9.「指示通りに動いてみろ」
「いいか。騙されたと思ってやってみれば、まるで魔法のように獲物が狩れる」
俺は翌日、またしても三人娘の狩りに同行していた。
ただし今回は昨日とは違って、俺の言うことを聞いてもらうよう言い聞かせている。
毎度のことながら、それに別に根拠はない。
だが自信満々に断言するのは、魔術師ギルドで培った俺の処世術だ。
俺はこの方法で、長年の研究予算を確保している。……クビになったけど。
「……あ、いた。たぶん、イノシシ……」
森の奥を見つめながらそう言ったのは、ラミアのナナナだ。
見れば遠くの茂みを揺らしつつ、小さなイノシシが地面を掘っていた。
「オーケー。さすがだ。それじゃあ、あとはお前らに任せるぞ」
三人は俺の言葉に目を輝かせる。
どうにも彼女たちは狩りに苦手意識を持っていたようだから、事前に「お前らは狩りの天才だ」と発破をかけておいたのが功を奏したようだ。
しかしそれは、何も根拠が無かったわけではない。
「――うおー! ブチさん、行くぞぅ!」
木々の間を駆け抜けつつ、ケンタウロスのブチは槍を掲げてイノシシへと迫った。
当然、イノシシはその場から離れる。
俺は思わず、ブチへと声をかけた。
「ブチ! 走る位置取りを考えろ!」
俺の言葉を背中に受けながら、ブチは人間では追いつけないような速度で森を駆け抜ける。
障害物がある森の中で、ケンタウロスの足は万全の性能を発揮することはできない。
しかしある程度開けたルートを通れば、イノシシから引き離されない程度には走り続けることができる。
そして、追いつく必要はそこにはない。
付かず離れず追いかけるブチに、イノシシは体力が切れたのか近くの茂みへと駆け込んだ。
「ぬおー! 卑怯だぞ! どこいったー!」
ケンタウロスは速さはあるものの小回りが効かず、障害物にも弱い。
――だがそれは、彼女たちが三人一組のチームで動くことにより解消できる問題だ。
「……ブチー。南南東の方角ー!」
木の上に登ったナナナが声を張り上げる。
ブチはその声を聞いて振り返った。
「ナンナントーってどっち!?」
「……右後ろー」
ナナナの誘導に従って、ブチは駆け出す。
「――いたー!」
茂みに隠れながら移動していたイノシシは、ブチの声に反応してまたも走り出した。
「ブチー……! 頑張れー……!」
ナナナはそちらへと蛇の下半身でにじり寄りながら、ブチへと声援を送った。
ラミアの瞳には、暗闇でも見えるような暗視能力が備わっている。
それは彼女いわく、物の温度が視覚として見えるらしい。
いったいどう見えているのかは俺にもわからないが、ラミアの目は擬態なんかを見破るスペシャリストということだ。
隠れている姿をそんな魔眼に見破られたイノシシと、ケンタウロスの少女は、またしても追いかけっこを始める。
しかしその競走が始まってすぐに、ブチは声を張り上げた。
「――逃すかぁあ!」
ブチは手に持った槍を掲げる。
――ケンタウロスには、馬よりも人よりも、そして空を飛ぶハーピーやドラゴンよりも優れた能力が存在する。
それは、移動しながらの攻撃の安定性だ。
その重心のバランスは、熟練の騎士や空を飛ぶドラゴンでも真似できない。
遊牧民の中には馬に乗って弓矢を撃つだなんていう離れ業をやってのけるものもあるが、それでもケンタウロスの前では子供の遊びに等しい。
まさしく人馬一体となっているケンタウロスは、全力疾走しながらでも止まっているのと同じような行動が取れるのである。
「とーりゃぁぁー!」
そうしてブチの放った投げ槍は、イノシシの前方の地面へと刺さった。
外れたのではない。外したのだ。
イノシシは目の前に振ってきた木槍に驚いたのか、進行方向を変える。
――よし、それでいい。
イノシシはまたしても茂みの方へと駆けていき――。
「プギャー!?」
その足を、糸に絡め取られた。
「――せぃやー!」
木の上に待機していたアラクネのマリノハが、蜘蛛の巣にがんじがらめにされたイノシシの上へと飛び降りる。
そうして彼女はイノシシの背筋へと噛み付いた。
「フギー!」
「おわっ!? ちょ、ちょっと待つッス! 暴れるなー!」
イノシシはマリノハを担ぎつつも、蜘蛛の糸から脱出しようと藻掻く。
しかし……。
「――ブチさん突撃!」
「プキィー!」
「ひゃー!?」
あとから追いついたブチがイノシシに突進をして、その背に乗るマリノハごとその体を横転させた。
マリノハはなんとかイノシシに押しつぶされないよう、その身を捻って地面へと着地する。
そしてそれと同時に、倒れたイノシシは抵抗をやめた。
マリノハの牙から注入された麻痺毒が効いてきたのだろう。
その毒は劇毒ではないし、加熱調理することで分解される生物毒だ。
狩りにも安心して使うことができる。
……この辺の魔物知識は師匠と旅をしていた十年間で叩き込まれた知識だ。
つくづく師匠には頭が上がらない。
「……た、助かったッスー!」
安堵の声を上げるマリノハに、二人が駆け寄る。
「いぇーい! ブチさんは、最強だー!」
「やったぁ……!」
