2.「おはようございまーす」
「おいおい、マジかよ……」
少々恐怖心を煽られつつも、俺はゆっくりと人影に近付く。
この歳になって死体の1つや2つで慌てるわけにも――いや、やっぱ怖いわ。
「子供……というほどでもないか」
一歩ずつゆっくりと近付く。
あの婆さん、まさか誘拐とかそういうのに手を染めてたわけじゃないだろうな……。
逃げ出したくなる思いを押さえつつ、その正体を確かめるため俺は少しずつ近付いていく。
近付くにつれて、暗闇の中にその体のシルエットが浮かび上がってきた。
「死体にしてはおかしいような……?」
……腐敗臭がしない。
それになんというか、俺の勝手な感覚でしかないのだけれど、その肌の色はどこか人間味が感じられなかった。
「こいつは……別嬪さんだな」
その表情が見えた。
その肌は白く透き通るように美しい。
顔立ちは整っていて、年頃は15、16ぐらいだろうか。
庇護欲をそそるような愛らしさを持っていた。
しかし彼女の関節部を見て、俺はその正体に気付く。
「……なんだ、人形か。驚かすなよ……」
肌が触れ合うほどの至近距離まで近付いて、俺はそれを理解して胸を撫で下ろす。
その人影の体は、造り物だった。
頭上で2つに縛られた髪も、それを束ねるコードが体から生えている。
その露出が高めな服も、その人形にあつらえて作ってあるのだろう。
「師匠の趣味か……?」
短めのスカートや体のラインが出る上着は、その人形の精巧な造詣によく似合っていた。
「……中は」
俺は服の内側をまさぐってみる。
そしてその服の内側の丸みを帯びた身体も、柔らかくはあったがたしかに人工物のようだ。
……いや、べつに俺にやましい気持ちがあって触ったわけじゃないぞ。
「……これは調査だ、調査」
俺は誰にともなく言い訳をする。
研究室で一人きりの生活をしていると、独り言が多くなって良くない。
俺はその内側に目を向けた。
「これは……機工魔術……? 嘘だろ、こんな高度な物が……」
そこに刻まれたルーン文字のパターンに、俺は見覚えがあった。
機工魔術のルーンは、組み合わせにより無限の機能を持たせることができる。
だがそれゆえに、些細なミスや思わぬ組み合わせによって、思った通りに動かなくなることも多い。
俺が今背負っている機工魔具でも、それを作るのに使った文字数は16文字程度。
一方、この人形に刻まれている文字数は――。
「一万……いや、三万は越えてるか……?」
その肌にはどうやって刻んだのかもわからない、麦の粒ほどに小さな文字がびっしりと並んでいた。
その膨大な数もさることながら、その繊細な刻印技術もまた複雑怪奇である。
現代の魔術でこれを再現することは、いくら天才魔道士である師匠と言えども不可能だろう。
……いや、不可能と信じたい。
そうでなければ、俺が魔術師ギルドで機工魔術を研究した15年間は、まったくの無駄だったことになってしまう。
「なんでこんなものが、ここに……?」
ここにある設備では、これを製造することは無理だ。
どこかから運んで来たのだろう。
「……いや、でも」
そんなことは……どうでもいい。
もっといえば、ギルドをクビになってどうやって暮らしていこうだとか、そんな気持ちもどこかにいってしまっていた。
今、俺の中にあるのは――。
「――解析したい」
そこに、俺が生涯を賭けて求め続けていた答えがある気がした。
☆
「で、できた……」
外の光が届かない工房の中、俺はひたすらその作業に没頭していた。
時刻はわからないが、少なくとも朝にはなっているだろう。
俺は一晩中徹夜で書き続けた魔導式や数値のメモを見直しながら、最終チェックに入る。
「首元の配線よし……。あとはこっちの指示系……」
人形の背中にある装甲板を外しつつ、内部の魔導式を確認する。
そこに刻まれたルーン文字の九割は、俺にはまったく読み解けない。
