049 気のせい? その6 及び黙念師容について
気のせい? その6 及び黙念師容について
変な気の入った水鉄砲は、お清めの塩漬けにして3週間目。
気が見えるようになった生徒から聞いたのは、
最初に写真を送ったモノの『パウダーフラスコ』のレプリカに特に嫌な感じがしたと言われたのだが、
二週間を超えた現在、
最初に送った写真を見ると、
嫌な気の感じがだいぶん抜けていると感じたそうである。
今の写真ではなく、以前送って『変な気が入っている』と言われた写真を見て、である。
写真と現物は現在進行形で『同調』しているのだろうか?
話は黙念師容に入る。
意念(イメージの使い方)の一種。
今まで幾つかの意念のやり方を習った。
その中でもこれは一番基礎的なやり方。
師匠の姿をイメージして動く事により自然に技が出来る様になると言うモノ。
劇画『拳児』でも台湾編にて紹介されているモノであり、
中国武術をやってきた人間はみな練習すると言っても良いほどの有名な意念。
で、意外な程に『効果が出なかった』覚えがあると思う。
私もその一人で有った。
今回、師匠にあるやり方を教わるまでは。
今回、それを教わって試してみて思ったのは、
『これ、外部に漏らしたらヤバくない?』
であった。
何せ、会の中で一番伸びの低い私が、
『出来る様になる』
シロモノだったのだ。
出来た自分が信じられない、
(ちなみに何故か会の中でも伸びの悪い、私を含めた三人が20年続いて、私より上手な人間がドンドン辞めていく)
言ってしまえば、
拳児で見た黙念師容の理想とも言える効果。
少々やばい方法論なので詳しくは言えない。
重要なのは頭の中でイメージしても駄目だと言う事。
意識が外に繋がっている事が大事。
師匠はこれを『インターネットに繋げ、ちゃんと俺のデータをダウンロードしろ』と言っている。
武術は相手がいて初めて成立する技法体系であり、
当然相手を想定しており、
相手に効かなければ意味がない。
武術を習うと言う事も、
師匠がいて初めて成立する。
自分の頭の中でやって出来るなら、
師匠は要らない。
出来ないから、習いに来ている。
自分の動きをいくら自分の中に追い求めても駄目。
以前書いたが、
師匠の脳内プログラムを真似しなければ、
出来る様にならない。
見えるパンチは当たらない(師匠の先生の言葉)
見えないパンチだからこそ当たる。
因みに師匠曰く、
「鏡の前でやってみたら、自分でも自分の動きが見えない。そりゃ当たるわな」
との事。
見えていない師匠の動きを、
自分が幾ら頭の中で想像してもそれは別物であり、
黙念『師』容とはならずに、
黙念『自分』容となってしまう。
そこを突破するのが今回習った方法論である。
当然の事ながら、自分のプログラムで動いていない、
師匠の脳内プログラムで動いているから、
出来た実感がまるでない。
出来てもそれを二度目に再現出来ない、
出来た時のことを思い出そうとしても出来ない、
おそらく、多くの武術修行者が必ずやる『あるあるネタ』である。
今回の方法論は、
『言われた通りにやったら何故か出来た、その時の感覚は、失敗した時の感覚と区別が付かない』
状態である。