三人はそう言って、笑みを浮かべた。
「――よーし、三人とも上出来だ。よくやった」
俺は手を叩きながらゆっくりとそこへ歩きつつ、三人を褒めた。
「……ブチ、お前の走りは最速だ。獲物の追い込み方も良かったし、何より勇気がある」
「えへへー! そうだろー!」
「マリノハ、お前の糸と毒は相手に罠を仕掛ける上で最強の手札だ。ブチを信じて、よく待ち構えた」
「へへへ。実はちょっと怖くて動けなかったッス……」
「ナナナ、お前は三人の中で一番冷静に状況を判断できる。その眼も判断力を補強する才能だ。二人を支えてやってくれ」
「うん……! ありがとう、神様……!」
笑顔を浮かべる三人の頭を、俺は順番にガシガシと撫でた。
一人一人では狩りに向いていないのかもしれないが、三人で力を合わせていけばこれから優秀な狩人となっていくことだろう。
一度の成功は次の成功に繋がる。
見習い魔術師を育てるにしたって、まずは簡単な魔法から実際に使わせてみればいい。
その成功体験は、きっと本人を育てる糧になることだろう。
「――あれ。これは、もしかして……」
俺たちが喜んでいる中、枯れ葉を踏む足音が近付く。
その声の主を見て、俺は彼女の名前を呼んだ。
「おお、クルムじゃないか。どうだ、見てくれよ」
俺の声を受けてクルムは立ち止まる。
そんな彼女に、俺はチビたちの成果であるイノシシを見せつけた。
「どうだ。こいつら、今日は獲物を仕留めることができたんだ」
「ブチさんは狩りの名人だからなー!」
どこから出てくるのかわからないその自信は素直に羨ましい。
ブチはあまり調子に乗らせすぎない方がいいのかもしれない。
そんなことを考える俺をよそに、喜ぶ三人娘の様子を見てクルムは口を開いた。
「……あ、その……。おめでとう、ございます」
彼女は口元だけで笑みを浮かべてそう言った。
「……あはは、これはすぐに追い抜かれちゃうかも」
苦笑しつつクルムはそう言って、俺たちに背中を見せた。
「――ボクももう少し、頑張らないと」
彼女はそう言ってまた森の中へと歩いていく。
マリノハはそれを見送り、笑みを浮かべた。
「……自分たちもクルムさんみたく、狩りの名人になりたいッスね!」
「ブチさんと二人なら、すぐになれるさー!」
仲良く笑い合う二人を眺めつつ、俺はクルムの様子に違和感を感じその後ろ姿を見送る。
そんな俺の服の裾を、ナナナがちょいちょい、と引っ張った。
俺が気付くと、彼女は俺の耳元に口を寄せる。
「……あのね」
ナナナからの内緒話を聞きつつ、俺はクルムの歩いていった方角を眺める。
森の向こうでは、夕日が沈んでいた。
☆
クルムは一人、夜の森を駆けていた。
――逃げられないか。
少女は覚悟を決めて、足を止める。
「……ったぁぁぁ!」
そして振り向きざまに、木剣を振るった。
「グォォオオ!」
その殴打は後ろから振るわれた毛むくじゃらの腕を打ち払って、軌道をそらす。
彼女に襲いかかったのは、大の男の伸長すらもゆうに越える巨大な熊だった。
「はっ、はっ……!」
クルムは息を整えながら、人食い熊に向かい木剣を構える。
「冬眠のしそこないめ……! もう良い子は寝る時間だってのに……!」
「グァァアゥ……!」
――まさかこんなときに熊に出会うなんて。
そう思いながらクルムは額に汗を浮かべた。
彼女の今の体は熱く、そしてどこかふらついている。
体がしきりに訴えている異常をよそに、その熊は立ち上がると右腕を振りかぶる。
「――はぁっ!」
熊の攻撃に合わせて、彼女は体を一歩前に踏み出した。
クルムは腕が襲いかかるよりも前に、その口を狙って木剣を突き立てる。
しかし――。
「ブガアァ!」
熊はその木剣を噛み砕くと、振り下ろした腕で続けざまに彼女の脇腹を薙ぎ払った。
「ぎゃうっ……!」
熊の一撃にうめき声を上げながら、クルムは地面に転がる。
彼女の腹部を激痛が襲った。
「っつぅ……!」
クルムは顔を歪めつつ、その場に膝を着いて起き上がろうと顔を上げる。
「……あ」
しかしそこには既に熊が駆け寄って来ており、少女を見下ろしていた。
――死んだ。
「グォォアアア!」
クルムが自身の結末を理解すると同時に、熊は抱きつくようにして彼女の体へと両腕を振り下ろす。
彼女はそれに抵抗を諦めて、瞳を閉じた。
――神様。もし本当にいるっていうなら、どうか……村を……。
……ザッ、と。
心の中で祈りを捧げる彼女の耳元に、枯れ葉を踏みしめる音が届いた。
それと同時に、熊の鳴き声が辺りに響き渡る。
「――オークたちのときもそうだったが、タイミングが良いのか悪いのかわかんねぇな。……おい、まだ生きてるか?」
その声を聞いて、クルムは眼を見開く。
後ろでまとめた髪に無精髭。
その男は、大剣で熊の腕を受け止めていた。
「……神、様」
クルムのつぶやきに彼はチラリと視線を向けると、小さく笑う。
「ただのおっさんだ」
クルムの前に、その男の背中が広がる。
彼女の頭はぼんやりと浮ついて、目の前の光景が現実なのかどうかもわからない。
しかし彼女はその光景に安心して、意識を手放すのだった。