だが、この魔導人形がなぜ動かないのか、そしてどう修理すれば動くのかは俺の知識でもなんとなく理解できた。
「魔力配線――よし。これで動くぞ」
身体中に刻まれた術式を繋ぐための魔力溝のルート構築は、機工魔術の基礎中の基礎だ。
嫌というほど師匠に叩き込まれているし、この15年の間で多少なりとも技術は身につけている。
「ここはたぶん、記録領域か。さすがに俺じゃ修理できないが……」
全体の動力周辺については特に欠損がないようだったが、頭の内部の金属製の部品は破損しており、この部分は再現できそうになかった。
師匠が残したのであろう、工房内に転がっていた非常によく似た形のパーツに交換して、脊椎の部分にある装甲を閉じる。
「ふう……。あとは起動するだけだな……」
おおむね修復は終わった。
背中に刻まれた起動ルーンに触れて魔力を流せば、この魔導ゴーレムは動き出すはずだ。
「……暴走したりして」
ゴクリ、とつばを飲み込む。
そうなった場合、俺は……。
「……そんなの今更か」
俺にはもう、機工魔術を研究するパトロンも施設も金もない。
ならこれが、俺が最後に手掛けた機工魔術になるかもしれない。
全く寝てない深夜テンションも手伝って、俺はそのゴーレムの背中に手を滑り込ませた。
「――魔導式起動」
呪文とともに、ジリ、と起動式をなぞる指の先端にしびれが走る。
魔力が巡り、そのゴーレムの各所に刻まれたルーンが光を帯びた。
キィーン、と金属が唸るような音が小さく響く。
緊張しつつしばらくその光り輝くゴーレムの体を見つめていると、突然それは目を開いた。
「う、動いた……!」
俺は慌ててそのゴーレムから離れる。
その人形の眼は、吸い込まれそうになるような青い瞳だった。
しばらくそれはまばたきもせずに沈黙したあと、ジロリとこちらに眼球を動かす。
「――魔導回路起動……記憶領域の復元失敗。初期化を実行します」
「しゃ、喋った……!?」
それは抑揚の少ない女性の声だった。
まさか喋るだなんて。
いや、たしかに声を録音しておく魔道具もあるにはあるが……。
驚き頭を巡らせる俺に、そのゴーレムはギギ、と体を動かしてこちらを向いた。
「……俺を、認識しているのか」
その外見からして女の子にしか見えないゴーレムは、俺の言葉に右腕を上げた。
「おはようございまーす」
……挨拶、された。
まるで『毎日ギルドの入り口で挨拶を交わす受付嬢』みたいなその軽快な挨拶に、俺はつい言葉を失ってしまう。
そのゴーレムは、人形であるにも関わらず片眉を上げ、首を傾げた。
「……あれ? 間違えました?」
俺はその言葉に、慌てて首を横に振る。
「あ、いや、そういうわけじゃない。完璧だ。完璧過ぎて……反応に困る。ええと……おはようございます?」
「はい、おはようございます。その様子からすると造物主様ですか?」
彼女――彼女と表現していいのかわからないが――はそう言って、俺に目線を合わせるかのように立ち上がった。
ぽんぽん、と自身のスカートからホコリを払う様子などはとても自然で、遠目から見れば人間にしか見えないだろう。
「いや俺は……ただ修理しただけだよ」
「ほほう、修理」
彼女は人差し指と親指の間を自身のアゴに当てて、考えるようなポーズを作って周囲を見回した。
「たしかにこの様子を見るに、わたしの起動を行って頂いたようですね。この度は誠にありがとうございます。いったいなんとお礼を言ったらいいのやら。大変感謝しています」
「は、はあ」
なんだこいつ、礼儀正しいぞ……。
困惑してしまう俺に、彼女は少しうつむき気味にこちらを覗き込んだ。
「――なのでお礼に、一思いにその息の根を止めてさしあげましょう」
「なっ……!?」
俺は慌ててそこから距離を取ろうと後ろへ下がる。
しかし足がもつれて、尻もちを着いた。
「いってぇ!」
床に置かれた工具に思いっきり座ってしまう。
