第1話(その4)
こうやって松岡の本社での一日は始まった。
35階の設計フロアーへ着くと、廊下の暗さに辟易としながら、今一度首に下げたカードを戸口のチェック器に翳した。そして中へ入ると、部屋には設計部員百数十人の机が、所狭しと並んでいた。
「ああ松岡、こっちだ、こっち――」
部屋の奥で立ち話をしていた中から、聞き覚えのある声が掛った。
本社設計部担当役員の、伊東本部長だった。松岡より二つ上で、れっきとした東京大学船舶工学科卒。5年前まで神戸造船部の設計部長として松岡の上司であり、初対面から二人は馬があったのだった。
もし伊東以外の重役から本社転勤の話が出ていたなら、松岡は東京へ転勤することはなかった。
「おはようございます」
「おお、ようきたな――」
「どうも、ご無沙汰しております」
「ああ――、ほんと、久しぶりや」
松岡は、そう言う伊東の声に前の様な張りがなく、顔にも老いが浮かんでいるようにさえ感じられた。
「君の席はここや」
と言って伊東は、品川のビル群を見下ろす窓を背にした、ひとつの机を指差した。
「さっそくで申し訳ないが、9時から303会議室へ入ってくれ。詳しいことは、そこで説明するから……」
伊東はそう言うと、大柄な背を揺らしながら右手をポケットに入れて、入口向かった。その懐かしい伊東の背に、松岡は違和感を持ったものの、残った二人から声を掛けられ、その思いはすぐに消えた。
出社早々会議に招集された松岡は、なぜ自分が東京に呼ばれたのか、そこで配られた資料を見て即座に理解した。
【メガフロート空港建造(案)】
その新日本標準の図面の表紙には、そう書かれていた。
そして、真新しい「社外秘」の朱印が捺印されていた。
(第2話へつづく)