第3話「突然の別れ」(その1)
松岡は、胸苦しさに眼を開けた。
目の前に、なぜか妻の淑子が青い顔をして立っていた。
だが、(どうした?)と聞こうとする声が出ない。
そんな松岡に、淑子は言い放った。
「あなた、頭の骨を折ったのよ」
――えっ、と言ったつもりが、胃の底から込み上げる異物の動きに、口を塞いで唾を飲み込む。だが、まるで火がついたかのように口の中はカラカラ。身動き出来ない。それが、松岡の置かれた状況だった。
「どうしました、眼が覚めましたね。松岡さん、吐き気はどうです……」
背の低い看護師の、その言葉が松岡の胃腸を覚醒したのであろう。首を上げて横を向こうとした松岡の下顎と枕の間に、その看護師はすばやく膿盆を差し込んでいた。
「うわ―ー」
と、看護師が叫ぶ。
だが大仰に騒ぐでもなく、三日月型の金属トレーは真っ赤な液体で満たされた。
「松岡さん、夕べ飲んだのは、ワインですね?」
看護師は、しかめっ面でマスクをした鼻を避けるように奇声を上げた。
松岡はその声に呆れながらも、ほっとするのであった。
「夕ベ、いったいどこで飲んだの」
淑子は、膿盆を片付け様とする看護師の背に頭を下げると、下を向いたまま低い声で問い質した。
松岡は何度か経験したことのある悪心に閉口しながら、それでも少し楽になった口元を動かした。
「ここ、どこや……」
「中野の緊急病院よ」
「緊急病院……」
「どうせ、何も覚えてないんでしょ」
「なんで、ここにあなたがいる」
「今朝2時頃、警察からの電話で、あなたが酔って、駅の階段から落ちて、頭の骨を折って入院したって。だから朝の新幹線で神戸から飛んできたの」
「頭の骨を…」
「そうよ、ここ頭蓋骨骨折だって。でも……」
そう言って松岡の頭を指差す淑子の顔が、酷く曇った。
(つづく)