小話
ふと、手を止めた。
生まれてくる子供のためのおくるみを縫っていたが、唐突に思い出して首を傾げた。
『愛している。忘れないで』
確かにキアンはそう言った。階段から落ちたり色々あったから、すっかり忘れていたけど。しかも怒涛の変化にわたわたしていて、冷静でなかったのもある。
「キアンも覚えている……?」
その可能性に気が付いてしまった。
悪役令嬢を長年やっていたのだが、もしかしたらキアンはずっとヒロインであるエリザとの恋に落ちる攻略対象になっていて記憶があるのではないか。
あり得ない話ではない。飽きるほど繰り返されているのだ、キアンがそうでないとは言い切れない。
「……」
もしかしたら、ずっと愛していると伝えているのに、わたしが悪役令嬢だと全力で取り組んでいたから彼の思いに気付くことなく繰り返してしまったのではないか。
悪役令嬢などもうしなくてもいいと、そんな気持ちで伝えてくれていたのではないか。
ほんわりとキアンの気持ちに触れて、心が温かくなる。
「うふふ」
そっと大きくなったお腹をさすりながら、まだ聞いてもいないキアンの思いを想像して笑みを浮かべる。
悪役令嬢しか道が用意されていなかったのに、とても幸せだ。
どうして今回は悪役令嬢にならなかったのかはよくわからない。
もしかしたら、これは今回限りの神様からのご褒美かもしれない。
最初の頃は繰り返す意味が分からず、辛かった。キアンを取られたくなくて、色々なことをした。それでもキアンはわたしを見てはくれない。キアンの隣に立っても恥ずかしくないように、最大限の努力をしたのに。たまに会うキアンはとてもそっけなかった。
まだ足りないのだろうか。
そんな思いで、さらに勉学に打ち込んだ。それなのに、彼の選んだエリザは何もかもが足らない、笑っているだけの女だった。
また繰り返した。
そう思った時にも前の記憶をもとにさらなる努力を重ねた。交流を持つようにしたと思うのだが、やはりキアンはとても冷たかった。
わたしを見て、わたしを愛して。
そんな気持ちでいつも側にいた。でも、キアンは気が付いてくれない。
そんなことを繰り返しているうちに、キアンを好きでいることを伝えられるうちに伝えようと考えたのだ。だってどっちにしろキアンには振られるのだ。振られるからといって、そうならないような努力をするよりも、楽しく過ごして振られて泣いた方がとても精神的に楽なことに気が付いた。逆に言えば、振られる日は決まっているのだから、それまでは振られる心配はない。何をしたってずっと一緒にいられる保証がある。
好きなものは好きだし、愛しているものは愛している。
伝えたっていいじゃない。この思いはわたしの宝物だ。だから、伝えるべきだと。
そういつから考えるようになったのだろうか。
そんな考えの変化からか、エリザへの対応も面倒になってきていた。だから重要なポイントしか抑えなくなった。それでも十分に役割を果たしているのだから、エリザにとって都合のいい世界なんだろう。
最初に手を抜いた時、悪いことをしているのではないかと胸がドキドキしたのも覚えている。耳鳴りもひどくて、手に汗をかいていた。ちゃんと狙い通りになったことが分かった時には、どっと力が抜けた。あまりのドキドキに死にそうだった。
直接やっていた意地悪をやめて、大袈裟な噂をちょっと広めて。信憑性を高めるために、皆が見ている前で高飛車に罵ってみた。ワイン掛けだって、陰に隠れて練習した。最大限の効果が得られるように。それでも実践でうまくいくようになったのはかなり後だった。
でもそれができるようになると、とても楽になった。人は信じたいものしか信じないものだ。状況証拠を摘み上げて、思いたい方向へと印象付けるのは案外楽だった。それだけ貴族たちが噂話が好きであり、人の恋バナを肴に盛り上がっているということでもある。婚約している者同士に割って入る三角関係など、楽しい噂話の一つだ。話題提供者としてはその完成度の高さに鼻高々になったものだ。
今になってみれば、どれもこれもいい思い出。
「何かいいことでも考えているのか?」
物思いにふけっていたわたしに、キアンが声を掛けた。いつの間にか、部屋に来ていたようだ。わたしはにっこりと笑みを浮かべて彼を迎えた。
「あなたがわたしを愛しているということがわかったから」
「うん?」
嬉しくて思わず告げてしまった。キアンは首を傾げている。
「いつも伝えているつもりだったが、まだ足りなかった?」
「そうではないけど。キアン、この間わたしに『愛している。忘れないで』、って言っていたでしょう?」
それって、わたしが繰り返しているようにあなたも繰り返しているという意味では?
そんな言葉を言う前にキアンが破顔した。
「そうだったな。君はすぐに俺の気持ちを疑ってネガティブになって逃げるからな。だから常に言い聞かせておかないと」
「はい?」
キアンの予想外の発言に、口が開く。だが何を言っていいのかわからず、そのまま閉じた。
なんか、思っていたことと違う???
「覚えていないか?」
「何を?」
キアンはふっと笑った。
「君はいつだって、18歳までは愛してね、好きでいてねと繰り返していたじゃないか」
「そう、だったかしら?」
忙しく記憶を辿るが、そんなことを言った覚えは。
「ああ。事あるごとに言っていた。18歳になったら俺が他の女を好きになるから、それまではわたしを好きでいてね、と」
かちりと記憶が蘇った。
あれは、11歳の誕生日だった。キアンが素敵なリボンを贈ってくれて、一生の宝物にしようと思ったのだ。その時に、言ったような気がする。
「その後の発言が問題だ。18歳になって俺が他に好きな人ができたらできるだけ速やかに隣国に出奔するとか言って。かなり具体的な計画だった」
「ええええ???」
ばらしていた?!
「住む町への道順、借りる家賃相場、職種、どれを取ってもかなり具体的な数字を持っていた。それに危機感を持ったんだ」
それは、何度も繰り返していれば具体的にもなる。実際にやったことがあるのだから。どのような手段で移動するのか、お金はいくらほど必要なのか。毎回改善を繰り返しているのだから、手慣れたものだ。
「……キアンは生まれ変わりとかって信じる?」
「いや、あまり」
「……そう」
わたしはそれ以上何も言わなかった。がっかりしたのが分かったのか、キアンが笑う。
「俺は今出会ったカロリーナを愛しているんだ。カロリーナは?」
「もちろん、今のキアンを愛しているわ」
そう、記憶なんて大したことじゃない。出会って好きになって。前のキアンがいるから好きになっているわけじゃない。
なんてね。
今は幸せだからそう言えるのよ。
また次の繰り返しで、冷たくされたらショックでどうにかなりそう。
だって、キアンが記憶を持っていてあの言葉を言ったわけじゃないのなら、また元に戻るかもしれないもの。
はあ。
次も頑張れるように、たくさん、たくさん愛してもらおう。
Fin.
活動報告でも書いたのですが、一部、回収できていない話がありまして。小話としてみました。
本編に入れにくくてこんな形になってしまい。。