八月一四日④
午後八時。新宿駅南口の高架下にダンボールハウスが並んでいた。九六年の新宿駅西口の強制排除事件の後、新宿中央公園がその中心部となっているが、そのムラから逃れるように短い歩道に沿って十件程のハウスがひっそりと並んでいた。
本橋は歩道を一往復すると、端から三件目のハウスを軽くノックした。なんの反応もなかったが、何度かノックしていると、ダンボールの一端がめくられ、男が迷惑そうに顔をのぞかせた。
「なんだよ」
男は、無愛想に言った。
「騒がせて、すみませんね。本橋という者ですが、ちょっとお尋ねしたいことがあって」
本橋は、男と目線の高さを近づけるようしゃがんで、丁寧な口調で話しかけた。
「警察か?」
「違います。ワンカップ配って歩いてるんです」
本橋は、コンビニ袋を差し出した。
「なんだよ。買収しようってか」
男は、怪訝そうに本橋を睨んだ。
「人を探していましてね」
「俺は仲間は売らねーぞ」
本橋が、コンビニ袋をさらに男に向かって差し出すと、敵対的な口調とは裏腹に右手でそれを受け取った。男の体からは、すでにワンカップ酒の匂いが漂っていた。
「人助けですよ。最近まで、この辺に陣内さんって方いませんでした?」
「陣内? 知らねーな」
「身長一六五センチ位の六二歳の男性なんですが」
「この辺にいる連中は、みんなそんな感じだぜ」
ワンカップを開けて一口飲むと、男はタバコに火をつけた。そして、しばらく沈黙すると、本橋の方をじろりと見て、勿体ぶって言った。
「陣内さんなんてのは知らないけど、ジンさんってのなら、最近までここにいたぜ」
「そのジンさんって人は、さっき言ったような特徴でしたか?」
「だから、みんなそんな感じだって言ったじゃねーか!」
男は面倒くさそうに大声で言った。
「ジンさんっていう人とは仲良かったですか?」
「最近は、みんな近所付き合い悪いだろ? お宅もそうじゃないの?」
「そうかも知れませんね」
本橋は愛想よく相槌をうった。本橋に根負けした男は、「カジってのが、お友達だったみてーだぜ」と捨て科白を吐きながら、ハウスの中に戻っていった。
本橋は、ハウスの外から「ありがとうございました」と礼を言ったが、そこから立ち去らずじっとしていた。すると間もなくハウスの中から、「一番右端だよ。もう帰れよ!」と怒鳴り声が聞こえた。
本橋はようやく立ち上がると、男に教えてもらったハウスの方に向かった。高架下を通過する車のエンジン音が盛大に反響していた。
目的のハウスを何度かノックすると、またしても中から「うるせえ」と怒号が飛んできた。本橋はひるまず、再びノックした。すると、中から「うるせえって言ってんだろ」という怒鳴り声とともに、男が顔をのぞかせた。
「あなた、カジさん?」
本橋が尋ねると、男は敵対的な表情で
「お前、誰だよ」
と問い返した。
本橋は、労働基準監督官証票を男の前に提示し、「杉並労働基準監督署の本橋といいます」と言った。
「監督署? 監督署が何の用だ」
意外だったのか、男の顔に好奇心が覗いた。
「陣内さんが……」
クラクションがけたたましく反響し、本橋の声はかき消された。
「あ?」
男が大声で叫んだ。
「ジンさんが、死んだんだ!」
本橋が叫ぶと、男は信じられないという目で本橋を凝視して、つぶやいた。
「死んだ?ジンさんが?」




