。強い魔力をもった魔王は、闇に潜む魔物たちに力を与え、たちまち強力な軍勢をつくりあげてしまったのだ。
アンシア国を中心とした連合軍は襲い来る魔物に必死に応戦したが、防御するのが精一杯。誰も魔王を倒せなかった。人間が滅びるのは時間の問題と誰もが思った。
だが神は善良なる人々を見捨てなかった。遠き異世界より、聖なる乙女を光臨させたのだ。
聖なる乙女は魔物によって傷ついた兵士の傷を癒し、清き力で兵士たちに力を与えた。乙女の加護により、人間は魔王討伐軍を結成した。討伐軍は次々と魔物を打ち倒し、ついに魔王の元へたどり着く。配下である魔物たちは駆逐され、孤独な王となった魔王さえ倒せば戦いは終わる。討伐軍の兵士たちは、一斉に魔王を攻撃した。
だが、魔王は死ななかった。
何度攻撃しても、どんな力を用いても、魔王は幾度となく死の淵から蘇ってくるのだ。魔王は不死の魔物だった。
「残念ですが、魔王を倒せません。ですが、眠らせることはできます」
傷つき倒れていく討伐軍を見ていられなかった聖なる乙女は、苦渋の決断する。魔王を倒すのではなく、癒しの力で魔王を眠らせ、魔王城に封印することにしたのだ。
「不死の魔王はいずれ目覚めます。聖なる乙女は再び現れ、魔王を封印の眠りにつかせることでしょう」
アンシア国に語り継がれてきた古き伝説である。
聖なる乙女の言い伝え通り、数百年に一度、魔王は封印の眠りから目覚めた。だが不死の魔王を倒せる者は誰もいない。ならば聖なる乙女を異世界より喚び寄せ、魔王を再び眠らせよう──。
かくして、アンシア国では数百年ごとに異世界より聖なる乙女『眠り姫』を召喚することとなった。
*
十七歳となったシェリアは、アンシア国の王宮へと招かれた。
召喚された聖なる乙女のお世話係を抜擢されたからだ。
華やかで美しい姉とは違い、地味な容姿をしていたシェリアは日々勉学に勤しみ、国一番の成績優秀者となったことを評価されたのだ。
「あたしはサクラ。よろしくぅ!」
「サクラ様。わたくしはシェリアと申します。どうぞよろしくお願い致します」
「やっだぁ。シェリアってば、ちょーカタイ! リラックス、リラックスぅ」
明るい声でサクラと名乗った少女こそ、アンシア国が召喚した聖なる乙女だ。
アンシア国に来たばかりの時は混乱して大声で泣いたが、最高級のもてなしをすると、サクラはすぐに笑うようになった。
「あたし、ドレス着るの初めてなんだぁ。見て見て、シェリア。あたし、ちょーキレイ!」
「シェリアって、なんか呼びにくーい。『シェリたん』って呼んでいい? ね、シェリたん!」
貴族の娘であるシェリアを勝手に「シェリたん」と呼び、大口を開けて豪快に笑う少女ではあったが、サクラは明るい少女だった。
何を言っているのかわからない時も多々あったが、慎重に会話を続けて、意味を推察することで何とか交流することができた。サクラもシェリアを信頼してくれたようで、お世話係としてだけではなく、良き友人として過ごすようになった。
しかし神官による聖なる乙女としての教育が始まると、サクラの表情は一変する。
「もう、やだぁ! 訓練、ちょーキツイ!」
お世話係として、シェリアは懸命にサクラをなだめた。
「サクラ様には大切な御役目がございます。訓練は厳しいとは思いますが、どうかお心を強くおもちください。このシェリア、いえ、シェリたんがサクラ様の御体をお揉みしましょう」
「わぁ、シェリたん、マッサージめっちゃ上手い。あぁ~ん、癒されるぅ……」
サクラが好む飲み物や菓子を常に常備し、神官との訓練時にはサクラに寄り添い、共に訓練を受けた。サクラにはアンシア国で少しでも気持ちよく過ごしてほしい。そして聖なる乙女として、魔王を眠らせてもらうのだ。
「あたし、もうむりっ! 聖なる乙女やめる!!」
ついにサクラは聖なる乙女をやめると言い出してしまった。
「サクラ様、訓練がお辛いのはわかりますが、どうかお心を……」
「お心を強くもて、って言うんでしょ。それ、もう耳タコ! 魔王だが何だか知んないけどぉ。異世界の人間に、世界を平和にしてもらおうってのがサイテー! 自分たちでやれっての」
