1 お肉との出会いは突然に
夜。
就寝前の身支度をしながら、愛するあの人の部屋へと繋がる扉を見つめます。
開く事を願い、結局開かれずに終わってしまった扉。
あの部屋の主が、前に帰宅したのはいつの事だったでしょう。
切なさと寂しさを感じる度に、私は私のかつての行いを恥じるのです。
寂しい、なんて言えるはずがありません。
伯爵令嬢であった私イレーネ=オルトマンと、侯爵子息であったあの人マルグス=ブルタンが結婚したのは約1ヶ月前。
お互いに学校を卒業した直後でした。
私達、同級生でしたのよ。
あの人は、悪い意味で目立ってましたわ。
いえね、お腹が……ちょっと……ではありませんわね。
かなりお腹がブッチョリしているんですの。
まあ、要するにデブでブタなのですわ。
いえ妻として擁護すると、ちゃんと清潔感もありますし、臭くもありませんわ。
汗っかきですけど。
目はちょっと細めですけど、笑うと笑顔が意外と可愛いんですのよ。
成績も良かったですし、性格の方もとても優しい方ですわ。
ですが、体型のせいか運動は苦手でしたわね。
それによく考えたら、あの人が太ってしまうのもしょうがないんですの。
ブルタン家は、スイーツ店を多数経営していますの。
王室御用達ですわ。
私も何度も食べましたが、とても美味しいんですの。
そして、見た目もキレイで可愛いですわ。
私の一押しは、ロールケーキですわね。
他の店のと違ってしっとりしてて、とても美味しいんですのよ。
あの人は次男ですが、スイーツの商品開発に関わっているのです。
自分でもアイディアを出したり、デザインを考えたり色々やっていますわ。
その過程での味見で……ね、今のようなブッチョリ体型になったんですの。
学生時代の私は愚かでしたわ。
そんな事情を知ってたのに、他のご令嬢達とあの体型を馬鹿にしてたんですのよ。
汗っかきなのを馬鹿にし、運動で失敗すれば馬鹿にし、社交界でもあの方は壁とお友だちでした。
私は他のご令嬢達と一緒に、他の見目麗しい殿方達にキャーキャー言っておりました。
そんな日々を過ごしている中で、お父様から私とあの人の婚約を知らされたのです。
オルトマン伯爵家は大規模な果樹農園を運営していますから、スイーツ店を経営しているブルタン侯爵家にとっては、必須です。
オルトマン家にとっても大口顧客ゲットですから、双方がwinwinな関係ですわね。
その可能性もあるとは解っていました。
ですが、実際に告げられた時の私は絶望ですわ。
世を儚んで修道院へ入ろうかと、メイドに泣きついたんですのよ……
その時に、私はあの人にとても失礼な態度を取ってしまったんですの……
ガッチャーン!と花瓶を怒りに任せ、思いっきり床に叩きつけます。
「嫌! 嫌ですの! どうして私があんな人と結婚しなくてはいけませんの!?」
「そんな事私に申されましても」
私はヒステリックにわめき散らします。
それを諌めるのは、幼い頃から私付きのメイドとして働いてくれているエマ。
私がグチャグチャにしたベッド、洋服、アクセサリー類、花瓶をテキパキと片付けていきます。
「大体、何が嫌なんですか? 資産も身分も申し分のないお相手ですよ?」
「見た目に決まっているでしょう! どうしてこの私がブタなんかと!!」
「確かにマルグス様はふくよかなお方ですが、同時にとてもお優しい方ですよ? この前も私達使用人にまで、ブルタン家のスイーツを持ってきてくださって、声をおかけになってくださいましたし」
「食べ物につられないでちょうだい!!」
苛立ちまぎれにクッションをエマに投げつけたら、華麗にキャッチされてしまいましたわ。
ちっ、無駄に身体能力が高いメイドだこと。
「わめいてないで、準備を始めますよ。」
「……何の準備ですの?」
「覚えていらっしゃらないんですか? 午後から婚約者のマルグス様がお見えになると申したではありませんか」
……そうでしたわ。
それもあって、私は爆発していたんですのよ。
「私は体調不良の為お会いできませんわ」
もぞもぞとベッドに潜り込みます。
「朝からガッチャンガッチャン騒いでたのに、何を仰ってるんですか。この前もそう言って逃げて旦那様から叱られたばかりじゃないですか」
エマからプイッと顔をそらします。
『伯爵令嬢としての責を果たしなさい!』
そう、お父様に叱られました。
解っていますわ。
伯爵令嬢としての益を享受するなら、責もあると。
ですが、私が日夜厳しい令嬢教育に励んできたのは……
「決して、ブタの妻になる為ではありませんわ!!!」
私も年頃の女性です。
白馬の王子さまを夢見てきたんですのよ!
