悪魔の左手は隻腕の王と夢をみる
第七十二代皇帝:ダリア・フランチェスカ。
帝歴1607年。フランチェスカ家の長女として帝都に生まれた。帝国史上最多の戦争を引き起こした<戦争皇帝>の異名を持つ。国でも有数の剣士だったが事故により隻腕となった後、多くの戦争に関わり、従者である<アザリー・ビリオン>と共に多くの人間を死に追いやった。20歳の年に史上最年少でルシアン帝国第七十二代皇帝となる。同年、国内の反皇帝派の粛清を始め七つの戦争を引き起こした。24歳の年に帝国革命が起き、皇帝を追われたダリアはアザリーと共にフランチェスカ城に籠城。四日後、服毒自殺により死亡が確認。フランチェスカ城の庭園にてアザリーと共に手を繋いで年相応の安らかな顔で死んでいる様は革命軍にすらその遺骸を汚す事を躊躇わせた。ダリアの死が引き金となり、戦争に疲弊したルシアン帝国はその後100年もの間戦争が起きる事は無かった。
「アザリー。後悔はないの?」
「あァ。何ンもねェよ。──アタシ達、これで良かったんだ」
「戦争屋は全員殺したわ。──後は、彼らの選択に委ねましょう」
「人が人を殺す事のない世界、か。懐かしい言葉だ。叶うといいな」
「叶うわきっと。でも、沢山人を殺した私達の居場所はそこにはないから。夢を見ましょう。ずっと、醒めない夢を」
ダリアが笑ってアタシの口に唇を重ねた。
舌の感触と、キコの実の苦い味。人が決して感じてはならない味。猛毒なので当然だ。アタシ達はこれから夢をみる。死という名の長い夢に。2人一緒に。
「やっと、リリーに会えるね」
ダリアの蒼い瞳が涙に濡れる。泣く事なんかないと言いたいが口がもう動かない。返事の代わりに、彼女に唯一残された右手を強く握った。死が近づいてくる感覚。最後に浮かんだの全ての始まりの日だ。
なァ、聞いてくれよ。
ダリアってば、人が人を殺す事のない世界を作るために人をぶっ殺しまくったんだぜ。
イカれてるだろ?
でもさ。そんなダリアがアタシは大好きだったんだ。
♰♰
泣いて神に縋っても何も変わらないと気づいたのは14歳の頃だったか。10年の間誰か殺してくれと願ったヤク中のクソ親父は、ギャングの仲間から貰った銃を向けたら1発で死んだ。──そしてもう一発撃とうとして、あァ、これはかつての夢だ。そう意識が認識すると、アタシの意識は喧しい声によって一気に現実に戻された。
「お姉ちゃん! 聞いてる?」
「あー……ごめんリリー。寝ちゃってた」
「もぉ! あんまり会えないんだからさぁ……」
妹のふくれっ面を見て、こんなにも幸せな時間なのにどうして寝てしまったのだろうと後悔する。
閑静な住宅街の最奥。大きな屋敷の庭の隅でアタシと妹のリリーが隠れて会うのは週に1度程。リリーを引き取った養母と養父が定例の食事会に行っている夜の2時間ほどの時間だ。
「どうこの制服? 可愛いでしょ?」
「悪かねェけど、それ<帝国学院>のだろ? アンタには危ないんじゃ……」
「大丈夫だって! <姉様>も一緒に居て下さるみたいだし!」
仕立ての良い高そうな制服だが憧れは無い。
この国、<ルシアン帝国>は軍事大国だ。戦争を起こす事によって領土を広げ、栄華を築いてきた。
今アタシとリリーが居る場所は帝国の中枢部、帝都ルシアンである。その帝都の中にひと際大きな建物が存在している。それがこのリリーが着ている制服の、<帝国学院>だ。
「だけど、お前がそんな学校に通えるなんてなァ」
「もしかしたら、王様になるかもね」
帝国学院は14歳から20歳までこの国の次期皇帝を決める為に通うこの国最高の教育機関だ。国中からエリートが集められ、ふるいにかけられては捨てられていく。そんな学校に相応しいとは思えないリリーは笑っているが、記憶力が異様に良いのだ。一度読んだり見たモノを忘れない絶対記憶能力を持っている。アタシと一緒に貧民街で育ったリリーだが、その能力を見抜かれて<名門フランチェスカ家>の養女となったのだ。
「だから安心して。きっと平和な国を作ってお姉ちゃんを──」
「リリー。何をしているの?」
リリーの話を遮るようにして冷たい声が響き渡った。
屋敷の方から歩いてきたのはダリア・フランチェスカ。フランチェスカ家の長女にして名だたる剣士様でもある。金色の髪を一つに纏め、男装のような恰好に腰からは剣を下げているいけすかない女だ。
「課題は終わったの? 入学前に全部やっておきなさいと言ったでしょう」
「すいません姉様。すぐにやります。お姉ちゃんごめん。またね」
名残惜しそうにアタシの頬に軽くキスをするとリリーは肩を落として屋敷の中へと走って行ってしまった。リリーが屋敷の中に入ったのを見届けると、アタシはダリアを睨みつける。
「人の妹泣かしてンじゃねェよ。殺すぞ」
「課題をやっていないのは事実よ。母様達がそれを知ったらどうなるか想像つくでしょう?」
「はっ。ンで、何の用だよ?」
ダリアとも長い付き合いになった。リリーとこっそり密会していたのを見つかったが、こいつは家族にチクる事はしなかった。それどころかどうすればバレないかを一緒に考えてくれた一応の恩はある。いけすかない奴でよく口喧嘩をするが、そこまで嫌いではなかった。
