087 脳味噌コマンドが効くまでのリソース量
練習会にて、
師匠より重心のブレや方向性についての講義が有った。
NHKのテレビ番組での、
スキージャンプのアマン選手の飛び方の科学的解析を例にした話。
これについては機会があればいずれ。
問題は別にあり。
重心の使い方、操作の方法論を教えてもらい、
教室おなじみの、
二人で組んで、相手を一種の計測器機に見立てて、
身体の操作がうまくできているかを確かめる実験。
その方法論で「立ち」
相手の出した手を引けば、相手は軽く引き寄せられ、
相手の出した手を押せば、相手は後ろによろけて歩いていく。
それが、なかなかうまく行かない。
うまく行かないときは、
たいていが、
1:姿勢が崩れている。
2:体重を掛けている。
3:方向が間違っている。
で説明がついてしまう。
簡単じゃないかと、言うなかれ。
自分でそれが認識できるのなら、
とうの昔にうまく行っている。
うまく行かないのは、
上記の理由で、
なおかつ、自分がそれを認識できない、
--つまり、自分ではちゃんとやっているつもり--
なのが大問題なのである。
自分では認識できない。
解かるのは、計測器機である相手が動いてくれない、ということ。
どこが間違っているか?
その認識には当然、外部からの修正を必要とする。
その名も『師匠の指摘』
相手の手を持とうとする時点で、
まだ相手に触っていない時点で
「もう腰に力が入って、体重で相手を引こうとしているぞ」
と師匠の注意が飛ぶ。
相手に触る前から、
相手の重量を無意識に計算して、
必要な力を腰で、体重で出そうとしている。
本当の意味での、
「ただ手を出し、ただ相手を掴み、ただ手を引く」
という動作にならない。
普段生活で使っている、
物を引く時の、オートマチック『脳のコマンド』が身体を支配して、
触る前から、既に『体重』が入っている。
困ったことに、全く自覚がない。
外部から見ると明らかなのだが、
感覚上、私にはそのつもりが全く無い。
改めて思ったのは、
「また体重か!、未だに体重か!」
である。
確かに、
言われてみれば、
計測器機である相手の反応は、
体重で引っ張ったときの反応そのままである。
しかして、対処方法が解からない。
自分の意志とは関係なく、
『体重を使う状態になってしまう』のだから。
と言うわけで、やっぱり師匠のアドバイスを必要とする。
師匠からのアドバイスは、
『引こうと思わず、むしろ押すつもりで手を出せ』
『相手を持とうと思うな、豆でも摘むつもりで手を出せ』
であった。
後に考え直すと、
そういう発想か!、と驚く。
確かに、触った後に引くという動作が待っている。
コマンド発令待ち状態。
だから腰を使い、体重で引こうとする。
(‥‥‥なんと言うか、コマンド的には『次に控えている』状態で、もう体重を掛けようとしているという事実にあきれる。)
だから、
触ろうとする時、『押す』つもりで手を出せば、
『腰を使って、体重で引く』
というコマンドは消去される。
何度も試して、漸く『成功したり失敗したり』の状態になる。
自分の動作のコマンド、『体重をかける』という呪縛は、
いったいどれ程根が深いのだと、
うんざりする。
師匠はそんな私を見て、
「難儀やなあ」
と、とっても的確に私の状態を表現していただいた。
言葉も無し。
力なく頷くのみであった。
一応、今回得たことは、
やってはいけないコマンド(特に体重をかける)というものは、
脳に浮かべていなくても、
プログラムとして、次に控えているだけで発動してしまうという、
極めてやっかいな代物である、という事である。
対処法として、
その次に控えているプログラムまでも、
意志の力で書き替えるようにする(今回の場合は押すつもりで触る)
という事。
次いで相手の出した手を押す。
これもうまく行かない。
師匠からのアドバイスは、
『相手を押すとか考えるな』
であり、
自分の重心が左右にぶれないように、
ひたすら、自身の身体を上方向に浮かせる努力をする。
自分の脳味噌の中を占める『コマンドの割合』が、
90パーセント以上になって、
ようやく、押した相手が後ろに動いていく様になった。
(あくまで自己採点であるが)
コマンド割合が、
僅かでもボーダーラインを下回ると、全く動かない。
コマンド割合が、
僅かでも僅かでもボーダーラインを上回ると、漸く動いていく。
自分の脳味噌の(意識の)中の、
『コマンド割合のボーダーライン』が見えた事が、おもしろかった。




