078 A先輩の話ー1
師匠が『芸事の扉を開いた』と言った三人の先輩がいる、
そのなかの一人をA先輩として、彼の言葉を引用した。
三人の中で、一番『遅咲き』であったのが、そのA先輩であった。
私はたまたまそのA先輩が、芸事の扉を開く時期に、
関わっていた。
実は当時、A先輩からこの話を、というか、
『気づいたいきさつ』を他の生徒に話す事を口止めされていた。
上達するためには『心の問題』がまず必要ということが、
まだ解かっていなかった時代の事であり、
『もし他の人がこれを実行して自分より上達するのは困るから』
という理由であった。
A先輩が他の生徒に他言していないのであれば、
生徒の中で知っているのは私だけで、
今回数年間の沈黙を破る初公開の話である。
<但し書き>
そのいきさつを見ていて真似をしていた私であったが、
残念ながら、A先輩のような技術力の急激な上昇はなかった。
後に聞いた話だが、
A先輩はそれよりも少し前に、
ある哲学者(?)から、聞いたアドバイスがきっかけとなって、
『心の扉』を既に開いていたと言う。
やはりは心の問題によるものだと思う。
そして、現在稽古会自体の質がかなり底上げされ、
ここで述べる技術は既に『効かない』レベルになってしまっている。
だからもう隠す必要もないと判断した為、
ここに書くことにした次第である。
私の習っている芸事の稽古では、
ちゃんとした動きの質が出来ているかどうかを確かめるための、
判定テストがあった。
受けの側は、軽い前屈立ちで(足を前後に開いた状態)立っている状態で、
重ねた両掌を相手に向かって軽く伸ばす。
掛ける側は、右拳で突き出す状態にして軽くその相手の掌を押す。
(掛け手の突きを受け手は両手で押し返し、そのまま二人で軽く押し合いになった状態である)
其処から掛け手がグッと拳を相手に押し込む。
質の違いを確かめるポイントは、
受け手の動きかたである。
普通は『受けが伸ばしている肘を曲げてしまう。』
相手の胴体は動かない。
相手は軽く手を伸ばしているだけで、
それ以上余計な力を入れていないから。
強く押すと、受けの肘が曲がってしまう。
しかし、武術の動きの質が『求めるべく物』になっていると、
何故か、受けは手を伸ばしたまま、
全身が後ろに崩れ、とてとて下がって行く。
しかし、それは当時、師匠がやったときだけ起こる現象で、
生徒でそれが出来る人間はいなかった。
(唯一、一番古株のK先輩が成功していたが、当時K先輩は既に師匠から
代理教授するのを許されているので例外とする)
生徒の多くは心の中で、
『師匠が特別な何かを使っているせいではないか?』と思っていた。
超能力とか、そんなものを使っているんじゃないか?、とか。
師匠はそれを、否定した。
『単に、使う筋肉の問題だ』と。
それが証拠にと、
一旦、掛けの手の人が四つ足動物状態になってみる。
腕立て伏せの『腕立て』状態。
『この状態が、陸棲ほ乳類の、原初の筋肉の使い方になっているから。』
(象形拳の理屈で言えば、動物の『自然な』筋肉の使い方になっている)
その筋肉の状態を、二足歩行直立の態勢で再現する方法を指導してもらう。
受けの人に手伝ってもらい、
受けは擬似的な『床の役』をする、
受けは掌を下から出す。
掛けの人は、その掌の上に片手で乗っかり、『腕立て』状態になる。
そこから、筋肉が切り替わらないように、
受けは、相手の腕にプレッシャーを掛けたまま、
縦方向-直立状態になおす。
『木彫りの熊』の前足を持ってひょっこり起こすのを想像してもらいたい。
この状態で、掛けの側が押すと、
師匠の時と同じように、受けが動いていくのである。
生徒たちは
出来た!、と驚くが、
立った状態のみでそれを再現しようとしても、絶対できない。
一旦、腕立て状態になって、
プレッシャーをキープしたまま縦になおす、
この過程を経ないかぎり、相手は動かないのである。
(互いに実験して、首を傾げてばかりであった)
師匠はそれを、
『先天的な(自然な)四つ足動物の使う筋肉を、人間は二足歩行になったとき、使わなくなるから』
と説明していた、
地面に向けて腕立て状態にならないと、
四つ足の時の筋肉に切り替わらない。
また、別の方法として、
『鉄棒にぶら下がる』
事でも同じ様に筋肉の切り替えが起きるとの事で、
受けを擬似的に鉄棒になってもらい、
それにぶら下がった状態を作り、
その状態で筋肉の力を抜かないようにキープしたまま、
直立状態に態勢に持っていき、
押してみると、やはり受けは崩れていく。
(これは、猿等、樹上で生活する動物の『自然な』筋肉であり、人類は樹上生活から、地上生活へと進化した過程で自然さを失っている)
これも、一旦この状態を作らない限り、再現できない。
普通に立っている状態だけでは如何にしても受けは動かない。