そんな俺に、彼女は近付いてきた。
「あ、ごめんなさい。今のジョークだったんですけど、どうやらツボに入りませんでしたね?」
コツ、コツと足音を鳴らして、彼女は俺へと向かって歩く。
「ははーん。わかりましたよ。おそらくあなたは、ユーモア欠乏症ですね」
「……違う。笑いのツボだとかいう以前の問題だ。全然冗談になっていない」
「これは失礼しました。会話パターンを修正します」
そう言いながら彼女は俺に手を伸ばす。
恐る恐る彼女の手を取ると、力強くグイッと引っ張られて立たされた。
あまりの力に、肩に痛みを感じる。
「いててて……! もうちょっと手加減してくれ。肩が外れちまう……!」
「はーい。次から気をつけます。注文の多い御主人様ですねぇ」
「御主人様って……」
俺の言葉に、彼女は両手の人差し指を頬にあて、グイッとその口角を上げた。
「わたしメカコと申します。よろしくね、御主人様」
目を見開いて、口の両端を物理的に上げている。
どうやら、それで微笑んでいるつもりらしい。
不自然過ぎて、ちょっと怖い。
「よろしくも何も……え、なに? もしかしてお前、俺の言うこと聞いてくれるの?」
暴走するかもしれないと考えていただけに、従ってくれるというなら話が早い。
そんな俺の問いに、メカコと名乗ったゴーレムは胸を張って頷いた。
「当然ですとも。メカコはメモリが飛んだせいで、崇高なる目的も、何かを尊ぶ感情も、今は何も持っておりません」
彼女ははっきりとそう言い切って、言葉を続ける。
「だからとりあえず、このおっさんに付いていけば面白そうだなって」
「感情無いって今言わなかった?」
舌の根も乾かぬうちにぽんぽんと矛盾した言葉を吐きやがるぞ、こいつ。
つーか、こいつの中でも俺はおっさんなのか。
いやたしかにおっさんなんだけどさ……。
俺は気を取り直して、そのゴーレムと対話を試みる。
「えーと……とりあえず俺は、お前の体に使われている技術に興味がある」
「なるほど、メカコの体が目当てなんですね?」
「違う。ちょっと待って。やめてください。お前それ、他人の前では絶対言うなよ」
俺の言葉に、メカコは首を傾げた。
「『趣味は人それぞれ』という知識が、メカコの中には存在しています。だから御主人様がどんな趣味をしていようと、どんなふうにメカコの体をまさぐろうと、メカコは何も言いません。褒めてください」
「よーし褒めてやろう。ついでに言えば金輪際何もしゃべらない方が俺はお前のことをもっと褒めてやることができると思うぞ」
「やったー。褒められたー」
両手を上げて喜ぶような様子を見せるメカコに、俺は頭を抱える。
「……内容はともかく、なんつー高度な会話応答だ。多少意思疎通に難はあるが、完全に自立判断ができるのか、こいつ」
「難があるのは御主人様の性格の方なのでは?」
「黙ってろ。……それにしてもお前、けっこう口が悪いな」
「ふふん。褒め言葉として受けとっておきましょう」
「『口が悪い』は100%褒め言葉じゃないからな。覚えておけ」
ああ、会話してると頭が痛くなる。
……それにこのああいえばこういう性格、どこか師匠に似ている気がする。
あの婆さん、とんでもねぇ置き土産しやがって。
「……まあともかく、お前に使われている機工魔術はいろいろ研究してみたいし、お前が何なのかも調べたい」
相手がなんであれ、もしかしたらこいつを研究することで機工魔術の研究が進むかもしれない……いや、確実に進むことだろう。
そんな絶好の研究材料が言うことを聞いてくれるというのだから、これは渡りに船というやつだ。
暗雲が立ち込めていた俺の人生に、希望の光が射した気がした。
「お前が協力してくれるっていうなら、嬉しいよ。ありがとう」
そう言って俺は手を差し出す。
メカコはそれを見て、俺の手を握った。
「ははーん。アームレスリングですね?」
「違う!」