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武術覚書  作者: asada11112
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176 妄想仮説・回族武術の秘儀『湯瓶式』は失われた超古代武術の名残か?


176 妄想仮説・回族武術の秘儀『湯瓶式』は失われた超古代武術の名残か?


初っ端から痛いサブタイトルで申し訳ない。



今回の説は丸々妄想である。

これは一般人が『邪馬台国の位置』で色々自説をYoutubeに投稿しているのに似ている。


邪馬台国の位置は、

上は学者から下は一般の古代歴史ファンまで、

好き好きに語られる内容である。

未だ確たる証拠が上がっていないので、

幾千万の説が湧き出す群雄割拠の状態であり、

確定しないので、

どんなトンデモ説でも否定されない。


今回の説もあくまでも『浪漫』として読んでいただきたい。



※湯瓶式の真面目でしっかりした考察は、


宝蔵院胤舜 様より、

『八極拳の謎』として、

なろうにも投稿されているので参照されたし。



大分以前に、

『湯瓶式』についてネットで色々情報を漁っていたが、

元々が回族(中国のイスラム教徒)に伝わった宗教的な秘儀の形なので、

ものすごく曖昧で、ものすごく情報量が少なかった。


回教ムスリムの神殿内でだけ練習された武術で、

自分がムスリムだと宣言する『形・姿勢』が湯瓶式であり、


その姿勢は礼拝前に手足を清める為の水を入れた容器である

湯瓶とうへい』の形を表すとの事。


挿絵(By みてみん)



なんだかよく分からなかった。

‥‥‥‥‥‥

色々調べて、

現在の私の認識は、


一番みんなに分かりやすい、想像しやすい形としては、


『八極拳の衝捶を打った直後の姿勢』

だと想像すれば良いと思う。



挿絵(By みてみん)


ただし細かく正確に表現すると、

『その時の上半身の形』が湯瓶式であり、

両手は拳ではなく掌に開き(※1)、

脚の形は馬歩だったり、虚歩だったり、四六式でも良いらしい(※2)、


※1

掌の形に指を伸ばしているのは、

そこが水の注ぎ口だから手を開いているからと考える。

(運んでいる時に注ぎ口から水がこぼれない様に栓をしていて、

それを拳に例えていたのかもしれない、

栓を抜いて水を出す時が、

清めの儀式が始まった所であり、

神殿の中でやるのはこちらだったのではないか?)


※脚の形は、

査拳では虚歩での湯瓶式があるそうで、

当時はネット上で、

査拳の湯瓶式がサムネイルでちっこく表示されて、

それをクリック(今ならタッチ)したが、

画像が削除されていたので細かいところは分からなかった、

(今はGoogle検索でも表示されない)



上記の如き発見(?)をしながらネットの中を彷徨っていると、


湯瓶七式拳

の文字が目に入った。

ムスリムの秘拳であり門外不出の拳法であった。

名称の頭にわざわざ『湯瓶』を付けているのは、

それこそ湯瓶式を根幹に置いているからであろう。



时振剛老師と言う湯瓶七式拳の伝承者が出版したVCDのケースの表紙写真があり、


その画像には、彼に伝わった『湯瓶式』を構えていた。



挿絵(By みてみん)



湯瓶式であると私が判断した理由は、

両手の指が開き伸ばされ、

『顔の向き』が胴体正面に向けられているからである。



八極拳の基礎の衝捶を習う時は、

師匠からいつも注意されるのが、


師匠「出した手の方に顔を向けろ!、そっちに相手は居ない!、殴られるぞ!」

である。

(撐掌も同じ)

