「前置きが長い!」と言われる前置き
「これから話すことは、あくまで、私の話ですよ。
その前置き、です。
1980年代に入って、今で言うパソコンが世に出てきたんですよ、当時は〝マイコン〟と言っていました。それまでは電卓に大きな液晶画面を付けてゲームができるようにしてたんですが、大型化し、部品を箱に入れて、モニターを乗せてと、できることを増やしたんですよ。
しかしメーカーにしてみれば、もともとは家電製品をコントロールするチップの開発がメインで、〝マイコン〟はオマケのつもりだったそうです。今でもマイクロコンピューター制御の電気炊飯器とかクーラーとかが普通にありますよね、その系統で進めたかったようなんですが、その〝マイコン〟が世に受け入れられまして、売れていったんですよ。
当時は文字を書く、絵を描く、簡単な音を出してその音を繋げて音楽にするとかシンプルなことしかできなかったんですが、才能ある人や面白がる人が、そのシンプルさを上手く作品にしていったんです。
売れるとなれば作るのがメーカーです。機能を増やしていって、多くのことをできるようにしたり、微妙なことをできるようにしたりと新製品が開発されていきまして、1990年代になると、〝マイコン〟がCD-ROMからデータを引き出せるようになって、映像とか動画とか普通の音楽とかを再生出来るようになったんですよ、今のパソコンの基本性能が備わったのが1990年に入ってからなんです。
もちろんざっくりした説明ですので詳しい人に聞かせたら違うとかおかしいとかあるでしょうけど、まぁそれはそれとして。
それで、できることが格段に増えて、尖った才能を持つ人達がパソコンで攻め始めましてね、アンダーグラウンドでもないのに、身体障害者をアートに使った作品(例:レジデンツ「フリークショー」)とか、死体写真集(例: EVIL EYE「美麗死体写真集 Lilly」)とか、意味のないナンセンスな内容のもの(例:青林堂「ねこぢる」CD-ROM版)とかを、パソコンを通じて大勢の人に見せたいって作品を作ったんですよ。
その一環として、ヨーロッパの芸術史に出てきたシュールリアリズム運動とか、その前身のダダという運動の作品を紹介する人達が出てきました。
シュールリアリズムは超現実主義と訳されますが、ダダというのは、赤ちゃんがモノをしゃべる前の「ダァダァ」と言うのをネーミングに使ったと言われています。つまりは“意味が無い”ということです。
しかしそのダダ運動で作られた作品というのはなかなか作ることが難しく、本当に何の考えもなしに、無意識に作品を作るてのは難しいんですよ。普通に作っていてはどうしても意味が入ってしまうんです。
そこで作家達は、風船にペンキを入れてぶつけるハプニングとか、上の空で、無の境地を求めて手を動かすとかいろいろ工夫をします。
文章や絵画ならそういう手法も有効なんですが、映画を作ろうって人も出てきましてね、そこら辺の理論立ては私にも難しくてお手上げなんですが…。
で、ここからが本題です。




