3 お肉プヨプヨ、バージンロード
春。
学園を卒業し、とうとう結婚式の日がやってきました。
暑くもなく寒くもなく、ほどほどに暖かいとてもいい天気でした。
来てくれた方々も、過ごしやすかったのではと思います。
私は、純白のウエディングドレスに身を包んでおります。
お母様も着たウエディングドレスを少し手直ししました。
幼き頃に見て一目惚れをし、このドレスを着て結婚するのをとても楽しみにしていました。
ですが、このようなどうしようもない気持ちで着る事になるとは思ってもいませんでしたわ。
それでも、お父様やお母様、来てくださったお客様に笑顔以外みせてはなりません。
幸せな花嫁を演じきる。
それが、今の私の役目ですわ。
ブルタン家にもオルトマン家にも、そしてあの人にも……恥をかかせてはなりません。
胸元にそっと忍ばせた、あの人からの初めての贈り物で作ったポプリ。
既に香りはなくなってしまいましたが、いつでも思い出せます。
挫けそうになった時は、香りを思い出して自分を奮い立たせましょう。
私の、大切な御守り。
「お嬢様、そろそろ」
控え室の椅子に腰かける私に、エマが声をかけます。
「……エマ、今まで本当にありがとう」
「……何を仰ってるんですか? そんな事言ったって、私は地の果てまでお嬢様についていきますからね!」
ありがとう、エマ。
あなたは黙っているけれど、私は知っていますのよ。
お父様とお母様が持ってきた縁談を断って、嫁ぐ私についてきてくれる事。
「お嬢様を一人にしておけません!」って。
最初、私は一人でブルタンに嫁ぐ予定でした。
ですが、エマがどうしてもとお父様とお母様に頼み込んでくれたおかげで、私はエマを連れていく事ができます。
お父様とお母様が、私に教えてくれましたのよ。
「エマは勿体ないくらいの宝だ。大切にしなさい」って。
もちろんです。
言われなくても解っていますわ。
叱りながら呆れながらも、エマはいつも私の側に寄り添い、私を支えてくれました。
今日はそんなエマにも、私の晴れ姿を見てもらわなくては。
さあ、出番ですわ。
私の一世一大の晴れ舞台です。
ゴーンゴーンと教会の鐘が鳴る中、バージンロードをお父様と歩きます。
強面のお父様が、少し涙ぐんでますわ。
上にお兄様がいますが、娘は私だけなので感じ入るものがあるのでしょうね。
色々我が儘を言って困らせ、叱られましたわ。
お母様のウエディングドレスを着た私を見て、こっそり涙を拭いていたのを私はちゃんと見ましたわ。
昨日の夜、結婚式前夜にはお兄様と二人お酒を飲んで、幼少の頃の私の思い出話をしてらっしゃいましたわね。
そろそろ、幼い私のドジ話は忘れていただきたいですわ。
幼い私がかけっこをして、つまずいて転んだ拍子に踏んづけたドレスが破けてドロワーズが丸見えになったのは、黒歴史ですの。
バージンロードを歩いているときに、私はふと気がつきましたの。
誓いのキスの事に。
!?!!!?????!!??????
忘れてましたわ!
愛人だの何だのに気をとられて、すっかり忘れてましたわ!
ああああ!どうしましょう!
落ち着いて、落ち着くのです!私!!
ここであたふたしたら不審がられますし、何より叱られてしまいます!
で、でも私初めてですのよ!
キスの作法というものが解らないのです!
お母様に聞いておくべきでしたわ!
目はいつ閉じるのです!?
息は?息はしていいのですか!?
でも、そうしたら鼻息があの人にかかってしまいますわ!
そんな恥ずかしい事できません!
これは、息をとめておくしかありませんわね。
そう長い間でもないでしょうから、ギリギリいけるでしょう。
くっ!事前に解っていたら、肺活量を鍛えておきましたのに!!
私は自分にできることを頑張ると決めているのです。
これくらい何ともありませんわ。
私の華麗な肺活量を見せて差し上げましょう!!
バージンロードを歩き終わり、神父様とあの人が待つ祭壇に辿り着きました。
ここで宣誓をしてから、婚姻の証明書にサインをします。
神父様が間違いがないかどうかを確認した後、夫婦と認められます。
結婚指輪をお互いの指にはめ、その後に誓いのキスですわね。
終わったら外に出て、披露宴パーティー。
その後、夜になったら更にパーティー。
その後も、別日にお茶会や舞踏会等々。
侯爵家ともなれば関係がある人も大勢いますから、大規模&複数回になるのはしょうがないですわね。
神父様から、結婚指輪を受けとります。
婚約指輪は、事前にあの人から受けとりました。
私の瞳の色と同じ、オレンジ色のシトリンの指輪でした。
私は、あの人の瞳の色でも良かったんですのよ。
指輪を見る度に、あの人が浮かびますもの。
シルバーのリング。
それを、あの人の指にはめます。
ああ、プニプニしてますわ。癒されますわね。
ずーーっと触っていたい……
プニプニプニプニプニプニ。
「イレーネ嬢?」
は!いけない、あまりの気持ちよさに、またもや我を失いましたわ。
何て恐ろしいお肉なんでしょう。
さて、あの人の指に指輪を……
あら?試着した時より、スルッて通ったような気がしますわ。
気のせいでしょうか?