「なのに、ブタでは馬にすら乗れないではありませんの!!」
「サラブレッドは無理かもしれませんが、ばん馬ならいけますよ☆」
「ばん馬に乗ってくる王子さまがどこにいるんですの!!」
クッションを投げつけたら、またもや華麗にキャッチされましたわ。
「はいはい、それでは用意していきますよー」
「嫌って言ってるんですのよ! あ、こら! 引っ張るんじゃありませんの! ちょ! こら! こらーーーー!!!!」
無駄に強い握力と腕力の持ち主であるエマに、無理矢理着替えさせられましたわ。
もう少し大人しいメイドだったら、ゴリ押しできましたのに。
庭園を歩く私とブタ。
扇で口元を隠しながら、気だるげに歩きます。
ブルタン家のスイーツを手土産に使用人達を手懐け、商売談義でお父様が陥落。
お母様?お母様は元々あのブタのファンですわ。
「オルトマン家の庭園は、見事ですね」
「そうですわね」
「果樹園も見事でしたが、オルトマン家の方々は緑に愛されているのですね」
「そうですわね」
「イレーネ嬢も園芸は得意ですか?」
「朝顔の観察日記を枯らして、休み明けに怒られましたわ」
「……そうですか」
これは本当ですわ。
教えられながら丹精込めて育てても、私が手を出すと何故か枯れるんですの。
だから今では、果樹園や庭園の草花には一切触るなと言われております。
「私達の結婚式はどうしましょうか? ウエディングケーキはブルタン特製にしようかと思うのですが、イレーネ嬢は何か好きなケーキの種類はありますか?」
「ブルタンのスイーツはどれも美味しいですから、パティシエの方にお任せしますわ」
さっさと帰ってほしいですわ。
気乗りしない返事で淡々と返してるのに、何であんなにニコニコとしているんでしょう。
真夏でもないのに汗をフキフキ、お腹の肉をブヨンブヨン揺らしてまで散歩しなくてもいいでしょうに。
汗にも肉にも笑顔にも、わけが解らないけどイライラしますわ。
全てがムカつきますわ。
視界に入れないように、ズンズン先に進みます。
ええ、私は大馬鹿者ですわ。
声も意図的に入れぬようにしてましたから、注意の声も聞こえませんでしたの。
イラつきMAXで視界は不明瞭。
ヒールにロングスカート。
注意の声も聞こえない。
どうなるか解りますわね。
ええ、まずは草につまずきました。
「あら?」
続いて、石につまずきましたわ。
「え?」
その先は坂道でしたわ。
「ああああーーー!」
「イレーネ嬢!!」
ゴロゴロゴロゴロゴローーーー!