「…………あの、リリーに入学祝を送りたいのだけれど、あの子が欲しいものとか知らない?」
「……は?」
「リリーの欲しいものよ。本当の姉なのだからそれぐらい知っているでしょう?」
「……金かな?」
「貴女に聞いた私がバカだったわ……」
ダリアがため息をつく。こういう時、本当に自分が嫌になる。アタシはリリーの欲しいものがわからない。貧民街出身だからか。ギャングに所属しているからか。クソ野郎だからか。発想の貧困さに呆れてしまう。
「三日後、母様達が出かけるの。またこの時間に三人で会いましょ? 貴女もプレゼントの一つぐらい用意できるでしょう?」
「仕事じゃなかったら来るよ」
「ねぇ、アザリー。貴女は悪い人じゃないわ。養女は無理でも従者ぐらいならこの家に──」
「うるせェな。おまえ、アタシの仕事の事知ってンのにそういう事言うなよ」
「……うちの母様や私だって、貴族と呼ばれているけど戦争を引き起こす家の人間よ。それに比べれば……」
「話は終わりだ。じゃあな」
苛立ちと共に柵を超えて庭を出て帝都を歩く。誰も彼もが幸せそうな顔をして、貧乏臭い格好のアタシを憐れんだ目で見る。警官もアタシから目を離さない。足早に街中を突っ切ると、アタシとリリーが育った貧民街の入り口まで辿り着いた。境界線を踏み越えて、一人嫌な笑いを浮かべる。リリーには向こうの方が相応しい。
「待ってたよ。<悪魔の左手>。仕事の時間だ」
感傷に浸る間もなく貧民街入り口で覆面の男に声をかけられた。名前は知らない。どうでもいい。
いつもの仕事の仲介役だ。今日もアタシに相応しい仕事を持ってきたらしい。
「7番街倉庫、標的は<Fortis Lupus>の構成員3名。写真はこれだ」
「報酬は?」
「3万リーヴだ」
「やるよ。丁度金が欲しかったんだ」
「ほぉ。最近、貴族殺しの依頼も多いぞ。最低でも10万リーヴだがどうする?」
「ふざけんな」
左手で右胸のホルスターから銃を抜いて覆面に突き付けた。
銀色の巨大な回転式拳銃だ。10インチを超えるバレル。どう見ても対人で使うには威力が大き過ぎる代物だ。この銃を使っている所為で、<悪魔の左手>なんて最悪な異名までついてしまった。
「口の利き方に気をつけろ。契約はギャングだけだ」
「それは失礼」
男と別れた後は最悪だった。
七番街倉庫まで行き、何の脈絡もなく何の感情もなく銃をぶっ放す。轟音と共に肉片が飛び散った。恐怖に怯える男に1発。背を向け走り出した男に1発。人に当てる威力の弾ではない。死体は見るも無残だ。仲間が来ない内に走りだす。逃げながら、呪いの言葉を吐き続けた。
いつまでこんな事が続くンだ。
殺し殺され金を稼いで。
まともな奴になりてェんだ。
リリーの前では良い姉貴で居てェんだ。
でも金がねェんだ。
学もねェから体売るしか貧民街の女は稼げねェんだ。
なァ、人殺ししかできねェアタシは一体どうしたら良いんだ?
夜の街をひたすらあても無く走った。帰る場所なんてない。
ギャングのたまり場に居場所はない。睡眠をとるだけの場所だ。やがて、辿り着いたのはアタシには一番縁遠い場所。──フランチェスカ家の屋敷だ。
「リリー……」
会えないのはわかっている。帰ろうとしたが、様子がおかしい事に気づいた。
門番が倒れている。深夜だから気づきにくいが、屋敷の明かりも何時もより少なかった。
嫌な予感が頭をよぎる。あまりに綺麗な殺し方だった。拳銃をホルスターから抜き、ゆっくりと屋敷の中へと入る。
(血の匂い……)
頼むから無事で居てくれと神に祈る。その度に裏切られて来たのに。それでも懲りずに祈った。
唯一の希望はダリアが国内でも有数の剣士だという事だ。メイド達の死体を確認しながら、せめて2人だけは生きていて欲しかった。やがて、廊下の奥。食堂付近で争った形跡を確認した。ドアを開け、中を確認すると酷い惨状が見える。夥しい数の死体に壊れ果てた食堂。その中心に、血だらけのダリアが座り込んでいるのが見えた。膝にはリリーがもたれ掛かっている。
「ダリアッ!? 何があったンだよ!? 説明しろ!」
「リリーが息をしなくなったの……。さっきまで喋っていたのに……」
返り血を浴びたダリアが虚ろな目でこちらを見ずに呟く。服はボロボロで左手が変な方向に曲がって千切れかけている。あまりの衝撃に何かを叫ぼうとしたが、先にダリアが呟いた。
「決めたわ私。リリーの願いを叶える……」
泣きたいのに。叫びたいのに。血走った目をしたダリアの迫力に圧されて何も言えない。
「リリーは人が人を殺す事のない世界を願った。私は、戦争屋の娘としてそれを叶える。逆らう奴は全員殺して、戦争を起こして、人が人を殺す事のない世界を作るの!」
イカれてる。言っている事が矛盾している。
それでもアタシは、寂しかったのか。何かをしてやりたかったのか。自分でもこの感情に答えを出せないまま、ダリアとリリーに近づき、ようやく涙を流しながら2人を抱きしめ言った。
「いいぜ。その地獄。最期まで付き合ってやる」