来世の墓標
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
気づけば今年も、あと一か月半で終わりなのねえ。まったく、これくらいの歳になっちゃうと、一年が早く感じて仕方ないわ。
こーちゃんはどうかしら? 一年、どれくらいの長さに感じてる?
――まだまだ足りない? 生きていられる時間が少なくなっている感がして、嫌い?
あらあら、こーちゃんもなんだかお年寄りみたいなこと言いだしたわね。
ま、生きていられる時間っていう点は、同感かな。やりたいことは後から後から出てくるのに、時間はもちろん、体でさえもついていかないことがある。本当、若いときにいろいろやっておくべきだったって、後になって思うのよね。
でも若いうちは若いうちで、他にやりたいことがあった。いまとなっちゃ、細かいことを覚えていないけど、そのときそのときで、手いっぱいだったように思うわ。若い時間を有効に生かせるかどうかは……来世に期待、かしらね。記憶が残るのならば、だけど。
あ、そうそう来世で思い出したわ。
この前、こーちゃんがネタを探しているって言ってたでしょ。何かいいものないかと思って探してみたんだけど、ひとつ私の兄さんが体験したっていう、話を見つけたのよ。
どう、聞いてみない?
私の兄さんは、形あるものを壊す、もしくは壊れていく姿を見るのが好きだったって、話していたわ。
アリとその巣をつぶすような感覚かしら? なんとなく踏んづけたり、土でどんどん埋め立てたり……興味半分で手を出したこと、子供のころになかった? 兄さんはそのときの楽しみを忘れられずにいたみたいなの。
両親もそのあたりはうすうす感じていたようで、人様のものには絶対に手を出さないようにしつけたとか。だから兄さんは人目につかない場所にあるものをひっそり壊すか、それとも自分の手で作って、それを壊すか。
プラモデルもよく買ったけど、それは自分で壊すため。キットこそ部屋に並んではいたけど、完成品はついぞ見たことがなかったわ。代わりに、兄さんが作業に使うテーブルには、プラモデルのパーツが転がっているだけ。
そうして兄さんが11歳の秋を迎えたときのこと。
兄さんは歳を重ねるにつれて、自然にいる動植物などより、人の手による無機物を壊すことに、魅力を感じるようになったらしいわ。あの虫とかをじかに触る感じが苦手になってきたからだとか。
そうして兄さんが考えついたのは、墓あらし。暴くことには興味がなく、ただその形を崩せればよかったみたいね。どちらにせよ、とんでもなく罰当たりだと思ったわ。
けれど、兄さんにとってはそれが魅力的に映った。やっちゃいけないことを、やりたくなる心理も手伝ったでしょうけど、積み重ねた年月に惹かれるっていってたわ。
そのまま放っておけば、何年、何十年、ひょっとしたら何百年、何千年もそのままでいるかもしれないもの。
その運命に、自分が干渉する。歴史を動かす張本人になる。それは初めて触れ、壊した者しか得ることのできない特権。想像するだけで、喜びに身震いするほどだったって。
でも、人様のものに手を出してはいけないという、親との約束。堂々とお寺などに入り、実行に移すわけにはいかない。だから兄さんは学区内の、民家を離れた場所にあるお墓、それも人の手が久しく入っていないポイントを求め、さまよっていたとか。
やがて兄さんが、学区端っこの用水路へたどり着いたときのこと。
腰の低い木の柵で隔てられた水路。その狭い陸地の隅っこにぽつんと、小さな十字架が地面に突き立ててあるのを見かけたのだとか。
十字架は泥がつき、虫が食った小さい穴が、そこかしこに開いている。手入れされている様子はなかったわ。きっと誰も、この十字架を気に留めていないに違いない。
兄さんの行動は早かった。周囲に誰もいないのを確かめると、十字架を引き抜きにかかったの。さほど深く刺さっていないと思ったのに、一分間以上は引っ張っていた気がしたとか。
ようやく引き抜いたけど、その拍子に、抜けた穴の中へ周りの土がこぼれ落ちる。ほんの10センチ程度しか刺さっていなかったのに、穴の中は昼間の明かりを借りても、見通すことができないほど広い。それどころか、割りばしの先ほどだった穴のふちは、まだこぼれるのをやめず、もう兄さんの指二本が突っ込めるほどにまで広がっている。
言葉にしがたい不安を感じて、兄さんはその場から逃げ出したわ。十字架は握りしめたままで、そのまま家に帰って、自分の部屋へ引きこもった。
十字架を押し入れに放り込み、つとめて引き抜いたことを頭の隅へ追いやろうとする兄さん。でも、その夜、布団で横になりながら、奇妙な蚊に絡まれることになったの。
最初は頬に止まってきて、すぐさまバチンと手で叩いた。
手ごたえがあった。すぐに消していた明かりをつけ、自分の手のひらを確かめる。大きな血だまりと、足が数本ちぎれた蚊の身体。それをティッシュで拭い、ゴミ箱へ捨てたはずなの。
なのに、あらためて明かりを消してからほどなく、また兄さんの頬に触れるもの。その直前に例の羽音。また蚊だったの。
兄さんはその夜、眠ることができなかった。いくら叩いて潰しても、いくら殺虫剤を撒いても、蚊の襲撃は止まらなかったの。
殺して、殺して……ほぼ空だったゴミ箱が、丸めたティッシュでいっぱいになる。夜が明けるや、蚊たちの襲撃は止んだけれど、兄さんの顔じゅうは遠目にも分かるほどに、あちらこちらで蚊に食われた痕があったわ。
そのときの私は、「季節外れの、珍しい蚊」としか思わなかった。でも兄さんは学校から帰ってきたとき、当時、存命だった祖父に呼び止められたらしいわ。「お前、何か『死』にまつわるものを壊さなかったか」とね。
兄さんは最初しぶったけれど、ようやく例の十字架の話をしたわ。すると祖父は兄さんの手を引き、案内をさせて例の現場へ急行したの、十字架を持ってね。
昨日の穴は、ますます広がっていた。
いまや、祖父や兄さんの身体が、すっぽり入ってしまうほどに大きく口を開けていて、やはりその底は何も見えない。ただ穴の奥からは、昨晩にさんざん聞いた、蚊の羽音がかすかに聞こえてきたのだとか。
「やはり、ここは『来世の墓標』だったか」
祖父はそう独りごちたわ。
祖父の話によると、人の立てたお墓は骨、つまり体の収まる場所。でもそれとは別に、魂というか、命そのものが還る場所が別に存在するんですって。
それがどこなのかは分からない。今回のように偶然に見つけるよりほかにないのだとか。
そしてこの墓標を荒らされると、命はここに還ることができず、生き続けるしかなくなる。死ぬ直前の痛みを抱えたまま、お墓が戻されるまで、ずっとずっと。
だから昨晩の蚊は、何度も兄さんに殺されて、そのたびに命が還らず、あそこに漂っていたの。
祖父の指示で、兄さんは穴のぎりぎりのふちから、例の十字架をそっと差し入れた。
穴全体で見れば、ひとたまりもない大きさの違い。それが十字架の先が入ってきたとたん、穴はあっという間に小さくなる。人が一気に口をすぼめるときのように。
ものの一秒足らずで、十字架の先をくわえ込んだ地面は、昨日、兄さんが引き抜く前と、まったく同じ状態に戻っていたの。そして兄さんは、その晩は蚊に絡まれることはなかったわ。
ただ、部屋の中のゴミ箱のティッシュからは、蚊の身体と血のりは、いずれからもすっかり消えていたとのことよ。