148 ー『144』の補論、八極拳とフィギュアエイト(今回のネタは難産)
144の補論、八極拳とフィギュアエイト(今回のネタは難産)
難産だった理由は、
教えられたてホヤホヤのネタだった為、
ちょっと保留にしようと、
他のネタを書こうとして、
ピタリと筆が止まってしまったせいである。
これを書いておかないと進まない事が分かって、
結局こちらを書き出したと言う訳である。
取り敢えず、
144で書いた内容の補完であるのでまずはそちらをおさえて戴きたい。
144の内容を簡単に纏めると、
①ロシア武術システマ(おそらくミハイル系ではなくカドチニコフ系)では、
フィギュアエイトと言われる身体の各部位を8の字や∞の形に動かす身体の使い方がある。
②呉氏開門八極拳の套路の一番最初にやる動作である『開門式』がシステマの腕のフィギュアエイトと全く同じ動作である事。
③システマのフィギュアエイトでは、
基本的に一つのフィギュアエイトを覚えて置けば、どんな相手の動きにも対処する事の出来る(ほぼ)万能の技術である(少々大袈裟な言い方ですが)
④他の中国武術にもフィギュアエイトの動きがあちこちに見られる、
④師匠が劉雲樵公の組手で、呉氏開門八極拳の後半の両手で自分の膝を払う動作を発見。
⑤師匠はそれを六大開だと説明。
以上である。
144ではまだ分からず書かなかった事がある。
呉氏で行う開門式の動きが、B壇系八極拳の六大開のどれに当てはまるのか?、
と言う話。
師匠から教えられたのは、
『挑打頂肘』であった。
其処で少し首を傾げてしまった。
フィギュアエイト(開門式)と、
挑打頂肘の動きが私には違って見える。
『何処に共通点があるのだろう?』
と、思ったが、
そこで悩んでも仕方なし。
(馬鹿の考え休むに似たり)
と放っておいた。
それが最近、明らかになった。
大八極(大架式)の練習中に師匠から駄目出しが出る。
挑打頂肘にて、
師匠「頂肘になる直前に後ろの手がパンチしている、それじゃない」
と言われる。
しかし何度やっても分からない私に、師匠がやって見せてくれた。
師匠「俺の右手の拳の軌跡をよく見てみろ、S字になってるだろうが」
ここで漸く、右手の軌跡がS字‥‥つまり『フィギュアエイト』になっているのが分かった。
師匠「前の手もS字だからな?、ちゃんと『太極円』を描いているだろう?」
かなり大きめのフィギュアエイトで振り上げた手をS字で下ろす途中で止めた姿勢が前の手の頂肘であった。
中国武術的にはフィギュアエイトの動きは、『太極円』と解釈される。
円の中にS字が入った図形を一筆書きでやろうとすると、
フィギュアエイトと同じ動きになる。
師匠「これは太極拳も同じ、
雲手の時に膝がフィギュアエイトを描くと教えただろ?、
外三合の意味は何だった?」
拳と足を合わせ、
肘と膝を合わせ、
肩と胯を合わせる。
師匠「って言う事は、膝がフィギュアエイトを描く時、肘はどうなっている?」
合わせて肘もフィギュアエイトを行っている。
私「小架の頂肘もそうなんですか?」
師匠「当然!、だから呉氏では小架の頂肘の事を『両儀』と呼んでるんだ、分かって居たんだよ昔の人は。」
無極から太極を生じ、
太極から陰陽が分かれる事が両儀と言う。
師匠「理屈がわかる事を『分かる』と言う、つまり『同じ』と『違う』が『分けられる』ことから来ている」
との事。
師匠「呉氏開門八極拳の開門式はフィギュアエイトの理屈に気づいて、
わざわざ套路の初めに持って来たんだよ」
つまりは日本武術で言う所の『極意』である。
因みに昔、
師匠がスポーツセンターで八卦掌を練習していると、
隣で練習していた合気道の師範が師匠にわざわざ声を掛けてくれて、
「いま貴方がやっていた動きは合気道の極意です」
と教えてくれたそうである。
中国では『極意』と言う武術用語は存在せず、
師匠は家に帰って調べて、驚いたとの事。




