2 お肉に届け!愛の栞
う~ん、どれがいいのでしょう?
私は色とりどりの便箋の前でうんうん唸っております。
自分で選ぶのはいいのですが、私はあの人の好きな色も何も知りませんのよ。
どれにしたら喜ばれるのか全然わかりませんわ。
「エマ……」
「何でしょうか」
呆れ顔のエマに助けを求めます。
「アドバイスをちょうだい」
「何のアドバイスでしょうか」
「だからね、え~と……あの……その……私の……」
あああ!エマの前ではあの人の事をブタとしか呼んでいませんのよ!
今さら名前を呼ぶなんて、恥ずかしすぎますわ!
無駄にスペックの高いエマの事ですもの、絶対何かを察しますわ!
「あの……婚約者の……その……」
「はあ。お嬢様、将来の夫になる方なんですから、ちゃんと名前を呼べるようにならないといけませんよ。お嬢様のそういう所は可愛らしいのですが、それとこれとは別ですからね」
……なんだか、既に全てがバレているような気がしますわ。
「今の流行りは、自分や相手の瞳の色を取り入れたものですね。この前マルグス様から届いたものも、お嬢様の瞳の色でしたよ」
……そうだったの?
そこまで気にしていませんでしたわ。
言われれば、確かにオレンジ色の便箋だったような……
意外と、流行りも知っているんですのね。
「なら、そうしましょう。あの人の瞳の色は……ねえ、エマ」
「何でしょうか、お嬢様」
「黒じゃない! あの人の瞳は黒ですわよ!? 黒い便箋なんてお葬式のお知らせじゃない!」
「そうですね。黒い便箋で返信なんてなんの嫌がらせでしょう。お嬢様、ヒッドーイ」
「あなたが言ったんじゃないの!」
あーでもないこーでもないと唸りながら、結局淡い紅色の便箋にいたしました。
今の季節は秋。
紅葉の色ですわ。
何十分、悩んでいたのかしら。
最期の方は店員さんも疲れはてていましたわ。
申し訳ない事をしてしまいました。
便箋の中に、キレイな紅葉を同封しましょうかしら?
「その場合、この紅葉のように私の恋心も色づいております。とか、あなた様にお会いした時は、この紅葉のように私の頬も色づいているでしょう。など、紅葉と恋心を関連づけた事を書くのがお勧めです」
「人の心を読まないでちょうだい!」
それに、そ、そんな事書けるわけありませんわ……!
でも……書いたら、少しは訪ねてきてくださるかしら?
……そうですわ。いいことを思い付きましたわ!
「エマ! 急いで帰りますわよ! 私いいことを思い付きましたわ!」
「お嬢様が思い付くいいことは、私にとってはきっと悪いお知らせですね」
「少しくらい応援してちょうだい!」
思いついたいいことの為に、材料を購入しました。
自分で作るのは初めてですが、初めての手作りの贈り物。というのは、中々に感動的だと思うのです。
我ながらいい事を思いついたと、ルンルンしながら歩いて馬車に向かっていたんですの。
「ぶっ!」
前を歩いていたエマが急に立ち止まった事に気づかず、私はエマにぶつかりました。
「エマ! 急に立ち止まらないでちょうだい! って……あら?」
前に見えるのは、ブルタン家のスイーツ店の本店。
は!あの人にもしかしたら会えるかもしれませんわ!
ちょっと寄っていこうかしら!?
使用人達へのお土産に…っていえばいいのではないでしょうか?
でもでも!急ですわ!何を話せばいいんですの!?
むしろ、見た目は!?私の今日の見た目は!?
お肌は!?髪の毛は!?お洋服は!?
……やっぱり、今日は会えませんわ!
使用人の皆、スイーツは諦めてちょうだい!
エマの腕をとって馬車に急ごうと思ったら…
「お嬢様、急ぎましょう。私用事を思い出しました。急用なので今! すぐ! お屋敷に戻りましょう!」
むしろ、エマがグイグイと腕をひっぱってくる。
「ちょ、ちょっと! エマ、何ですの?」
「そちらを見てはダメです、お嬢様!」
そちら?ブルタンのスイーツ店の方よね?
チラッと見てみると…
「あ……ら?」
あの巨体は……
そこにいたのは、まさしくあの人でしたわ。
キレイな女性と笑顔で何かを話しています。
女性の髪の毛を触ったり、何かを渡しています。
キレイな、小さな小箱ですわ。
贈り物でしょうか?
