小話:エリザ
おかしい。
わたしはヒロインのはず。
何を間違ってしまったんだろう?
やっぱり、ドレス?
******
「エリザ!」
大声で名前を呼ばれて振り返った。そこには幼馴染のヨハンがいる。
ヨハンはわたしと同じ男爵家の次男。
馬が合うのか、幼い頃から一緒にいても気が楽だ。
今夜は一緒に夜会へ参加することになっているため、迎えに来てくれたのだ。ヨハンは趣味の良いフロックコートに身を包み、いつもは乱れがちな髪を丁寧に後ろに撫でつけている。それなりの恰好をすれば、幼馴染としての贔屓目を抜いても、なかなかいい男である。
「どうしたの、大声を出して」
「大声も出るよ!何て格好をしているんだ。今日は夜会に参加するんだろう?」
どうやらヨハンはわたしの着ているこのドレスが気に入らないようだ。思わず自分の着ているドレスを見下ろした。
今主流のフリルを抑えたドレスではなく、ちょっと前に流行ったボリュームのあるフリルたっぷりのドレスだ。色も明るめのピンク。ちょっと子供っぽい色だが、デザインがデザインだ。このボリューム感のあるドレスに重たい色を選んだら、重装備になってしまう。軽やかさを演出するためにはこの色がベストだ。
「ちょっと前の人気のドレスよ?」
「一体どこで手に入れるんだよ……」
呻くようにヨハンが言う。わたしは明るく笑った。
「入手先は内緒よ」
「いや、問題にしているのはそこじゃないから」
ヨハンの突っ込みに、おかしくて思わず吹き出した。彼が何を心配しているのか、ちゃんとわかっている。こんな流行遅れの中古ドレスを着て、上位貴族が参加するような夜会に行ったら悪目立ちするだろう。
それを心配しているのだ。
くすくすと後ろで笑われるのではないかと。
「何が可笑しいんだ?」
ヨハンがむすっとした。わたしはごめんなさい、と笑いを堪えながら謝る。
「それが狙い何だから、いいのよ。だってその方が印象に残るでしょう?」
「は?」
「こうでもしないとわたしなんて、埋没しちゃうじゃない。悪目立ちでも印象に残れば儲けものよ」
「意味が分からない……」
ヨハンが天を仰いだ。わたしはにっこりと笑うと、頭にこれまた流行遅れの花のモチーフがたっぷりついたヘッドドレスを手早くつけた。
どれだけの花か、気になるでしょう?
いわゆるてんこ盛り、というやつよ。自分の頭が隠れてしまうぐらいの大きさ。もちろん色はドレスに合わせているし、ドレスとヘッドドレスは同じ布で作られているのを選んでいる。わたしだって下級といえど貴族の娘。コーディネートの知識はあるのよ。
不思議とヨハンが何も言わないので思わず振り返ると、顎が外れそうな顔をしてこちらを見ていた。男前もこうなると可愛く見えるから不思議。
「本気?」
「ダメかしら?」
「……僕がプレゼントするから、それはやめた方が」
ヨハンの言葉に、想像以上のインパクトが作れていることを確信する。
「ううん。これで行くわ」
「僕、エリザを本当にエスコートするの?」
「会場まで馬車に乗せてくれるだけでいいわよ」
流石に気の毒だ。いくら幼馴染で気安いとはいえ、突き抜けたドレスを着た女性をエスコートさせられない。
「最近のエリザはちょっと変だ」
「そうね。でもね、これがわたしの信じる道なの」
わたしはヨハンに手を引いてもらいながら、強い口調で告げた。
「よくわからないけど。早めに目が覚めることを祈るよ」
ヨハンのいいところは、わたしを否定しないことだ。両親も目を大きく見開いてはいたが、特に注意はしない。注意したところで無駄であることを理解しているから。
さあ、繰り返しの人生。
ここが折り返し地点よ。
始まるわ。
******
夜会会場でうろうろしながら、目的に人物を探す。
その相手はキアン、ではなくてその婚約者であるカロリーナだ。
彼女はわたしのドレスをバカにして、ワインを掛けてくる。もちろん、白じゃなくて赤よ。
うふふ、この薄いピンクのドレスに赤いワイン。
誰が見ても何が起こっているかはっきりするでしょう?
どうして知っているかって?
だってこの世界は物語の世界だもの。そして、わたしはヒロインなの。誰かがこの物語を読み始めると、動き出す世界なのよ。何故か生まれた時から知っている。だから、誰がとか、何でとか聞かないでね。答えを持っていないから。
この世界ではわたしは何があってもヒロインだし、彼女は何があっても悪役令嬢なの。そうじゃないと、恋物語って進まないのよね。
ヨハン?
ああ、彼は安定した幼馴染枠よ。わたしが辛くなったら、慰めて、前向きにして、辛い恋の道に後押しする役割なの。
でもね。
何度も繰り返していると、結構飽きてくるのよね。ヒロインって。
何をしたって恋は成就するし、素敵な結婚ができる。カロリーナからの嫌がらせだって、この世界の予定調和だ。辛さを演じているだけに過ぎない。
だから、わたしはどこまで許されているのかいつも試しているわ。
今回はこのドレス!