であるから、武術家(しかも老師クラス)は『衝捶』や『撐掌』では絶対に、

胴体正面に顔を向けて写真は撮らない。

そこをあえて顔を正面に向けている事、

横に出した手も、腰に構えた手も拳ではなく掌に指が伸ばされている。


わざわざケースの表紙でこれを使ったのはこれが『湯瓶式』であり、

湯瓶七式拳の教学映像だからであろう。


コレを見て瞬間に頭に思い浮かんだのは、

『これって、相撲の雲龍形じゃないのか?』

であった。


相撲の雲龍形も、

神に捧げる為に、神前で行われる儀式である。


これも胴体正面に顔を向けて、

横に出した手も、

腰に構えた手も、

掌に指を伸ばしている。


挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)


そして、

弥生時代の古墳からは、

雲龍形(=湯瓶式?)の形をした力士の埴輪が出土している。



挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)


日本で最初の格闘技・武術の記載は、

記紀における、

「野見宿禰vs当麻蹴速」の闘いである。


挿絵(By みてみん)



その以前の闘いの描写は、

人間ではなく、

神様である建御雷之男神たけみかづちのおのかみと、

建御名方神たけみなかたのかみとの闘いである。


故に、日本での『人間で』最初に相撲(角力)を取った記録が野見宿禰の話となる。


なお、神様での日本で最初に相撲(?、柔術の手捕りらしき技)を取った記録が建御雷神の話となる。



因みに、

古い神様の名前は、丁寧語の前置きがあり、


タケミカヅチオノカミは、


タケミ=武神(尊称)

カヅチ=家鎚(本名)

オノカミ=男の神(尊称)


タケミナカタノオノカミは、


タケミ=武神(尊称)

ナカタ=中田(本名)

オノカミ=男の神(尊称)


であり、あの話は、

『家鎚さんと中田さんが闘った』

と言う意味になる。

(名前の漢字は昔はなかったのであくまでも仮称である)



『湯瓶式』が超古代武術の名残りであるとした理由は、


古墳から出土した力士の埴輪が、

湯瓶式?(=雲龍形)

を取っている為であり、


埴輪そのものが、

実は日本で最初に相撲を取った記録に出て来た『野見宿禰』が、

垂仁天皇の妃の葬儀に於いて、

生きた人間を生き埋めにして殉死させる代わりに、

人形(埴輪)を使おうと提案したのが始まりとされる。


その年代は、

日本で最古級の力士埴輪の年代測定では、

松江市の石屋古墳の5世紀半ば、

つまり西暦400年代後半になると言う。


※西暦01年が『1世紀』と数えられるので、

現在2023年は『21世紀』である。



つまりは、

『湯瓶式』の歴史は、

日本では西暦400年代後半にまで遡るのである。

当然、中国本土ではそれよりも古くなるだろう。


歴史を見ると、

イスラム教が成立したのは、

西暦610年(7世紀)であり、

順番的には、

ユダヤ教からキリスト教が派生し、

キリスト教からイスラム教が派生して、

その三つの宗派は、

共にヤハウェを神として崇め、

その経典として旧約聖書がある。



日本の相撲は、

旧約聖書のヤコブと神(天使)の闘いで用いられた古代武術の技法が、

シルクロードを通ってやって来たとの説がある。



挿絵(By みてみん)



例えばエジプトの壁画には、

まわしをしめて相撲を取る様子があり、


挿絵(By みてみん)


4600年前のメソポタミア文明の遺跡からも、

壺を頭に被り、

まわしをしめて相撲を取る姿の青銅器が見つかっている。


挿絵(By みてみん)


これを見た上で、

回族武術、

湯瓶七式拳の動画を見ると、

改めて、

相撲っぽさ、古代武術っぽさを感じる。




イスラム教もユダヤ教も、

砂漠の民からの派生であり、

お清めの湯瓶を神聖視するのは、

砂漠の民が水を大事にしていたからだろうと考える。


下の画像は胡座で座り、神前に柏手を打っている力士を想起する。


挿絵(By みてみん)


中国には胡座と言う文化は無く、椅子に座る為、

胡座の体勢は、

功法や練習としてでしか取らないとの事。















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― 新着の感想 ―
[良い点] 素晴らしい! ロマンもあり、説得力もある!
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