090 教えると習うと言う事
このあたりは、思い出話である。
以前にも書いたが、
私の師匠は、
私が入門した当時は、
あまり『口に出して教える』と言うことはなく、
もっぱら、見せる、体験させる、
という形をとっていた。
これが本来の武術の伝統的な教え方であり、
真理の一つでもある。
故に古より代々そういった教授法が取られているわけである。
現在の師匠は、驚くべき明快な言語で、
芸事の根幹となるべき理論を説明してくれている。
「変わってるじゃないか!」と言うなかれ、
原因は(元凶は)、師匠ではなく我々生徒にある。
師匠が教え方を『わざわざ変えてくれた』理由-
それは、
『我々生徒の理解力のあまりの低さ』
(あまり言いたくないことであるが)
が原因であった。
当初は、
「これぐらい見せれば、生徒はわかるだろう」
と、師匠も思っていたらしい。
ところが、一向に生徒が上達しない。
「何故出来ない?、何故習おうとしない??」
と、戸惑っていた、
その通り、当時誰も師匠が言うところの、
『習おう』という姿勢を持っていなかった。(例外もいるが)
師匠が芸事の扉を開いたと言った、A先輩が、
「今まで、あれほど師匠から懇切丁寧に教えてもらっていて、何故今まで『ちゃんと練習しなかった』のだろう‥‥‥」
と『解かるようになって』後、
しきりに後悔していた。
そのうち、師匠は、
「生徒が、習い方そのものを理解していない、そもそも知らない」
という考えに至り、
色々、教え方を工夫しているうちに、
自分と生徒との『理解力の差』が大きいことに気がついた-
簡潔に言うと、ここに至り、
(言いたくないが)
『我々生徒のアホさ加減に漸く気がついた』
ということだったりする。
‥‥‥‥‥‥‥‥
あえて言い訳をさせてもらえれば、
師匠の理解力の高さこそが、
我々生徒にとっては『異常』である。
師匠がいつぞや、武術において、
業界で日本最高峰と言われる人物の講習会に参加し、
その2~3日後には、
その人の技術のいくつかを再現してみせ、
さらにその数ヶ月後には、
生徒に練習方法を教えられるようになり、
生徒の幾人かは、レベルの差こそ有れ、
同じように出来るようにさせてしまった。
これを『驚異的な理解力の高さ』と言わずに何と言おう。
師匠自らが、見た技を再現する、
これは『見取り稽古』という。
技を『盗む』という事であり、
そのレベルの『天才』は時々いる。
しかし、通常、自ら見取り稽古で体得した技を、
次世代に伝える方法は、
同じように『見取り稽古』をさせるほかはない。
なんとなく出来てしまった技は、
見せて伝えるしか方法は本来無い。
それを、師匠は、言葉にして理論を説明し、練習方まで造り出す。
師匠は気づく前まで、自身の理解力を、
『一般水準』だと思っていたのである。
あるとき、師匠が、
私の十年以上先輩(最古参の弟子)に向けて、
『俺ってひょっとして、他の人より理解力が高いのかな?』
と言い出して、開いた口が塞がらなかった覚えがある。
(確か先輩も、一瞬、返す言葉に詰まっていた)
話を戻して、
『生徒に教えると言うことは、ザルで水をすくうような行為だなあ』
と、げんなりした顔をしている師匠を往々に見かけ、
申し訳ない限りなのではあるが、
生徒の側からすると、
そのように師匠にようやっと、
生徒の馬鹿さ加減に『気づいてもらえた』というのは、
とても助かった-ありがたい話であった、
師匠にとっては、非情に手間隙のかかる作業であるが、
理論を、詳細に口に出して教えてくれるようになり、
『自分が上達する事にかけて天才的』な師匠が、
その上達能力の一部を、
生徒への教え方の工夫に割いてくれる様になった為である。
ここに置いてとても重要なことは、
師匠に『最初から教える気が有った』というポイントである。
伝聞であるが、
ある達人が、晩年の最後の稽古、
何十年もついていた最古参の弟子相手に一対一で、
おそらく、ようやく『ちゃんとした』教え方をした-
(自分が気づいた方法を見せたのだろう)、
しかし、弟子が理解できず、
「これで解からなければ、もうどうしようもない」
と言い、
その翌日には他界されてしまったという話がある。
比べて、師匠は、
最初から『ちゃんと教える』気が有り、
故に、
『ちゃんと教えても尚、なかなか伝わらない』
ということにすぐ気がつき、
柔軟に教え方を工夫していった、
伝統に囚われない教え方を模索していったわけである。
例えば、
師匠が気づいた生徒と師匠自身との理解力の差の一つに、
「(立体的な)空間把握能力」
というのがあった。
師匠と生徒では、これの理解力に圧倒的に差が存在した。
ちなみに、これは女性が(脳の構造上)優れているとの事。
(其ゆえに、稽古会では男の生徒が出来ない師匠の技を、
女性の生徒がいとも簡単に再現してしまう事がよくある)
女性は立体(三次元)を二次元に直して把握するのが苦手であり、
地図を読むことが苦手な脳構造をしているという。
男は逆に地図を読むのは出来るが、
それを立体(現場)に合わせることが苦手である。
(男は二次元は理解しやすく、三次元を理解しにくい)
師匠は、長年の武術の研鑽によるものか、
元々の能力なのか、立体的な空間把握能力に優れていた。
武術において、『古武術』から身体操作方を研究している、
甲野善紀師範が、有名にした身体操作概念の一つ、
『身体を捻ったり、回してはいけない』
という方法論がある、
当然、私の習う武術にもそれはあるのだが、
『どのようにして回さない』のかが、
初めの頃、中々に師匠から生徒に伝わらなかった。
師匠は普通に身体で、
『回さない身体の方向転換』
を見せて、
「何故見た通りにできない?」
と生徒を見て不思議がっていた。
現在、師匠は上から見た俯瞰の形で、
その『回らない方向転換』を指導している。
時々、自分が座って、
「おまえ等は俺の頭の上から見ろ」
と言って説明したり
地面に棒を置いて、図面的に説明したりしている。
それは、最初は、
『三次元的な説明』で解かるだろうと、
自分を基準に考えていたのを、
上記の、『男は二次元的な説明でないと理解が難しい』
という『理解力の差』に気づいた故の工夫である。
(二次元の座標把握しか出来ない男は、正面から見た師匠の、
『前後方向の動き』を理解する事が出来なかった)
昔、私は『二次元がせいぜいの理解力』を元に、
師匠にいくつか質問したが、
三次元の把握能力を元に説明する師匠の答えに、
ちんぷんかんぷんであった。
文字通り、『次元が違う』
と言っても、武術は、人間の運動方法であり、
人間は、三次元方向に動く生物である故、
師匠が、目の前で見せるやりかたを、
『そのまま理解する』ことが、真に必要なことである。
それが出来ない生徒に教えるのはとても難しかっただろう。
鳥が人間に飛び方を教えるようなものではなかったか?
「こうはばたいて-」としか教えることは出来なかっただろう飛び方を、
それを、航空力学から、飛行機の翼の造り方、
操縦方法まで、師匠が教えなければならなかったのだから。
最近は、更に『時間』という概念、
つまり『四つ目の次元』の把握能力が芸事に必要だとのことで、
生徒のほうも頭を悩ませている。
(男にとっては次元が『二つも上』の話である)




