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5 涙にぬれる初夜。お肉との別れは突然に

 


 あれから、1週間がたちました。

 皆様へのお披露目も終わり、いよいよ今日は初夜ですわ。


「~~~~!!!!!」


「奥様。不思議な躍りを踊っていないで、ちゃんと湯あみをなさって下さい」


 恥ずかしさのあまりジタバタしていたら、怒られてしまいましたわ。

 記念すべき初夜の為に、私は昼間から身体中磨くのです。

 今はその準備の為のお風呂中ですわ。

 あの人はお仕事です。


 大丈夫ですわ。

 今回は、結婚式の時のキスのように無様な姿は晒しません。

 ちゃんと、お母様に教わりましたもの。


 キスの間は鼻で息をすればいいというのは、ビックリしましたわ。

 そうですわ、人間にはエラはなくても鼻があるのです。

 お母様に肺活量の鍛え方を聞いたら、しこたま笑われましたわ。

 ですが、鼻で息をするというのも恥ずかしいですわね。

 鼻息がかかってしまうではありませんか。


 そうお母様に聞いたら、キスの途中で息継ぎをすればいいじゃない。って言われましたけど、良く解りませんでしたわ。

 お母様が、旦那様に任せればいいと仰ってたので、お任せしたいと思います。


 指で煌めく結婚指輪に、ツツーと指をはわせます。

 とうとう、夫婦になるのですね。

 いえ、書類上ではすでにそうですけど。


 結局、私は今までの非礼を謝罪できていないのです。

 タイミングを逃したというかなんというか……

 二人きりになり、本当の夫婦になり、親密になれば、私も謝罪できるのでは……という期待があるのです。


 頑張りますわ。

 私は、ギュッと手に力をこめました。



 夜。

 私は支度をして自室のベッドに腰かけ、あの人を待ちます。

 お仕事が忙しいようで、夕食は一緒にとる事ができませんでした。

 緊張で、あまり喉を通らなかったのですが。


 髪も肌も手入れをし、お手洗いにも行きましたし、予備知識もいれました。

 準備万端です!

 いつでもOKですわ。

 私はお守りのポプリを握りしめながら、内扉が開くのを待ちます。


 ちゃんと謝罪して、お慕いしているとお伝えして、少しくらいは仲良し夫婦になりたいのです。

 そしてできるなら、あのお肉を揉ませてほしいのです。


 緊張で心臓が痛いですし、唇が乾きます。

 落ち着かなくて歩き回りたい気分ですが、大人しく待つのが慣例ですわ。


 コンコン。

 ビクゥッ!!!!


 ついに、ついにですの!?

 って、あら?

 ノックされたのは内扉ではなく、廊下に繋がる外扉の方ですわね。


「はい。どなたかしら?」


「奥様、失礼いたします」


 入ってきたのは見慣れたエマですわ。

 落ち着きますわね。


「エマ? どうしたの?」


「旦那様がまだ帰宅なさらないので、お茶をお持ちしました」


「あら……そうですの。ですが、お仕事なら仕方ありませんわね」


 少し、早く準備しすぎたかしら。

 待ち望んでいるみたいで、恥ずかしいですわね。


「奥様、上着を」


 そうでしたわ。

 今の私は、初夜の為に準備したネグリジェ姿なのです。

 長い間このままでは、風邪をひいてしまいますわ。

 少し温かめのナイトガウンを羽織ります。


 エマが香り付けをしてくれたのか、仄かにカモミールの匂いがします。


「ありがとう、エマ。落ち着きますわ」


「いいえ。何か、温かい飲み物もお持ちしましょうか?」


「ええ、お願い。ハーブティーにしようかしら」


「かしこまりました」


 ハーブティーを飲みながら、あの人を待つことにします。

 お仕事が忙しいみたいですが、何のお仕事なのでしょう。

 ……やはり、あのウエディングケーキの製品化でしょうか。

 という事は、サリーナ様と……


 嫌な考えや気持ちが、また沸き上がってきます。

 ダメダメですわ!

 私は妻なのです!愛人に負けませんわ!


 頬をパシパシと叩き自分を叱咤させ、静かにあの人を待ちます。



 ……しかし、遅いですわね。

 もう、大分待ってますわよ?

 ハーブティーはとっくに飲み終わってしまっています。

 まさか、事故にでも遭われてしまったのかしら?