……気のせいですわよね。
さあ、次は私の指ですわ。
ギチッ。
……おかしいですわね、少し太ってしまったかしら?
気を付けてはいたのですけど。
いえ、あの人とサリーナ様への嫉妬というかなんというか…
少しやけ食いを。
ブルタンのスイーツは本当に美味しいですわよね。
あら、指輪がきつめであの人が困っていらっしゃるわね。
遠慮なく、グイッといってくださいな。
目で合図を送ります。
あの人もわかったみたいですわ。
コクリと頷いて、指輪を推し進めます。
うぉぅ……
……これは、ダイエットが必須ですわね。
コルセットを締める時、よくエマに怒られなかったものですわ。
私の指にも、何とか指輪がはまりました。
お互いの中指にはまる、銀色の指輪。
……おそろいというのは、いいものですわね。
結婚指輪以外にもおそろいのものが欲しいですわ。
次はいよいよ、宣誓と署名です。
病める時も健やかなる時も、共に生き、愛する事を誓うか。
私は誓いますわ。
あの人の事を愛してしまったんですもの。
でも……既に愛人がいるのは、むなしいですわね。
「誓います」
あの人の声。
こんなに近く、吐息さえ聞こえようかという距離。
ここまで近くに寄るのは、庭で転げ落ちた時以来ですわね。
「誓います」
私も……誓いますわ。
証明書に、自分の名前をサインします。
イレーネ=オルトマン
オルトマン家の名を使うのは、これで最後。
書き終わり承認された瞬間、私はイレーネ=ブルタン。
あの人の妻ですわ。
一文字ずつ、丁寧に書いていきます。
18年間、お世話になった名前ですもの。
感謝を込めますわ。
ビリイッ!
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
今のは何の音って?
ええ、サインしていた証明書が盛大に破れた音ですわ。
何故ですの!
私は丁寧に書いていただけですのよ!?
破こうなんてこれっぽっちも思っていませんわ!
紙!あなた、何で破れているんですの!
夫婦になろうとしている大事な時ですのよ!?
気合をいれて、こらえなさい!
ああ、お父様にもお母様にもエマにも叱られてしまいますわ…
列席者の皆さんも絶対呆れていますわ…
あの人も呆れたに違いありませんわ…
「も……申し訳……」
震える唇で、謝罪の言葉を述べようとしたら…
「申し訳ありません、イレーネ嬢。先に書いた私の手汗で、紙が湿りすぎていたようですね。私もそろそろ痩せないといけませんね」
キューーーン!!
ニコッと微笑んで、穏やかな声音。
私をキュン死にさせる気ですの!?
手汗で湿ってなんていませんでしたわ。
私が触っても湿っていなかったですし、破れた紙の音はとても乾いていましたもの。
私をとっさに庇ってくださったんですのね。
なんて、機転がきいて優しい方なんでしょう。
惚れなおしてしまいますわ。
「申し訳ありません、神父様。もう1枚お願いします」
ちゃんと予備を用意しておいたらしい神父様。
今度は、ちゃんと無事に名前を書けましたわ。
また破れなくて良かった。
2回も3回も破れるようなお約束はいりませんわ。
二人がサインした証明書を、神父様が確認しています。
「うむ。マルグス=ブルタン。イレーネ=オルトマン。両名を神の名の下に、夫婦である事を認める」
列席者の皆さま方が、拍手をしてくれます。
これで、私はイレーネ=ブルタン。
あの人の妻ですわ。
感慨深いものがありますわね。
独身ではなくなり、オルトマン家の者ではなくなり、人妻でブルタン家の一員……
結婚とは不思議なものですわね。
紙一枚で、名前も人生も変わるんですもの。
さあ、イレーネ=ブルタンとしての最初の役目です。
誓いのキ、キキキキキキキキスですわ。
……動揺しすぎですわね、私。
ここまでトラブル続きです。
最後のキスと退場は華麗にいきたいところですわ。
ファサッと顔にかかっていたヴェールがあげられます。
いよいよですわね。
……いつ、息をとめればいいのかしら。
目を閉じたらタイミングが解りませんわよ?
これは、目を閉じると同時に息を止めるのですね。
キスとは、なんて難しいものなのでしょう。
さあ、いきますわよ!!
私の華麗な肺活量をみなさい!
目を閉じ、同時に息を止めます。
ですが、顔はあくまでも平然と!
苦しんでる姿など見せられませんわ!
