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武術覚書  作者: asada11112
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006 古代の武術

古代武術の派生?



一種の古代ロマン。

武術オタとして、あこがれるロマンである。


日本最古の武術と言えば、竹内流小具足腰廻、

しかし、その当時の竹内流の文書にはこう書かれている。


「我が竹内流は、『他の流派』と比べて‥‥‥‥」


詳細は失念、多分、秘伝誌だったと思う。


これは、竹内流の同時代に別流派が存在した、

あるいは、

竹内流より昔の流派が存在したことになる。


まるで、エジプトのアレクサンドリア図書館。

今より2300年前、それよりも昔の伝承を記録した文章の図書館。

火事にて焼失した幻の古文献の如し。


古代武術は、どう派生したか?

私の個人的な考えでは、武器の発展と深く関わっていたと考える。


例えば、鉄砲伝来の時に、

鉄砲を売ったとして、

購入者「どう使うんだ?」

武器屋「知りませ~ん」

では、話にならない。


優れた武器には、同時に優れたマニュアルが必要となる。

すなわち、優れた武術が。


日本に鉄の武器が入り、

製鉄技術が流入する。


その前の青銅の武器と青銅の精錬・加工技術の時もであるが、

特に足跡がたどりやすいのは、


『鉄器の制作集団』の存在である。


鉄器の制作集団の裏には、

おそらく、鉄の武器を操る為のマニュアルが存在して、

それを管理して伝えていく集団もまた、影にいたと推測される。




鉄器の制作集団と、その影として存在する、武術集団。


しかし、歴史の伝承には一切現れていない。


怪しげな日本古代ロマン。


鉄器の制作集団としては、

物部氏の足跡をたどる事ができる。



先代旧事本紀巻第三


船長同共率領梶取等天降供奉

 船長跡部首等祖天津羽原

 梶取阿刀造等祖大麻良

 船子倭鍛師等祖天津眞浦

 笠縫等祖天津麻良

 曽曽笠縫等曽天都赤麻良

 爲奈部等祖天都赤星

 

饒速日尊禀天神御祖詔。乘天磐船而天降坐於河内國河上哮峯。

則遷坐大倭國鳥見白庭山。所謂乘天磐船而翔行於大虚空。巡睨是郷而。

天降坐矣。即謂虚空見日本國是歟。


「ここに船でやってきた技術集団が物部氏の先祖だった。梶取り、刀造り、鍛師、赤星、

・・・とかあるのは船を操る集団であった。星は方向を決めるのに大事だからだ。」


(参照・www.musubu.jp/chimeikatanorekishi1.htm‬ 交野市の歴史的地名の解読 より)



の武器の伝来、製鉄技術の伝来に関しては、


劇画「宗像教授伝奇考」が面白い。

一読の価値はあり。


鉄の伝来と各地の神話、(遠くはヒッタイトやシルクロード)

それと日本の神話との比較が面白い。


製鉄技術に関しては、

近畿地方に勢力を広げていた、

「肩野物部」(かたのもののべ)に興味がある。


物部氏の一つであるが、これは一族と言うより技術集団に着けられた名前らしい。


先代旧事本紀巻第三


船長同共率領梶取等天降供奉

 船長跡部首等祖天津羽原

 梶取阿刀造等祖大麻良

 船子倭鍛師等祖天津眞浦

 笠縫等祖天津麻良

 曽曽笠縫等曽天都赤麻良

 爲奈部等祖天都赤星

 

饒速日尊禀天神御祖詔。乘天磐船而天降坐於河内國河上哮峯。則遷坐大倭國鳥見白庭山。

所謂乘天磐船而翔行於大虚空。巡睨是郷而。天降坐矣。即謂虚空見日本國是歟。



梶取り、

刀造り、

鍛師、

赤星、


赤星とは船を操る集団の事、星を見て方角を決めて船を操ることから。


それはさておき、肩野物部の肩野かたのと言うところは、どうも「型の」という意味でもあるらしい。

鉄の武器を操る、武術の型は、ここから来ているのかもしれない。


しかし、武術集団については記載がない。

何故だろう?、裏の存在だからだろうか?(ロマンである)


武器の形状、


日本の最初のつるぎは十束屈刀という形。

とつかのつるぎと言い、十握剣とも書く。


内反り-すなわちナタの形に近く、歴史的に見て、草薙の剣もそれに近い形ではないかと考えられる。


次いで、両刃の剣、中国の剣に近い形になり、


そして今の日本刀の形に落ち着く。


型は武器の形に応じて変わっていったのではないか?


何故なら、最初二つは、片手操法の剣で、(十束屈刀は両手で持てない柄の長さ)

最後の形である日本刀の形は、両手操法のものであるから。


当然それを操る型も変化しざるおえない。


ともあれ、武術集団として初めて日本で脚光を浴びたのが、竹内流となる。

日本最古の武術のその「型」が、


当時の日本では「最新」の物であったと言うことになる。


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