「そ、それは……」
シェリアはすぐに反論することができず、うつむいてしまった。
サクラはたったひとりで、アンシア国に召喚されたのだ。故郷である異世界には友人が大勢いて、裕福ではないものの、家族仲も良好だったとサクラに教えてもらった。
幸せだったのに、勝手に異世界に喚び寄せられ、少しでも早く聖なる乙女になれと訓練を強いられる毎日。不満を抱いて当然だと思ってしまったのだ。
王宮が寝静まった夜、「ウチに帰りたい」とサクラが声を殺して泣いていたのを、シェリアは知っている。
いっそ自分が代わってあげられたら。
聖なる乙女ではないシェリアには無理なことではあったが、サクラを友と思えばこそだった。
「そうだ。シェリたんが、あたしの身代わりになればいいんだよ」
「え……?」
驚くシェリアの前で、サクラは元気いっぱいの笑顔で告げた。
「シェリたん、あたしと一緒に訓練してたし、あたしより優秀だし。だからなれるよ、うん」
「ですがわたしは、聖なる乙女ではありません、サクラ様」
「そんなの適当にごまかせばいいんだって。しゃーない、あたしがなんとかしてあげる」
手を伸ばしたサクラは、シェリアの頭に触れた。シェリアの髪を静かに撫でていく。
神官たちの許可もなく決めてはいけません。そう言おうとした瞬間。シェリアの視界がぐらりと揺れた。最初は貧血でもおこしているのかと思った。だが違った。強烈な睡魔がシェリアを襲ったのだ。
「サクラ様、な、にを……」
今にもまぶたが落ちそうだ。必死に目をこするが、突如始まった眠気は醒めることはない。
「シェリたん、ごめんねぇ。癒しの力を使ってみたの。あたし、魔王のとこなんかに行きたくない。シェリたん、身代わりになってよ」
言いたいことは山程あったが、もはや言葉にならなかった。とろりとした睡魔がシェリアをゆっくり支配していく。
「ばいばーい、シェリたん」
シェリアに向かって手を振るサクラの姿を見つめながら、シェリアは深い眠りにのみこまれていった。
*
シェリアが目覚めると、自らを魔王と名乗る男が目の前にいた。
「そなたが召喚された聖なる乙女か」
魔王はシェリアを、聖なる乙女と呼んだ。
眠りこけていた間に、魔王城に放り込まれたようだ。周囲を軽く見渡してみたが、誰もいない。サクラはとっくに逃げてしまったのだろう。
「聖なる乙女よ。我を眠らせよ。我は自分の意志では寝られぬからのぅ」
どうやら魔王は不眠症であるようだ。伝え聞いてきた伝承とは、少々話が違う。
魔王というからにはもっと禍々しい存在と思っていたが、魔王ダンザは驚くほど美男だった。
「魔王様、わたくしは聖なる乙女では」
思い切って自分の正体を伝えようとした、その時。シェリアに再び睡魔が襲いかかった。
(どうして……?)
脳裏にサクラの笑顔が浮かぶ。「ごねんねぇ」と謝りながらも、その顔はなんとも愉快そうで。
サクラにとって不利なことを告げようとすると、シェリアに癒しの眠りが発動してしまうようだ。
(眠い……。ベッドが欲しい、お布団恋しい)
目の前には立派なベッドがある。シェリアは魔王が横たわるベッドに歩み寄り、こてんと横になってしまった。
「これ、乙女よ。我を眠らせる前に自分が寝るとはどういうことだ」
自分がとんでもなく失礼なことをしているのは理解している。だが眠くて眠くて、たまらないのだ。
「魔王の前で寝るとは恐れを知らぬ娘だ。そのように無防備だと、そなたを喰ってしまうかもしれぬぞ?」
魔王は不気味な微笑を浮かべている。本気なのか冗談なのかわからないが、眠くてたまらないシェリアには、もはやどうでもよいことだった。
「かまいません。どうか、おいしく、ねかせてくださいませ……」
驚く魔王を見つめながら、シェリアはゆっくりと眠りの世界へと落ちていった。
「ようやく眠れると思ったのに、我より先に寝てしまうとは。なんとも面白い聖女よ」
不眠に悩む魔王と、過眠症にされてしまった偽りの聖女は、こうして出会ったのだ。