……どうやって家に帰ったかはよく覚えていません。
買ってきた材料も便箋も机に放り出して、私はベッドの中でグスグス泣いて落ち込んでいましたの。
いつもならエマに、「お行儀が悪いですよ! お嬢様」って叱られますが、流石にエマは席を外してくれています。
……解っていますわ。
私に落ち込む資格がない事なんて。
高位貴族が愛人を囲うなんて普通の事ですわ。
私も、小さい頃からお母様に「妻」としての心構えを教わってきました。
「愛人」を気にする事はない、同じ土俵に立つ事はないと。
ですが……私はまだ、そこまで割りきれませんわ……
前までだったら、愛人を作ってくれて万々歳ですわ。
そっちにいってらっしゃーい。です。
嫌いなブタと顔をあわさなくていいなんてラッキー!って思ったでしょう。
でも、私は知ってしまいましたわ。
あの人の優しいところやひたむきなところ。
そして何より、あの魅力的なお肉。
ええ、ええ。正直に申しましょう。
私はあの人に惹かれています。
好意を抱いています。
本当に、私は馬鹿ですわ……
しばらく落ち込んでいましたが、私は私にできることを頑張ると決めたのです。
馬鹿な私ですが、これだけは違えてはいけませんわ。
私が思いついたいいことは、紅葉を押し葉にしてプレゼントする。というものですの。
ありきたりかもしれませんが、いいアイディアだと思ったのですわ。
「紅葉が色づくように~」等という恋文は私には書けません。
あれだけ酷い態度をとっていた私には、書く資格なんてありませんわ。
その代わりに、紅葉を押し葉にしようと思ったのです。
紅葉の押し葉のように、長い間共にいられますように。
声に出せず文章にもできない私ですが、手作りの押し葉を贈る事で好意を抱いている。という事が少しでも伝われば……と。
紅葉を選び、丁寧に押し葉を作りましたわ。
文字もいつもより丁寧に書きました。
エマは、いつものように茶化すことなく優しく見守ってくれました。
ありがとう、エマ。
紅葉の押し葉を同封した手紙を送ってから1週間後、返事が届きました。
手紙には、紅葉の押し葉への丁寧なお礼が書かれていました。
現金ですわね、私は。
そのお礼が本心でも社交辞令でも、触れてくださった事が飛び上がるほどに嬉しいのです。
その手紙で、私はブルタン家に招待されました。
はりきって準備しましたわ。
オルトマン家にもあの人にも、恥をかかせるわけにはいきません。
肌も髪も念入りにお手入れをし、ドレスも靴も引っ張り出して、エマとどれがいいか何度も話し合いましたわ。
ちゃんとうまく話せるように、シミュレーションもしました。
ちゃんと、今までの非礼を謝罪するのです。
そして……できる事なら、好意を抱いていると伝えるのですわ。
当日の天気は曇りなき晴天。
これは幸先いいですわね。
青空も、私を応援してくれていますわ。
ファイト!私!!
行きの馬車の中で、私は謝罪の練習をしていました。
途中で噛んだりしないように、小声で何度も。
「今まで、まことに申し訳ありませんでした。今まで、まことに申し訳ありませんでした。今まで、まことに申し訳ありませんでした。今まで、まことに申し訳ありませんでした。今まで、まことに申し訳ありませんでした。今まで、まことに申し訳ありませんでした。今まで、まことに申し訳ありませんでした。今まで、まことに申し訳ありませんでした」
「お嬢様、不気味です」
エマの失礼な言葉も聞こえません!
私は謝罪の鬼となるのです!!
ブルタン家についた私は歓迎されました。
残念ながら、ブルタン侯爵やブルタン夫人、長男であるお義兄様はいらっしゃいませんでした。
皆さん、お忙しいようです。
「イレーネ嬢、よくいらしてくださいました。」
笑顔のあの人が、お肉をタプタプ揺らしながら出迎えてくれました。
ここで謝罪は、早すぎかしら?
「招待されたのだから、来るに決まってますわ。私は無視する無礼者ではありませんもの」
私の馬鹿!馬鹿!
どうしてこんな可愛いげのない返答を!
ああ、後ろからエマの呆れと怒りが混ざった視線を感じますわ…
「ええ、ありがとうございます。どうぞこちらへ」
あの人は、私の態度を気にする事がないかのように、いつもの笑顔で私をエスコートしてくれています。
私の視線は、その手に釘付けです。
……手もいい感じの肉付きですわね。
さ・わ・り・た・い☆
「お嬢様……」
ひいっ!エマの声が怖いですわ!
大丈夫ですわ!
