第2話(その4)
メビウスは生田神社の近くにあった。元は真珠を商っていたという、異常に親指の太いマスターが営む小さなスナックだった。
松岡が神戸へ配属になって以来、なにかにつけて通い続けた店で、どこか昭和の味のする店だった。
伊東から受取ったカードは、白地に店の名前と住所が書かれ、後は右上に通し番号があるだけ。いかにも店で作りましたと言わんばかりで、市販のソフトで厚手の紙に印刷した名刺大のものであった。
「もらっても、良いんですか?」
「ああ……まだボトルがあるはずや」
「伊東さんは……」
「ああ、また行きたいな、このプロジェクトが終ったら……」
そう言う伊東の目は、どこか儚げだった。
改めて見る顔は、急に老けた様に見えた。
松岡は、過去30数年の間になんど伊東と酒を酌み交わしたことか。そんなことを今更の様に思い起こした。
駆け出しの頃、初めて設計した船が進水した夜、伊東が飲みに連れて行ってくれた。伊東と欧州へ行った帰り、真っ直ぐメビウスへ凱旋したことも度々。
額の禿げあがった、女形の様な物言いをするマスターが懐かしかった。
だが最近は店と縁遠くなっていた。
(マスター、元気かなあ)
そんな思いに松岡はほっとして、車の座席に背を預けた。
初出社で疲れもあり、車中の静けさがありがたかった。運転手の肩越し、フロントガラスの向こうに夜の静寂があった。増上寺の木立か、どこまでも続くのではないかと思わせるほど、暗い闇が漂っていた。
(第3話へつづく)
第3話、明日へ続きます!