 言い様のない不安が駆け巡ります。


 早馬を出して、無事を確かめたい。

 でも、ダメですわ。

 夫の仕事の邪魔をする事は決してしてはならない。と教わりました。

 貞淑な妻は何があろうとも、慌てる事なく家で夫の帰りを待つものだと。


 あの人とブルタン家、オルトマン家に恥をかかせるわけにはいきませんわ。


 私はお守りのポプリを握りしめながら、あの人の無事を祈ります。


 その時、コンコン、と外扉がノックされました。


「奥様、失礼いたします」


 神妙な面持ちのエマが、そこにいます。


「エマ、あの人に何かあったのですか!?」


「いえ……それが、その……」


 おかしいですわ。

 いつも、はっきりきっぱりと告げるエマが、こんなに言いよどむなんて。


「……旦那様は、まだお戻りになられません。まだまだ帰れそうにないので、先に休んでいて欲しいと」


「……どういう事ですの?」


 信じられない言葉が聞こえ、声が震えます。


「あの人は、私と初夜をかわす気がないと。そういう事ですの?」


 怒りと屈辱で、身体が震えます。

 この国の貴族にとって、初夜はとても特別なものなのです。

 初夜をもち、正当な夫婦として認められます。


 初夜をかわさない限り、式をあげても、お披露目をしても、婚姻の証明書にサインをして神父様に認められても。

 初夜をかわさない限り、夫婦ではなく恋人、愛人ですわ。


 初夜に妻を手厚く扱うことで、夫婦、しいては家同士の繋がりがどれだけ強固であるかを周囲に示すのです。

 恋愛結婚ではなく、基本政略結婚である貴族にとって、家の名誉や繋がりはとても重要な事です。

 周囲に険悪だと知られたら、一気に没落する事だってあるのですから。


 中には、どうしてもお互いを受け入れられず、仮面夫婦で過ごす人たちもいますわ。

 それでも、重要性を知っているから、その一夜は互いに我慢して乗り越えるのです。

 もしくは、初夜をかわしていない事を知られない為に、緻密な偽装工作をするのです。


 お仕事は大切ですわ。

 ですが、初夜をかわさない大義名分にはなり得ません。

 偽装工作もせず、初夜をかわそうともしない。

 これは、『妻も妻の実家も、どうなろうと知った事ではない。どんな目にあおうが自分には関係のない事だ』

 そう言い放ったも同然の行為なのです。


 こんな大切な事、ブルタン侯爵家の次男であるあの人が知らないはずありませんわ。

 貴族であれば、誰もが教育される事です。


 私に、傷つく資格などないと解っております。

 馬鹿にして、冷たくして、未だに謝罪できていないのですから。

 あの人が、ここぞとばかりに報復するのも仕方がない事でしょう。


 ですがそれならば、何故あんなに私に優しくしたのです。

 笑顔を見せたのです。

 遅れるから待っていてほしい。など言ったのですか。

 期待させて、突き落とす為?


