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花咲かお江戸のあやかし奇譚~お姫様にはお見通し~

花のお江戸八百八町、千住品川四里四方。

あやかし三軒、間口は一間(いっけん)。奇妙奇天烈、テケレッツノパ。

とうざい、とうざい。彼岸此岸(ひがんしがん)の垣根に寄るは

紅いべべ着たされこうべ、されこうべ。

いざや、さあさあ。ちょいとのま。お代は見てのお帰りよ。


 何十日、いや何年? そうやって走り続けているのかもわからない。ただ、ただ、そうしなければならなかった。それが本能というものなのだろう。

 ひたすらに山を越え、川を渡り、そうして野に果て朽ちる。そうなる運命だった。

 だが――。


「死んじゃったの? かわいそうだねえ」


 倒れ込み、力のなくなった耳に、童女の高い声が響いた。この童女の肉を喰らい血で喉を潤せば、この生も今少し伸びるかもしれない。しかし、すでに顔を上げることすらおっくうになっている。もういい。最後に哀れんでくれた童女へせめてもの警告に「うう」とうなり声を上げた。


「あ、生きてる! じゃあ待っていて、お願いしてくるから!」


 のぞき込んだ童女はそう言うと、真っ黒な瞳を輝かせ笑った。




「幽霊ぇ!?」

「そうそう。養生所でね、出るらしいのよ。女の人の幽霊」

「あほか。鈴、そんなもんほっとけ。あそこの連中はおつむがちいっとばっか弱いから信用すんな」


 鈴は「銀次兄さんって、本当に失礼ね」とこぼしながらも、差し出された茶碗におかわりをよそった。


「だいいち、このお話だって元はと言えば養生所見廻りの安治川様からお聞きしたのよ。金ちゃんにも確認してもらっているし、嘘ってことは絶対にないわ」


 自信満々に唇を軽く尖らせ胸を張る。娘島田に結った艶やかな髪に、揃いの黒であつらえたような大きな瞳。数え十六、娘盛りといっていい鈴だが、まだまだ子どもじみた仕草が多い。

 そんな言い草に条件反射で気分を害し「ハッ!」と一言吐き出して残りの飯を口の中に放り込む。この不機嫌極まりない若い男は銀次。六年前、とある理由で鈴を養い子として引き取った岡っ引きである。

 広めの月代(さかやき)、細めの(まげ)を軽く斜めに結い、裏地に破れ青海波紋の着流し姿はどう見ても岡っ引きには見えない。一見すると、役者かどこぞのお店の若旦那かと思われる。


「そんなわけだから、私これからちょっと養生所まで顔を出してこようと思うの。銀次兄さん、お茶碗ちゃんと桶につけておいてね」

「顔なんざ出さなくてもいい」

「なんでよ」

「たとえそいつが本物の幽霊だとしてもだ。だいたい、そんな必要どこにもねえだろ……」


 そう言いきる前に、銀次の帯から根付けがぽろりと転がり落ちた。

 不機嫌そうな顔をさらに歪めながら銀次が根付けを掴もうとするも、その狸姿の根付けはまるで銀次から逃げるようにころりころりと転がり続ける。


「くそっ! 待て……」


 追う銀次の手をすり抜け、狸の根付けは鈴の膝元にまでたどり着くと、勝手にぴょんっと飛び跳ねくるりと回った。

 さすれば、あら不思議――。

 ポンッという腹鼓(はらづつみ)の音が鳴るとともに、小さな狸が姿を現した。


「おいこら、金太。鈴の膝からどきやがれ!」

「いやいや、銀ちゃん。いけんよう。わし、びっくりするやない」


 鈴の膝の上に着地した狸は、そのままぽってりした腹を見せてちゃっかり居座りを決めた。そのくつろいだ姿がまた銀次には腹立たしい。


「この阿呆! 誰が出てきていいと言った? ああ?」

「誰……て、わしは姫さんに呼ばれたけん、出てきとーぞな。のう?」


 狸の金太に問われた鈴は、その柔らかな腹を撫でながら笑う。


「金ちゃん、せっかく出てきたのだから銀次兄さんに養生所の幽霊のお話をしてあげてちょうだいよ。そしたらきっと兄さんの機嫌も直るわ」


 根付けが狸に変化するのも、その狸が人の言葉を話すのも当たり前のように流す鈴と銀次。ただし、銀次の眉間には相当深い皺が刻まれており、直るような機嫌など持ち合わせてはいないようだ。

 そんな苦虫を噛みつぶしたような銀次を横目に、金太は小さな指で長い鼻面を掻きながら嬉しそうに言った。


「ほんなら銀ちゃんのために教えちゃるぞな――」


 狸の金太が鈴に請われ、小石川養生所へ向かったのが、昨晩の丑三つ時。酒徳利片手に養生所へ着くと、女が一人立って泣いていた。向こう側が透けて見えるほど薄い姿の女は一目でこの世のものではないとわかる。話を聞く前にまずは一献と金太が杯を差し出しても、女は袖で顔を隠しながらシクシクと泣くだけで、その場から動こうともしない。いくら金太が話しかけても女が纏う鬼火がふわりふわりと揺れるだけだった。仕方がないので何一つ喋ろうとしない女の泣き姿を肴に、金太は徳利が空になるまで飲み干して長屋へ帰ってきたという。