……どうしましょう、すでに苦しいですわ。
よくよく考えれば、肺活量に華麗も何もありませんわね。
耐えるのです、耐えるのです!私!!
まだですのー?まだですのー!!!!??????
チュ。
?触れました?今、触れましたわよね!?
目を開け、何でもない風を装いながら、息を吸い込みます。
ああ、呼吸ができるって素晴らしいですわ!
私が魚みたいにエラ呼吸ができたなら、こんな苦しい思いをしなくても良かったんですのよ。
魚って素晴らしいですわ。
後は、腕を組んで教会からの退場ですわね。
外に出たらフラワーシャワーの中を歩き、入り口に停めてある馬車に乗り、披露宴パーティーの会場に移動します。
……あら?腕を組んで移動って事は……
あのお肉に触れる。ってことですわね?
息を止めて疲れた私は、テンションMAXですわ。
ウフフフフフフフフフフフフフフフフ。
ニヤニヤ笑いが止まりません。
あの人が差し出す腕に、自分の腕を絡めようとした瞬間。
バーーーン!!!
?
いきなり、教会の扉が勢いよく開かれました。
皆さん音がした方向を振り返ってらっしゃいます。
そこにいたのは……誰でしょう?
見目麗しい男性の方ですが、私は見た覚えがありませんわね。
「イレーネ!!」
え?私?
「そんな男と結婚しないでくれ!私と一緒に逃げてくれ!愛しているんだ!!」
「!!!!?」
皆さん、驚いてこちらを振り返ります。
が、驚くのはこちらの方ですわ。
私はあの方を初めて見ましたのに。
「いえ、私はあなたを存じ……」
「イレーネ!」
私の言葉に覆い被さるように、大きな声で名前を呼ばれます。
「だから、私は……!」
「イレーネ!!」
うるさいですわ!!
ガッ!ゴッ!ドス!
…見知らぬ男性は、エマの鮮やかな手刀により刈り取られました。
エマもイラついたのか、手刀の後に鮮やかな拳の連携を決めていましたわ。
ありがとう、エマ。
あなたはいつも私の危機を助けてくれるのね。
執事服の男性と一緒に、ズルズルと引きずって退場していきました。
見た事のない執事でしたから、ブルタンの執事でしょうね。
しかし……
「今の方はどなただったのでしょう……」
未だ、ザワザワと皆さんのどよめきが残る中、神父様が皆様を落ち着かせております。
邪魔されてしまいましたが、私達は退場するところだったのですわ。
気を取り直して……
あの人が差し出した腕に、私も腕を絡めます。
ポヨンポヨン、とあの人のお肉が揺れ私に触れます。
私はさりげなーーーく掴んだ腕のお肉をプニプニと揉みます。
先ほどの、わけの解らない男性で疲れた私の精神を癒すのです。
カツ、カツ。と私のヒールの音がします。
ブニプニ。
カツ、カツ。
プニプニ。
カツ、カツ。
プニプニプニプニプニプニプニプニ。
ああ、し・あ・わ・せ☆
開けられた教会の扉から外へ出ます。
日差しが眩しいけれど、心地いいですわね。
フラワーシャワーの中を二人で歩きます。
おめでとう。
しあわせに。
声をかけてくれる皆様に、私も笑顔を返します。
近所の子どもたちも見学に来ているみたいですね。
教会の花壇の向こうに、子ども達の笑顔も見えます。
ああ、ほら。そんなに口をあけてたら虫が入ってしまいますわよ。
あ、入ってしまいましたわ。
うふふ、慌ててますわね。
私はそんな微笑ましい光景を見ていたのです。
妻の役割には子どもを産むことも含まれます。
遠い未来のような、どこか実感できない役割だったのですが、子どもというのはいいものですね。
微笑ましく、見てて幸せになりますわ。
フラワーシャワーも終わり馬車に乗り込み、一息つきます。
披露宴パーティーの会場はすぐそこですから、様式美として乗っただけですわね。
エマは大丈夫かしら?
「イレーネ嬢、大丈夫ですか? 疲れていませんか?」
「あ、ええ。大丈夫ですわ。これも大切なお役目ですもの。それより……式の間は申し訳ありませんでした。私、色々失敗してしまいまして」
「大丈夫ですよ。私もうまくフォローできなくて申し訳ありません」
「そ、そんな事ありませんわ」
……あら、私今普通に会話できましたし、謝罪もできましたわ。
私も成長したのですね。
これが、夫婦になったという事でしょうか。
この最大のチャンスを逃してはいけませんわ。
今までの非礼も……!
「披露宴は楽しみにしていてください。ブルタン特製のウェディングケーキも準備してありますから。パティシエ、サリーナの渾身の作品ですよ」
……サリーナ様。
チクリ、と私の胸にトゲがささります。
大丈夫、私はもう妻になったのです。
笑顔になれますわ。
「それは楽しみですね」
鮮やかな笑顔を見せられたと思います。