085 モノクロと情報量
モノクロと情報量
影絵、という芸術ジャンル(?)がある。
ただ白と黒の配合だけで全てを表現する。
芸術としてジャンルがある、ということは、それを美しいと認識する事が出来るから。
色彩豊かな絵画、写真に対して、何がこれを美しいと感じさせるのだろうか?
武術関連で、
師匠に『目付け』に関してを学んだことがある。
見たもの、感じたモノの情報を、
人は多くスルーしている。
(生きる上で大して必要ないから?)
それを、いちいち認識して、
自分がどんな情報をスルーしてきたか、を確認する作業を行っていった。
最もスルーしていた情報。
対象と自身の『距離』
即ち間合い。
間合いの情報を増やす為に、
スルーしていた情報を徹底して洗い出す練習をする。
その過程で、
深夜の道路を走っているとき、
薄暗く目に映る街路樹が、とても美しいと感じることがあった。
これについては、自分で、こう考えた
脳が、徐々に今までスルーしてきた情報を拾い出したが、
世間の景色のあまりの情報量についていけず、
情報量の少ない『薄暗い世界』から情報を認識しだしたのではないだろうか、と。
現在、
普通の日の光の下でも、
暗闇の下でも、
それほど差違を感じなくなった。
というか、どちらも『それはそれで綺麗に見える』様になった。
影絵は、影絵で芸術ジャンルとして成立するのは、
色彩情報が低下する代わりに、
その分、何か別のモノの情報収集力が脳の中で上がるから、
美しいと感じるのだろうか。
そういえば、昔師匠が、武術関連で、
ゾーン(領域)に入ったことについて話しているのを聞いたことがある。
周りの動きが、スローモーションになる。
(運動の認識力が増大)
その代わりに、
周りの色が白黒になった
(色彩の認識力が低下)
ということである。
間合いや、動き情報量を最大値にする為、
色情報の取り込み値を限界まで少なくしたと師匠は考えている。
影絵が動けば、
それに近い効果を疑似体験できるのだろうか?




