ふたりの死神
仕事中に突然胸が苦しみだして倒れて意識を失った。急遽救急車に運ばれたのが2ヶ月前でそれからずっと私はベッドに寝かされている。
意識が戻ったのは倒れてから三日後で目を開けた時にまず目に飛び込んだのは両親の顔だった。両親は私が目を開けると同時に目を見開き、看護師を呼んだのを覚えている。
私の体にどのような異変があったのかは聞かされていない。しかし両親の顔はとても悲壮で私の状態は決して良くはないことは察しがついた。
腕には何本もの針が刺されて針はチューブに繋がっており、そのチューブの先は何かの薬品がぶら下がってる。
口には人工呼吸器を充てられて果たして私は自分で呼吸しているのかそれとも呼吸させられているのかわからない。
胸には包帯が巻かれている。寝ているので直接見る事は叶わないが、搬送された当日に緊急手術でも行われたのだろう。
意識が戻って以降、頭の中はぼうとなっている。何かを考えようとも脳がそれを許さない。
「生かされている」という状態なんだろうなと思った。
母は毎日のように見舞いに来てくれる。しかし表情が明るい事はない。
その母の顔を見る度に申し訳ない気持ちになる。おそらく私はこのベッドから起き上がる事はないのだろう。先のない人間にもう構う事はないのにと思う。
今まで色々と迷惑をかけてきたけど最後までこうやって迷惑をかけてしまう。母の、いや父も含めこの夫婦の子として生まれて申し訳なく感じた。そしてそれを声に出そうとするも人工呼吸器がそれを邪魔するしそもそも声を出す程の元気がなかった。
その日も母は私のベッドの横に座っている。無理に笑顔を作っているけど余計に悲壮だ。私に色々話しかけてくれるけれども無理に話さなくてもいいよと言いたくなる。素直に感情を出せないのは何よりも苦痛に違いない。私はそれが心苦しかった。
私はその笑顔に目で応えることしかできない。私は母に目を向けた。
私の寝ている胸のあたりに母が座ってこちらを見ている。母は今日は一人のはずだ。しかし母の向こうに二つの人影が辛うじて見えた。二人は男性だった。
一人は痩せぎすの老人で長髪の白髪である。もう一人はその老人より幾分若いように思えるが老齢に差し掛かるくらいだろうか。丸い顔で帽子を被っている。体型までは見えないがおそらく小太りな体型をしているのだろう。二人に共通しているのは二人とも黒ずくめの服装だった。
私がそちらに目を向けると「おい、気づいたみたいだ」と丸顔の男は言った。
「俺たちに気付いたらもうそろそろだな…」と長髪の老人が言う。
誰だろうと朧げな頭で考えていると老人が「俺たちは死神だよ…」と答えた。私は何も言っていないのに私の考えに答えたようなタイミングだ。
「アンタの考えは聞こえているよ…」また私の考えを見過ごしたようなタイミングだ。どうやら彼らが死神というのは本当のことらしい。私が頭の中で「あなたたちが私に引導を渡してくれるのか」と問うと「それは逆だな…」と白髪の死神は答えた。
「俺たちは…アンタを冥土に連れて行くだけだ…。死期が近いと見えるようになる…。俺たちはアンタを殺しも何もしない…死期を早めることも…しない」
白髪の死神は苦しそうだ。呼吸もまた見ならないようだった。それに応えるように小太りの死神が「実はコイツも死期が近くてね」と言った。
死神も死ぬのかと思うと「死神も死ぬよ」と小太りの死神は応える。「死神には死神の冥土がある」
「俺はこのジジイの死神だから本来アンタには見えないはずなんだが、なんの因果か見えているね」
「俺の死ぬタイミングが…悪いんだろう…」
「こんな事もあるもんかね」
二人の死神の会話は母には当然聞こえていない。白髪の死神は私に言った。
「俺はな…寿命だよ…死神っつってもな。人の形した、生き物の形したもんには寿命がつくんだ…アンタら人間よりずっと長いがね…いや…時間など超越した寿命だな…長くもあり短くもある…アンタの生きてる時間の世界じゃあ…わからねぇか…」
「このジジイはな、あんた。死神の中でもやり手だったよ。死期の近い人間の枕元に立ってスイっと手を差し伸べるんだ。死神が何かするとしたならその手の差し出し方だな。それ次第で苦しむ事もあるし楽になる事もある。このジジイはそれが巧みだったよ」
小太りの死神がそう言ってるのを聞いて言葉が既に過去形であるのに悲しくなった。小太りの死神は「そりゃあ死ぬんだもの。仕様があんめえよ」と言った。
「アンタはな…俺の…最後の仕事だ…。楽に…行かせてやっから…安心しろ…」
白髪の死神は私に向かって手を差し伸べてきた。私は徐々に朧だった頭がより曖昧になり、息遣いが荒くなる。混濁した意識の中で母がナースコールを押しているのが見えた。私もそろそろらしい。見えているか見えないかの視界の中で死神の姿だけは明瞭だ。
死神の手が私の頭に触れようとした。医者が来て私に施術を施しているようだ。色々と薬を打っている。そして死神の手は私の頭に触れた。
いや、触れたという感じではない。私の頭の上に落ちたという感じだった。
「ありゃ。こんなことってあるかい」と小太りの死神の声が聞こえた。
私の意識は明瞭になる。視界はハッキリとして荒かった呼吸は落ち着いた。母の顔を見ると悲壮さを感じない笑顔があった。しかし目は涙で濡れていた。
母の向こう側を見ると小太りの死神が驚いているのか笑っているのかよくわからない顔をしていた。すこし姿が曖昧になっている。
「ジジイ、先に死んじゃったよ。俺もこんな事は思いもしなかった」
私は助かったのかと考えると「ジジイが死んだからアンタが助かったという訳ではないけれどなんかの因果があるんだろうなぁ。こんな事は死神界でも前代未聞だよ」と帽子を脱いで頭を掻いた。帽子の下は少し禿げていた。
「ジジイとはいい仲だったからしっかり最後の仕事を見納めてやろうと思ったけどこんな事になるとはなぁ。ジジイにとっては未練たらたらだろうなぁ。なあアンタ。死神の俺がいうのも変だけどさ。せっかく助かったんだから長生きしなよ。あのジジイの為にもお願いするよ」
小太りの死神はそう言うとすうと姿を消した。
それから3ヶ月後、私は退院した。