表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

8/15

8 一安心お肉

 


「奥様、そんなに落ち込まないでください」


 放っておいてちょうだい……


 私は屋敷へと向かう馬車の中で、1人ズドーンと落ち込んでいました。

 ちなみに、今はエマと二人きりです。

 あの人と執事のルーカスは別の馬車に乗っております。


 あの後、私の魂の叫びによって、乙女の秘密の花園が切羽詰まっている事を知ったあの人とルーカスは、申し訳なさそうに慌てて道を開けてくれました。


 私は、必死の形相でエマにおトイレを訴えましたわ。

 そんな私に返ってきたのは、「奥様、ここら近辺におトイレはありません」というエマの非情な宣告でした。


 ですが、そこで諦める私ではありません。

 エマにドレスの後ろを持ってもらって必死に走りましたわ。

 少しでも山小屋から遠ざかるように。

 そして山小屋から大分離れた草むらで、私は無事に用件をすます事ができたのです。


 ……口に出して突っ込まないでほしいですわ。

 淑女の恥です、黒歴史ですわ。

 漏らしてドレスを濡らすよりはマシだと判断したのです。


 戻ってきた私を出迎えたのは、あの人とルーカスの何とも言えない空気でした。

 目をあわせられませんでしたわ。

 むしろ、羞恥心で顔をあげられませんわ。


 誰からともなく馬車に乗り込み、こうして屋敷への道をガラゴロと移動しているのですわ。


 ええ、忘れてしまいましょう。

 何もありませんでした。

 何も、ありませんでしたのよ。


「今度から携帯トイレを持参いたしましょうか?」


「傷口をピンポイントでえぐらないでちょうだい!!」


「そんな事より奥様」


 そんな事じゃございませんわ!


「遅れましたがこちらを」


 そう言ってエマが差し出してくれたのは、包装紙に包まれた物体。

 これはもしかして……


 ガサガサと開けて見たら、中からは小さめのクルミパンが出てきました。


「冷めてしまいましたが、お腹が空いていらっしゃるでしょう?」


 もちろんですわ!

 私はクルミパンを口に運びます。

 冷めて固くなってしまっていますが、それでもとても美味しいですわ。

 こんなに美味しいクルミパンは初めて食べました。


「ありがとう、エマ。とても美味しいですわ」


「さようで。遅くなりましたが奥様、ご無事で何よりです。本当に、心配したんですよ」


 私の手を取り、穏やかな微笑みを見せてくれるエマ。

 その温もりに包まれた瞬間、私の瞳から涙が溢れ始めました。

 エグエグとえづきながら、エマの手を握りしめます。


 怖かった。

 とても怖かったんですのよ。

 乙女の花園が危機に瀕しているせいで、何だか余裕があるかのように振る舞えましたが、本当はとても怖かった。


 貴族の矜持として、誘拐犯の要求に応じる事はできません。

 拐われてしまった場合、『家』の名を汚さぬよう『死』を覚悟しなさい。と教わってきました。


 その通り、教えに殉じようとも思いました。


 ですが、怖かった。

 とても怖かったのですわ。

 生きていたい、死にたくない。

 まだやりたい事がある、思い残した事がある。

 会いたい人がいる、伝えたい思いがある。


「覚悟なんて……できなかったですわ……!」


 子どものように泣きじゃくります。


「覚悟なんていりません。そんな覚悟しないでください。怖くて当たり前なんです。私は、奥様がいなくなるなんて考えたくもありません。生きてください。最後まで、諦めないでください」


 私は、エマの手を握りしめながら、ずっとコクコクと頷きました。



 私が泣き止んで落ち着くまで、エマはゆっくりと話をしてくれました。

 さっきの執事のルーカスは、あの人が小さい頃からの専属執事らしいです。

 見た覚えがあるような気がしたのは、私とあの人の結婚式の時に見た事もない男性が乱入した時に、エマと一緒に男性を引きずってたからでした。


 何故私を見つけられたのか。

 どうして、誰に誘拐されたのか等々は、屋敷に帰宅してからあの人が説明してくれるそうです。


 エマが、「許せなかったら許さなくてもいいんですからね。仮面夫婦上等です。私が奥様を守ります」って鼻息荒く臨戦態勢だったのがとても気になります。


 許すとは、誰をでしょう?

 仮面夫婦がどうこう言ってるという事は、やはりあの人の事でしょうか?

 ですが、許すも許すまいも私は嫌われているのでは…


 ……ああ、でも先ほど必死に助けてくれて名前を呼ばれましたわね。


 そこで私は先ほどの事を思い出しました。

 色々あって頭が働いていなかった&忘れていましたが、名前を呼ばれて抱き締められたのですわ。


 赤面ものですわね。

 イレーネ嬢ではなく、イレーネと初めて呼ばれたんですのよ。

 私も、あの人の事を初めて名前で呼べましたわ。

 緊急時のパワーというのは、すごいものがありますわね。

 今は……無理ですわ。


 平時では、まだ恥ずかしさの方が勝るようです。


 ……あら?

 そう考えると、私はあまり嫌われていないのかしら?

 大嫌いな相手を必死に助け出したり、名前を呼んで無事を確かめるかのように抱き締めませんわよね?

 少なくとも、私は無理ですわ。


 でも、そうしたら初夜の件はどういう事なのでしょうか…


 私の頭の中を、疑問ばかりがグルグルグルグルと駆け巡ります。

 考えすぎて、頭が痛くなってきましたわ。


「奥様、お屋敷まではまだもう少しかかります。今のうちに身体をお休めください」


 ……そうですわね。

 今日は色々ありすぎましたわ。


 私は束の間の平穏を味わうかのように、ゆっくりと目を閉じました。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