「なんで酒徳利担いでいく必要があるんだ? ……って、待て! そりゃ俺の酒じゃねえか!」


 とっときの酒を持っていかれたことを知った銀次は、ちょこんと出ている狸の耳をぎゅうっと引っ張った。


「あひゃあ! いけん、バレよった!」


 慌てて銀次の手を振りほどき、金太は鈴の後ろに隠れ帯に張りついた。


「兄さん、金ちゃんの話の腰を折らないで。さ、それで、金ちゃん。その女の人の幽霊のことで、何か気がついたことはあるの?」

「泣いてばかりだったけん、ようわからん。……が、ほーよのう。袖んとこに小さい着物抱えよったな」

「小さい着物……。お母さんなのかしら?」

「どうじゃろ。けど、ありゃあ放っとけばすぐにうさる。もう、うすーくなっとるけん」

「え。じゃあ、急がなきゃ! 金ちゃん、戻ってちょうだい」


 鈴は弾かれるように立ち上がった。それと同時に金太に手をかざすと、帯に抱きついていた金太は煙のように姿を消し、板の間には根付けの狸がコロンと転がる。


「いやだからなんでお前が急ぐんだよ。おい、鈴!」


 銀次がサッとその根付けを拾い、ぽいっと袖の中に放り込む。


「だって、可哀想じゃない。小さい子どものお母さんが幽霊になってるだなんて。きっと何か未練が残っているに違いないわ。とにかく、様子を見てこなきゃ」


 手早く後片付けをしながら、身支度をする鈴に、銀次が小さく舌打ち混じりのため息をついた。


「くそう。本当に仕方ねえなあ……」




 小石川伝通院のあたりを縄張りとする岡っ引きの銀次は、とにかくやっかいごとに巻き込まれやすい。

 子供の頃から頭も良く力も強かった銀次は、やたらと周りから頼りにされた。あちらのもめ事こちらのいさかい。なんでもかんでも請われ、そして巻き込まれる。


 そうして十二の歳、あるお武家さんの子息を、大立ち回りの末にやり込める事件を起こした。近隣でも鼻つまみものであっただけに、皆喜んだが話はそこで終わらなかった。

 そのお武家さんからの差し金かどうかは知らないが、ある日突然銀次がどこぞに雲隠れした折には、お決まりの流れを辿ったものだと思われた。


 ――それから九年ほどたったある日のこと。何の前触れもなく銀次はひょっこり戻ってきた。

 そのうえ隣には綺麗な黒瑪瑙のようなおめめをした、数えで十ほどの可愛らしい女の子を連れていたというものだから、長屋中竈をひっくり返したような大騒ぎとなった。

 すわ、隠し子!? という周りの騒ぎにも不機嫌そうに耳をほじりながら『大恩ある人から預かった』という一言だけで、今に至っている。


 さらにその騒ぎから六年。いつの間にか手札を手に入れ岡っ引きとなった銀次は、今日も今日とて養い子の鈴と、そのおまけたち(・・・・・)のやっかいごとに振り回される毎日だ。




「よう。久しぶりだな、銀次」

「なんでてめえがいやがんだ」


 巨体に似つかわしくない低い物腰で挨拶する安治川善之進の顔を一瞥し、銀次はそっけなく返事をする。


「あははは……。仕事だからな……」


 眉間に皺を寄せる銀次の顔色を伺いながら、この大きな養生所見廻り同心はあわてて笑顔を繕った。

 元々小石川に住む下級旗本の末っ子だったのが、何の繋がりか南町奉行所同心安治川家の養子となった善之進は、幼馴染の銀次を一番やっかいごとに巻き込んだ男だ。そのせいもあり先代の跡を継ぎ、養生所見廻りとなった今でも銀次に頭が上がらない。


「安治川様、こんにちは。ごめんなさいね、銀次兄さん口が悪くて」

「お、鈴ちゃんも来てたのか。こんにちは」


 銀次の背中からヒョコッと顔を出して挨拶をする鈴。厳つい顔をニッコリと歪めると、すかさず銀次の邪魔が入る。


「で? その幽霊ってえのは、どこに出んだよ? お前が鈴に教えやがった奴だ」


 唐突な銀次の命令口調には慣れたもの。善之進は養生所の入所患者に聞いた話を思い出しながらゆっくりと答えた。


「ああ、あれか。そうそう、確か薬草園の方で鬼火が見えたって聞いたんだけどな」


 じゃあ、あっちの方? と、鈴が指を向ける。なるほど薬草の植わっている所だけは見通しが良いが、その奥には鬱蒼とした木々が木の葉を揺らしていて、なんとも雰囲気がある。

 鈴は早速とばかりに、幽霊がいたらしい場所へと足を進める。腕を組みながらそれを追う銀次の袖が不自然に揺れた。

 立ち止まり、後ろを振り向けば、養生所の廊下に作務衣姿の男が立っていた。少し猫背がかった体を銀次たちに向けながら、落ち窪んだ目だけをぎょろぎょろと張り出している。まるで銀次たちを値踏みし、睨みつけるようにこっちを見ていた。


「おおう、おいでるなあ。あやつ真っ黒じゃ」


 袖の中で金太がケンケンと鼻で笑う。銀次の岡っ引きとしての勘も、アレはヤバいものだと警鐘を鳴らした。


「……金太、あいつにわからないように張りついていられるか?」

「わしは伊予の隠神(いぬがみ)さんの眷属ぞなもし。ほたらこと朝飯前じゃあ」


 そんな飄々とした声と小さな腹鼓の音とともに、銀次の袖からするりと降りた狸の影は、他の誰にも気づかれることなく地面へと消えていった。

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表紙絵
― 新着の感想 ―
[良い点] 金太さんがめっちゃ好きです!(すみません脇役好きです)というのも、力量のある作家さんは脇役を魅力的に書かれる方が多くて。きっとこの方もそんな作家さんのお一人ですね。 それにしても銀次さん…
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