107 勁の練習風景
『発勁』
中国武術においてあまりにも有名な言葉。
その前段階としてあるのが、
『蓄勁』
文字通り、勁を貯める。
さて、私、ここで大きな勘違いをしていた。
世間一般のイメージでは、
例えば、
『震脚と同時に体を沈め、脚で地面を蹴って相手にそれをぶつける』
というものが思い浮かぶが、
そういうイメージで練習会で体を使ったら、
師匠より、
「そりゃあ、一番やっちゃあいけない動作だよ」
と笑われてしまった。
師匠「体を下に沈めるな、地面を脚で蹴るな!」
では沈墜勁って何?
師匠「そこに立って、手ぇだしてみ」
私は起立ー片手前習え
その私の手のひらに、師匠の手が触れる。
師匠「ほい」
師匠の僅かな動き、
体を沈めもせず、
地面を蹴りもせず、
ただ、真横への小さな動き。
次の瞬間、
私の頭が、真横からはたかれた様な感じを受け、
そのままよろめいた。
手には何も押された感触はない。
いきなり自分の頭に、何かが来た。
師匠「これが沈墜勁な」
『勁』という訳の分からない現象に初めて触れた10年前。
以前も書いたが、当時の師匠はやってみせるだけ。
勁というものの特性を僅かでも理解……
(会では、理解する=出来る様になる事)
するのに、数年を要した。
『勁4番』
おそらく、最も初歩的な勁の作り方が理解できるこの練習会のオリジナル技術。
この技術の醸成にて、初めて理解できた特性。
腕を出し、軽く肘を動かす師匠。
これが4番を作る方法。
師匠「これで拳先に力が貯まっている」
力が貯まる?
その師匠の拳を手で触る。
師匠「ほら」
拳から手を離すことが出来ず、そのまま体が持っていかれる。
師匠「まだ『解放』していない。手が放れないのは、危険だと感知して押さえ続けようとしているから」
師匠が私の手を拳からひっぺがして、
別の生徒に向ける。
師匠「持ってみな」
他の生徒が師匠の拳に触る。
師匠が動く。
やっぱり体が持っていかれる。
それを数人繰り返す。
作る動作-肘の動きは最初の一動作だけ。
あとは、それがずっと『保存』されている。
師匠「この勁は人に『渡す』事が出来る、K、手ぇ出しな」
K先輩「はい」
師匠「うまく『固定』しろよ」
師匠はK先輩の手を持ち、4番を『渡す』
生徒が、K先輩の『4番を渡された』拳を触る。
K先輩は、手を突き出す。
せいとは、ふっとんだ。
師匠「あ、『解放』しちゃったね」
別の生徒が、K先輩の拳を触る。
同じように拳を突き出すK先輩。
だが、せいとは、ふっとばなかった。
師匠「解放して使い切っちゃったからね」
同じようにして、数人の生徒で実験。
威力の差は、段違いだが、
同じような事が出来た。
勁はまるでお金のように、
貯めたり、
使ったり、
手渡されたり、
生徒「師匠、それって他の拳種に応用できませんか?」
師匠「うん、それなんだけど、例えば形意拳で勁4番やろうとすると……」
師匠が動く。
それは、
三体式そのままであった。
師匠「型そのまんまなんだわ。やっぱり昔の人って凄いね」




