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武術覚書  作者: asada11112
90/187

090 教えると習うと言う事

このあたりは、思い出話である。


以前にも書いたが、

私の師匠は、

私が入門した当時は、

あまり『口に出して教える』と言うことはなく、

もっぱら、見せる、体験させる、

という形をとっていた。


これが本来の武術の伝統的な教え方であり、

真理の一つでもある。

故に古より代々そういった教授法が取られているわけである。


現在の師匠は、驚くべき明快な言語で、

芸事の根幹となるべき理論を説明してくれている。


「変わってるじゃないか!」と言うなかれ、

原因は(元凶は)、師匠ではなく我々生徒にある。


師匠が教え方を『わざわざ変えてくれた』理由-

それは、

『我々生徒の理解力のあまりの低さ』

(あまり言いたくないことであるが)

が原因であった。


当初は、

「これぐらい見せれば、生徒はわかるだろう」

と、師匠も思っていたらしい。

ところが、一向に生徒が上達しない。

「何故出来ない?、何故習おうとしない??」

と、戸惑っていた、

その通り、当時誰も師匠が言うところの、

『習おう』という姿勢を持っていなかった。(例外もいるが)


師匠が芸事の扉を開いたと言った、A先輩が、

「今まで、あれほど師匠から懇切丁寧に教えてもらっていて、何故今まで『ちゃんと練習しなかった』のだろう‥‥‥」

と『解かるようになって』後、

しきりに後悔していた。


そのうち、師匠は、

「生徒が、習い方そのものを理解していない、そもそも知らない」

という考えに至り、

色々、教え方を工夫しているうちに、

自分と生徒との『理解力の差』が大きいことに気がついた-

簡潔に言うと、ここに至り、

(言いたくないが)

『我々生徒のアホさ加減に漸く気がついた』

ということだったりする。

‥‥‥‥‥‥‥‥


あえて言い訳をさせてもらえれば、

師匠の理解力の高さこそが、

我々生徒にとっては『異常』である。


師匠がいつぞや、武術において、

業界で日本最高峰と言われる人物の講習会に参加し、

その2~3日後には、

その人の技術のいくつかを再現してみせ、

さらにその数ヶ月後には、

生徒に練習方法を教えられるようになり、

生徒の幾人かは、レベルの差こそ有れ、

同じように出来るようにさせてしまった。


これを『驚異的な理解力の高さ』と言わずに何と言おう。

師匠自らが、見た技を再現する、

これは『見取り稽古』という。

技を『盗む』という事であり、

そのレベルの『天才』は時々いる。


しかし、通常、自ら見取り稽古で体得した技を、

次世代に伝える方法は、

同じように『見取り稽古』をさせるほかはない。

なんとなく出来てしまった技は、

見せて伝えるしか方法は本来無い。


それを、師匠は、言葉にして理論を説明し、練習方まで造り出す。


師匠は気づく前まで、自身の理解力を、

『一般水準』だと思っていたのである。

あるとき、師匠が、

私の十年以上先輩(最古参の弟子)に向けて、

『俺ってひょっとして、他の人より理解力が高いのかな?』

と言い出して、開いた口が塞がらなかった覚えがある。

(確か先輩も、一瞬、返す言葉に詰まっていた)


話を戻して、

『生徒に教えると言うことは、ザルで水をすくうような行為だなあ』

と、げんなりした顔をしている師匠を往々に見かけ、

申し訳ない限りなのではあるが、

生徒の側からすると、

そのように師匠にようやっと、

生徒の馬鹿さ加減に『気づいてもらえた』というのは、

とても助かった-ありがたい話であった、



師匠にとっては、非情に手間隙のかかる作業であるが、

理論を、詳細に口に出して教えてくれるようになり、

『自分が上達する事にかけて天才的』な師匠が、

その上達能力の一部を、

生徒への教え方の工夫に割いてくれる様になった為である。


ここに置いてとても重要なことは、

師匠に『最初から教える気が有った』というポイントである。


伝聞であるが、

ある達人が、晩年の最後の稽古、

何十年もついていた最古参の弟子相手に一対一で、

おそらく、ようやく『ちゃんとした』教え方をした-

(自分が気づいた方法を見せたのだろう)、

しかし、弟子が理解できず、

「これで解からなければ、もうどうしようもない」

と言い、

その翌日には他界されてしまったという話がある。


比べて、師匠は、

最初から『ちゃんと教える』気が有り、

故に、

『ちゃんと教えても尚、なかなか伝わらない』

ということにすぐ気がつき、

柔軟に教え方を工夫していった、

伝統に囚われない教え方を模索していったわけである。


例えば、

師匠が気づいた生徒と師匠自身との理解力の差の一つに、

「(立体的な)空間把握能力」

というのがあった。

師匠と生徒では、これの理解力に圧倒的に差が存在した。


ちなみに、これは女性が(脳の構造上)優れているとの事。

(其ゆえに、稽古会では男の生徒が出来ない師匠の技を、

女性の生徒がいとも簡単に再現してしまう事がよくある)

女性は立体(三次元)を二次元に直して把握するのが苦手であり、

地図を読むことが苦手な脳構造をしているという。

男は逆に地図を読むのは出来るが、

それを立体(現場)に合わせることが苦手である。

(男は二次元は理解しやすく、三次元を理解しにくい)


師匠は、長年の武術の研鑽によるものか、

元々の能力なのか、立体的な空間把握能力に優れていた。


武術において、『古武術』から身体操作方を研究している、

甲野善紀師範が、有名にした身体操作概念の一つ、

『身体を捻ったり、回してはいけない』

という方法論がある、


当然、私の習う武術にもそれはあるのだが、

『どのようにして回さない』のかが、

初めの頃、中々に師匠から生徒に伝わらなかった。

師匠は普通に身体で、

『回さない身体の方向転換』

を見せて、

「何故見た通りにできない?」

と生徒を見て不思議がっていた。


現在、師匠は上から見た俯瞰の形で、

その『回らない方向転換』を指導している。

時々、自分が座って、

「おまえ等は俺の頭の上から見ろ」

と言って説明したり

地面に棒を置いて、図面的に説明したりしている。


それは、最初は、

『三次元的な説明』で解かるだろうと、

自分を基準に考えていたのを、

上記の、『男は二次元的な説明でないと理解が難しい』

という『理解力の差』に気づいた故の工夫である。


(二次元の座標把握しか出来ない男は、正面から見た師匠の、

『前後方向の動き』を理解する事が出来なかった)


昔、私は『二次元がせいぜいの理解力』を元に、

師匠にいくつか質問したが、

三次元の把握能力を元に説明する師匠の答えに、

ちんぷんかんぷんであった。


文字通り、『次元が違う』

と言っても、武術は、人間の運動方法であり、

人間は、三次元方向に動く生物である故、

師匠が、目の前で見せるやりかたを、

『そのまま理解する』ことが、真に必要なことである。


それが出来ない生徒に教えるのはとても難しかっただろう。

鳥が人間に飛び方を教えるようなものではなかったか?

「こうはばたいて-」としか教えることは出来なかっただろう飛び方を、

それを、航空力学から、飛行機の翼の造り方、

操縦方法まで、師匠が教えなければならなかったのだから。



最近は、更に『時間』という概念、

つまり『四つ目の次元』の把握能力が芸事に必要だとのことで、

生徒のほうも頭を悩ませている。

(男にとっては次元が『二つも上』の話である)


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― 新着の感想 ―
[気になる点] 練習の様子、教授の様子をビルの上から(ほぼ真上から)ビデオに録画すると参考になるかも知れませんね(´・_・`)
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