例えば中国武術の『象形拳』(猿拳や鷹爪拳など)で動物の真似をしたり、
中国最初の健康法である『華佗五禽戯』で動物の真似をするのは、
それらの原初で自然な筋肉の使い方(先天という)を目覚めさせる為である。
スポーツしかり、武術で上達している人間には、
その『先天の』筋肉を意図的に使える人間が多いそうである。
結局、生徒では、
出来るようになった人間はおらず、
師匠は、『難儀だなあ』とつぶやいていた。
稽古会の後、
残った生徒と師匠でのアフターのおしゃべりが終わり、
みんなが帰った後、
A先輩と居残りで研究をしてみた。
私「どうやったら、立った状態で、『四つ足』or『鉄棒ぶらさがり』の状態を作れるんでしょう?」
A「というか、一番基本となる筋肉はどこだ?、手首か?、肘か?、肩か?」
という会話から、
受けが擬似的に床になる方法で、
手をついた状態、
肘をついた状態、
肩をついた状態、
それぞれを作り、実験。
結果、いずれも受けが動く、
肩の部分だけで作った状態から、受けを押してもちゃんと動く。
A「要するに、肩甲骨の筋肉の切り替えか?」
私「受けが『擬似床』か『擬似鉄棒』になっていれば筋肉が切り替わるんですよね」
A「そうだね」
私「A先輩、身体の中で同じこと出来ません?」
A「?」
私「肩甲骨だけでできる、でもって鉄棒ぶらさがりでも出来る。だったら自分の頸椎を鉄棒の代わりに、肩甲骨でぶら下がった状態をつくれませんか?」
A「‥‥‥‥やってみよう。」
私「頸椎を上に伸ばして、肩甲骨を下にさげる、二カ所で引っ張りあいになるはずです」
結果-あっさりと再現成功。
驚いたり、喜んだりしている私とA先輩。
興奮覚めやらぬそのとき、
A先輩がぼそりと言った。
A「‥‥‥‥あのさ」
私「なんでしょう?」
A「これって、一番最初の姿勢の基本、『顎を引いて背筋を伸ばせ』、『肩を下に降ろせ』ってやつじゃない?」
私「‥‥‥‥‥‥‥‥」
A「武術では一番最初に注意する口訣って『立身中正、虚領頂頸、沈肩墜肘』だったよね‥‥」
私「‥‥あー‥‥」
結局解かったことは、
師匠からいろいろ教わったが、
一番最初の二つの注意点すら、ろくにやっていなかった、
ということであった。
A「本当の意味で、『師匠に言われたことをちゃんと守っていれば』このテストだって、何の問題もなくクリア出来てたわけだ、もしも、師匠の言うことを全て、本当の意味でちゃんと実行したら、どれだけの事が出来る?」
その三日後、次の稽古会の時、
A先輩はいきなり、師匠から、
『40点の出来』
と言われた。
当時、師匠に続くナンバー2のK先輩以外に、
二桁の点数を出した人間はいなかった。(K先輩は60点)
(今までのA先輩なら8点ぐらい、私の自己最高が4点であった)
会の中では、歴代二位の大記録であり。
生徒の中では大騒ぎになった。
諺に『男子、三日会わざれば、刮目して見よ』とあるが、
まさに、その三日で、A先輩は急激に変わってしまったのである。
私的には、師匠がA先輩の動きを見て、
「あれ?、出来てる!」
とつぶやいたのが印象的であった。
ちなみにその時こっそりと、A先輩に聞いてみた、
私「A先輩、何やったんですか?」
A「このあいだ気づいた事そのまんまだよ、背筋を伸ばして肩を落とす。
それで少し型を練習し直したんだ。」
やったことは、あくまで基礎の注意点の二つだけ。
総合的には、『姿勢をよくした』という一つのことだけで、
たったそれだけで、A先輩は40点をたたき出したのである。
ただし、A先輩はそれまでに師匠について長く習ってきており、
いままで積み上げてきたものを、見直すことで、
それが一気に花開いたのではないか、というのが私の見解である。
その後は、驚異的な点数をたたき出すことはなかったが、
普通に二桁の点数を、A先輩は出し続けた。
A先輩を見ていて面白いのは、
芸事で、師匠に段々と『話が通じる』様になっていった事である。
(それは同時に、私達生徒に話が通じなくなっていったことでもある)
A「師匠、今まで何度も言われてきた××って、重要だったんですね!」
師匠「‥‥‥‥‥つまりは今までお前は、『俺が教えてきたこと』をあまり大したことでは無い、と思っていたのか?」
A「‥‥‥い、いや、そうではなくてですね‥‥‥‥」
と、おたおたするA先輩と、
苦笑いしている師匠。
それを羨ましそうに見ている私達生徒。
そんな光景が続くようになっていった。
この話で最重要なポイントは、
A先輩が、
『いままで、師匠のいったことをやっていなかった』
『本当の意味で、師匠の言うことを、ちゃんと実行するのが重要』
という事に『気づいた』所にある。
A先輩の何が変わったかと言って、
変わったのは『心がけ』が変わっただけとしか言えないのである。