私たちは仲良く二人で坂を転げ落ちましたわ。
「あ、あら? あまり痛くありませんわね?」
立ち上がろうとして、手をついた瞬間ですわ。
グニュ。
私は何か柔らかい物を掴んだのです。
「あら? 何かしら? コレ。」
グニュ?グニュ…………グニュ…………グニュ……グニュ……ブニュ。
私はその柔らかい感触のとりこになったのです。
『何か』を確認する事なく、私は一心不乱に揉み続けましたわ。
ブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュ。
初めての感触でした。
私の人生の中で一番柔らかく、揉み心地がよく、仄かに弾力があって……
永遠に揉んでいたい……
そう思わせる気持ちよさでした。
ブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュブニュ。
どれくらい揉んでいたのでしょうか。
「うぅ……」っていううめき声が聞こえてきました。
それでやっと私は我に返ったのです。
どうして私が坂道を転げ落ちたか、その時何が聞こえてきたか。
結論に至った時、私は蒼くなりました。
草むらをかきわけて声の主を確認した時、悲鳴をあげなかった自分を誉めてあげたいですわ。
そこにいたのは、まあ当たり前に婚約者のブタ。
私が延々と揉んでいたのは、婚約者のプヨプヨなお腹でしたわ。
「ああ、イレーネ嬢。ご無事ですか?」
「え、ええ。まあ、はい」
「それは良かった。格好良く助けられれば良かったんですが、一緒に転げ落ちてしまうとは情けない。私のこの役にたたない肉も、少しは役にたってくれたみたいですね。イレーネ嬢を無事に助ける事ができたんですから」
とても気持ちのいいお肉でしたわ。
そして、気を失っていてくれてありがとうございます。
あれだけつれなくしておいてお腹のお肉を揉みまくるなんて、私ってば……
その後二人で庭園へと戻り、こんなに長い時間散歩してくるなんて仲も深まったんだね。なんてお言葉をもらってしまいました。
エマにも何も言えませんでしたわ。
お腹のお肉に魅了されたなんて口が裂けても言えませんわ!!
そう。
私はあの時からあの感触を求めて求めてしょうがないのです。
まくらを揉んでも、クッションを揉んでも、マシュマロを揉んでも、自分の胸を揉んでも……
あの感触には敵わないのです!
正直に言いましょう。
私は、あの方のお腹のお肉を揉みたくて揉みたくて我慢できないのですわ!!
あの日から、私の視線はあの方のお腹に釘付けです。
あのプヨンプヨン揺れるお腹を揉みしだきたい。
まくらにしたい。クッションにしたい。顔を埋めたい。
不思議ですわね。
お肉に好意を抱くまでは、ブヨンブヨン、デブンデブンとしか聞こえなかったのに。
今では、プヨンプヨン、ポヨンポヨンと可愛らしい音に聞こえるのです。
お腹のお肉に魅了されてから、私は学園でもチラチラ社交界でもチラチラとあの人を見ていましたわ。
今思えば、不審人物ですわね。
あの人との婚約が決まってから、学園も社交界も欠席していましたのよ。
…ええ、あの頃の私は嫌っていたブタとの婚約を祝われるのも、囃し立てられて馬鹿にされるのも耐えられなかったんですの。
でも、それ以上にお肉が気になるのです!!
見たくて触りたくてしょうがないのです!
ずーっと見ているうちに、耳たぶと頬も気持ち良さそうなお肉に包まれている事に気がつきましたの。
私の思考は一つですわ。
ああ、触りたい。
でも、ずーーーっとあの人を馬鹿にし、つれなくしていた私です。
今さら、お肉を触りたいから仲良くしてください。なんて、図々しい事言えませんわ。
馬鹿な私にも、流石にそれくらいはわかります。
私に呆れたのか嫌いになったのか、前ほど頻繁に家に訪ねてくる事もなくなりました。
私から訪ねる?……なんて言って訪ねればいいんですの……
とりあえず、私が今できる事はあの人から来る手紙に、ちゃんと返事をかえす事ですわ。
誠心誠意こめて、きっちり書いております。
「……お嬢様? そんなにガッシリ便箋を握りしめてどうなさったんですか? クシャクシャになっていますよ?」
「!!」
いけないいけない。気合いをいれすぎたみたいですわ。
これ以上嫌われない為にも、頑張らなくてはいけませんのよ。
「エマ! 新しい便箋を!」
「もうございません」
「何故ですの!?」
「お嬢様が先ほどから、書いては投げ書いては投げを繰り返していたからです」
……そうでしたわね。
ああでもない、こうでもないと唸りながら、文章を考えていましたもの。
自分の文才のなさが恨めしい。
ですが!
私は自分にできる事を精一杯頑張ると決めましたの!
すぐに、返事をかえすのです!
「エマ! 新しい便箋を買いに行きますわよ!」
「お嬢様がですか?」
「そうですわ!」
今までは、適当に選んで買ってきてもらっていました。
ですが!私は自分にできる事をやるのですから、便箋も自分で選ぶのです!
エマのため息なんて聞こえませんわ!