失礼な事はもう致しません!
リビングのソファーへ促され、私は腰かけます。
……流石、ブルタン侯爵家ですわ。
調度品も品のよい物で統一されております。
紅茶も…………美味しいですわね。
「イレーネ嬢、この前は紅葉の押し葉をありがとうございました。とても嬉しかったです。いつも、手帳に挟んで持ち歩いてるんですよ」
胸元のポケットから手帳を取り出し、見せてくれました。
どうしましょう、嬉しいですわ。
「そ、そのようなみすぼらしい物、持ち歩いていてはセンスを疑われますわよ」
「(私が作った拙いものをいつも持ち歩いていてくれて嬉しいですわ)」
私の馬鹿!馬鹿!
しかも、声が変にうわずりましたわ!
「いいんですよ、言わせたい人には言わせておきます。私にとって、イレーネ嬢からの贈り物は何よりも大切な物ですよ」
「……!」
い、今すごいキュンってなりましたわ!
顔が火照っているような気がします。
気持ちを、気持ちを落ち着けなくては。
私は、ゆっくりと紅茶を口に含みます。
「押し葉のお礼に、私も贈り物を用意したんです。植物の世話は苦手だと言っていましたが、切り花なら大丈夫かと思いまして」
あの人が差し出してきたのは、赤やオレンジの暖色系を基調とした花束でしたわ。
手紙は何通も貰いましたが、贈り物は初めてですわね。
とても嬉しいですわ。
「ありがどうございます。枯れたら困りますから、手入れはメイドに任せますわ」
頼みましたわよ、エマ。
花束は、枯れる前に押し花やポプリに加工いたしましょう。
せっかくの初めての贈り物ですもの。
ずっと思い出に残しておきたいですわ。
「それでですね、今日はイレーネ嬢に紹介したい人がいるんです」
誰かしら?
扉が開いて入ってきた方を見て、私は目を見開きました。
そこにいたのは、先日ブルタンのスイーツ店前であの人と一緒にいた女性でしたわ。
冷たい汗が背を流れ、息がとても苦しいです。
「彼女はサリーナ。ブルタンスイーツ店で働くパティシエです」
「初めまして、イレーネ様」
優雅な姿。気品ある空気。
とても、美しい方です。
わざわざ、未来の愛人を紹介するのですか?
「私達のウエディングケーキの製作を彼女に頼んでいるんです」
愛人に、大切な物を作らせるのですか?
「彼女は、ブルタンスイーツ店の中でも腕利きのパティシエなんですよ」
先日の小箱は、彼女への贈り物ですか?
「イレーネ様のようなウエディングケーキに仕上げてほしいと頼まれまして、今回は無理言ってイレーネ様に会わせていただいたんです」
プレンゼントされたものは、その煌めく髪飾りですか?
「会えて良かったです。これで、ウエディングケーキのデザインも固まりました」
それとも、その輝く首飾りですか?
とても、とても不快ですわ。
ですが私は未来の妻。負けません負けませんわ。
笑いなさい、私。振り絞るのです。
「それはとても光栄ですわ。女性のパティシエとはとても珍しいのですね。流石はブルタンですわ。ウエディングケーキ、私も楽しみにしております。よろしくお願いいたしますわ」
うまく……笑えたでしょうか?
それから少しだけ話して、私はオルトマン家に帰ってきました。
結婚式の準備で、私も色々とやる事があるのですわ。
出かける時は晴天でしたのに、今はどしゃ降りです。
私の心と同じですわね。
結局、謝罪できませんでしたわ。
サリーナ様を紹介されて少しお話したら、終わりでしたもの。
結婚式の為の準備やお仕事で忙しいそうです。
花瓶に生けられたあの人からの花束。
帰って来た時、ベッドに叩きつけたくなりましたわ。
嬉しかった、とても嬉しかったんですのよ。
でも、サリーナ様への小箱を思い出した途端、とても憎らしくなってしまいました。
私へ贈り物をする前に、あの人はサリーナ様へ贈り物をしたんだと。
……大丈夫、大丈夫ですわ。
花束に罪はありませんもの。
毎日花束を眺めながらすごし、枯れる前にドライポプリと押し花へ加工しました。
季節は流れていきました。
秋から冬、冬から春へ。
その間、あの人と直接会えたのはたったの2回でした。
それも、結婚式の最終確認の為の打ち合わせです。
手紙は交わしていましたが、やはり会えないのは寂しいです。
そうして謝罪ができないまま、好意を伝えられないまま、私は結婚式の日を迎える事になったのです。