 ギリッと唇を噛み、拳を握りしめます。

 せめて身体の痛みで、この痛む心を慰めましょう。


 ゆっくりしている暇はありません。

 オルトマン家の為にも、今すぐに動かなくては。

 私は、エマに指示を出しました。




「かしこまりました。それで、奥様は?」


「……ギリギリまで待ちますわ。どうなるかは解らないから、エマは支度の方をお願い」


 一礼して、エマは出ていきました。


 お守りのポプリを握りしめながら、私は祈るように待ちます。

 もしかしたら、もしかしたら来てくれるかもしれない。と、どこかでまだ期待していたのです。


 本当に、私は馬鹿ですわ。


 1秒、1分、1時間。

 時間が過ぎ行く事に、私の焦燥は激しくなります。


 何時間たったでしょう。

 窓の外が少し明るくなった頃に、あの人は帰ってきました。


 エマに、初夜の事はあの人に伝えないように頼みました。

 懇願しての初夜などごめんです。

 馬鹿な私にも、些末なプライドはあるのですわ。

 こういうところが、私のダメで可愛いげのないところかもしれませんわね。


 フッと自嘲の笑みがこぼれます。


 玄関が開く音。

 階段をのぼる音。

 そして、隣の部屋の扉が開く音。


 正念場ですわ。


 あの人が初夜をかわす気があるのなら、そう遠くないうちにあの内扉はひらかれるでしょう。


 …………


 …………


 …………



 何も、動きませんわね。


 私の意地と怒りと屈辱は、泡のように溶けていきました。


 もう、怒りも何もありません。

 あるのは、ただ寂しさと虚しさ。


 本当に、私は馬鹿で愚かですわ。


 これだけの事をされておいて、未だあの人への愛情が消えてくれないのです。

 夫婦になりたかった。

 あの人と子どもを慈しみたかった。


 しばらく流れていなかった涙がハラハラと流れ落ちます。

 ……涙を流すのなんて、いつぶりかしら。

 子どもみたいね、私は。


 お母様の言いつけ。

『貞淑でありなさい。貞淑な妻は何があろうとも、慌てる事なく家で夫の帰りを待つものよ。貞淑であれば、旦那様は必ず帰ってくるわ』


 小さい頃から繰り返し言い聞かされました。

 お母様、貞淑とはとても難しいものなのですね。

 私は、すでに心が折れそうですわ。


『幸せにおなりなさい』と、言われました。

 ごめんなさい、お父様、お母様。

 それは……無理そうです。



 エマに偽装工作の支度を頼む中、私はあの人への手紙を書きました。

 最後になるかもしれない手紙を。

 初夜を放棄したのです。

 もう、あの人が私へ見せかけの優しさを見せる事もないでしょう。


 便箋はいつかの淡い紅色。

 初めて、自分であの人の為にと選んだ便箋ですわ。

 これに紅葉のしおりを入れて送りました。

 数ヵ月しかたっていないのに、随分昔の事のように感じます。


 手紙の内容は、基本謝罪ですわ。

 初夜の件は偽装工作をして、明け方に無事執り行われた事になってるので、話をあわせてほしい事。

 そこまで嫌われていたのに、気づかなくて申し訳なかった事。

 紅葉のしおりなんて送って申し訳ないという事。

 それは捨ててほしいという事。

 私は嫌われていて当然だけれど、オルトマン家とはこれからも良い取引相手でいてほしい事。

 学生時代の振る舞いは申し訳なかったという事。


 丁寧に書きましたわ。

 不思議ですわね。

 気合いを入れるとあんなに失敗していた私が、一度も失敗しなかったんですのよ。

 私も成長したでしょう?


 お慕いしているという事は、書きませんでしたわ。

 書けるわけがありませんもの……


 便箋に封蝋をし、エマに託し着替えをします。

 いつまでも、初夜の為に用意したネグリジェのままではいられませんもの。

 次に、大きめの鍵がかかる箱を取りだし、その中に丁寧に詰めていきます。


 あの人とやり取りした手紙。

 贈り物。

 婚約指輪。

 あの人から初めて贈られた花束で作ったポプリや押し花も中に詰めます。


 もう香りなんてとっくにないのに、未だに思い出しては私を包み込むのです。


 蓋をし、鍵をかけて、クローゼットの奥に押し込みます。

 さらに、箱の上に目立たぬように布をかけました。

 本当は結婚指輪も入れてしまいたかったのですが、周囲の目もあるので、結婚指輪はつけておかなくては。


 あの人からの優しい思い出が目に入る度に、私は諦めきれなくなります。

 だから、隠してしまいましょう。

 優しい思い出などなかったのだと。

 厳重に蓋をしめて鍵をかけて、なかった事にしてしまいましょう。


 贈り物が入った箱の鍵。

 私は、窓の外の池にポチャンと投げ入れました。


 これできっと、忘れられます。


 内扉はどうこうするわけにはいきませんね。

 私の自室には、エマ以外のメイドも立ち入るのです。

 彼女達に内扉の事を知られては、あらぬ噂がたってしまいます。

 それは、あってはならない事です。


 自身の支度を終えた私は、後の事はエマに託して寝台に横になります。

 初夜を終えた婦人がどうなるか解らなかったので、苦肉の策ですが。

 エマも知らないみたいですし、こればかりは他の人に聞くわけもいきません。


 不自然じゃないといいのですが……


 お母様?

 お母様には一番聞けませんわ。

 心配させてしまいます。


 それに、お母様は貞淑な妻なのです。

 初夜を放棄された事を知ったら、悲しませてしまう?

 泣かせてしまう?

 心配させてしまう?


 旦那様をその気にさせられなかった事を、叱られてしまうかもしれませんわね。


 身体を横たえ、天井を見上げながら、ゆっくりと目を閉じます。

 外は明るくなり、チュンチュン、ピチチチと鳥の鳴き声が聞こえます。

 使用人たちの動く音や笑い声も聞こえます。


 いつも通りの、何て事ない朝ですわ。

 そう、何て事ないのです。



 ……ああ、このまま、目が覚めなければいいのに…………



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