普通、こんな流行遅れの今の主流から真逆な格好をしたイタイ女性に恋する男性なんていないと思うじゃない?それでも恋に落ちてくれるのが、キアンなのよ。多分、今回もいけるはず。
前回よりもかなりやらかしている感があるけど、心配ないわ。
わたし、ヒロインだもの!
繰り返している記憶はないようだけど、彼もなかなかやるわよ。この突き抜けたドレスでも彼は美しい笑顔を浮かべていつも言うの。
素敵ですね。よく似合っている、と。
あら?
もしかしたら遠回りに嫌味を言われているだけかも??
そんなことを考えながら歩いていたら、目的の人物がいた。
カロリーナだ。
相変わらず奇麗な女だ。ちょっと童顔で大きな目は少し垂れている。胸だってわたしなんかより大きい。腰はあんなに細くてくびれているのに。そして身に着けているドレスの素晴らしいこと。Aラインのドレスで、ふわりと軽やかに広がる裾がとても華やかにしている。ヘッドドレスだって、小さな薔薇の花が飾ってあるものだ。
わたしのヘッドドレスも同じ花だけど、華やかさはわたしの勝ちよ!
インパクトもね。会場の視線を独り占めよ。
それにしても、この本の作家はどうかしているわ!
どうしてヒロインのわたしに胸がないのよ。スレンダーボディといえば素敵に聞こえるけど、ただ単に鶏がらよ。胸も腰もお尻も小さい!わたしだって見せつけるだけの胸のボリュームが欲しかった。
……それでもこの物語の中ではわたしが勝ち組なの。それは変わらないわ。
ばしゃん。
予定通りにワインがドレスに掛かった。
「あ……」
驚きに目を見開いているのはカロリーナ。
だけじゃない。
わたしだって唖然としているわ。
だって、彼女のドレスに赤いワインが零れちゃったんだもの!!!!
どうなっているの???
******
自宅の自室でため息をついた。反省と称してこうして家にこもっているのも何日目だろう。
一言でいえば、手を抜きすぎたんだと思う。要するにやりすぎたのだ。
ワインの失敗から焦ったわたしはヒロインとしてキアンを振り向かせるため、かなり強引な手を使った。そのせいか、ますます彼には嫌われた。やりたくはなかったけど、幼馴染4人で楽しくお茶をしているところへも突撃してみた。ヒロインだから、きっと混ざれるはずだと思っていたんだけど。カロリーナとのいちゃいちゃを見せつけられただけだった。
「エリザ」
やってしまったことを思い出し、再びため息をついていると名前が呼ばれた。
「ヨハン」
顔を上げると、いつの間にか部屋には難しい顔をしたヨハンがいた。きっとあの話を聞いたのだろう。表向き、接触事故という扱いになっているからお咎めはないが、醜聞はつきまとう。わたしがキアンにしつこくアプローチしているのは誰でも知っていたから、嫌がらせでぶつかったのでは、とすでに憶測が飛んでいる。
ほぼ、本当のことだけど。
信じてもらえるなら、あれで落ちる予定なのはわたしだった。なのに、彼女の方が先にバランスを崩してしまったのだ。
「目が覚めているようだね」
「ええ。ちょっと自惚れていたわ」
そう、わたしはヒロインに飽きたと言いながらも、ヒロインとしての役割を果たそうとしていなかった。何をしても、ヒロインとしての道が開けているとずっと思っていたのだ。
だからこんな結末、知らない。
この世界のカロリーナはキアンに愛されていた。
結婚もすでにしていて、子供までもいて。カロリーナはぽややんとした性格だから、きっとキアンが絡めとったのだろう。
はあ。
ヒーローと結ばれなかったヒロインはどうするんだろうか?
ヒロイン効果を外すと、かなり残念仕様だ。頭は悪いし、顔だってそこそこ。胸だってない。
ほとぼりが冷めたら、市井にでも行こうかな。
だって、もう貴族とは結婚できないだろうし、わたしが実家にいたら実家が迷惑を被る。
「目が覚めたなら、行こうか」
「どこへ?」
「もちろん、僕たちの家だよ」
「ええ?」
思わず聞き返した。ヨハンは可笑しそうに笑った。
「今の君を受け入れられるのは僕しかいないよ?」
「でも、あなたの実家にも迷惑が」
「大丈夫。次男だし、市井で静かに暮らす分には問題ないよ」
ヨハンの柔らかい笑顔を見つめ、首を傾げた。
「もしかして、ヨハンはわたしのことが好きなの?」
「好きだね」
「こんな、突き抜けているのに?変な趣味」
「そうだね。自分でもすごいと思うよ」
そう言い切られて、もういいかと思った。キアンとは結ばれなかったけど、幼馴染とこれからもまったりと暮らしていくのは楽しいかもしれない。だって、この生活は初めてだから。ワクワクする。
ああ、でもね。
次の人生ではちゃんと心を入れ替えて真面目にヒロインをするわ。
大丈夫、失敗は反省すればいいのよ。
だってここは物語の世界。
読む人がいる限り繰り返されるわたしが幸せになるための世界だから。
Fin.