6 - キアン -
カロリーナが階段から落ちた原因は次の日には判明した。
カロリーナが登っていた階段を前から降りてきたエリザとぶつかったからだ。カロリーナは妊娠していて階段が辛かったのか、周りから見てもゆっくりと登っていた。それに対して、降りてきた女は十分に降りるスペースがあるにもかかわらず、脇に寄っていたカロリーナにぶつかった。
「わたしの不注意で……!」
そんな風に泣いて見せる彼女を冷めた目で見ていた。目撃した生徒の中にエリザがカロリーナを突き落としたと言っている者がいた。もちろん、一人だけの証言だ。取り上げられることはなかったが、いやに心に残って気になった。
そして、突き落とす前にエリザがカロリーナに話しかけていたとも言っていた。そう証言した生徒は、少し離れていたため全部の言葉まではわからなくて、と申し訳なさそうだった。カロリーナにも確認したが、彼女は何も言わない。ただ困ったように笑っただけだった。
「カロリーナと何を話した?」
声を出すと、思った以上に低い声が出た。
「話なんて……」
エリザは言われていることがわからない言う様にとぼけたが、わずかに動揺を見せていた。目を細め、彼女を見つめる。
「邪魔、と言っていたと聞いた生徒がいる」
「……!」
今度ははっきりと顔色を変えた。
「わざとぶつかったんだな」
「落とすつもりなんてなかったのよ!ちょっと脅すだけのつもりで……」
エリザが呟く。先ほどの涙はなかった。ただ青ざめ、体を震わせている。
「カロリーナが妊娠しているのを知っていたか」
「それは」
「俺はお前がしたことを許さない」
そう一言だけ言って、部屋を出た。もうこれ以上、この女を見ていられなかった。殴らずにいられる自信がなかったのだ。たまたま助かっただけで、あのまま間に合わなければ、子供だけでなくカロリーナの命も危なかった。
「キアン」
部屋を出た俺に声を掛けてきたのはマクシミリアンだった。彼も少し疲れた様子だ。俺が全く動けなかったため、マクシミリアンとダニエルが主に動いてくれていた。そして、犯人であるエリザを連れてきたのも彼らだった。
「少し話がある」
そう言って連れていかれた先は、面会用の部屋だった。
「あの女を法的に裁くことができない」
マクシミリアンが苦しそうに言う。ダニエルは黙ったままだ。
「そうだろうな」
「お前はどうしたい?」
マクシミリアンはどうにでもしてやると言外に含ませていた。王子であるマクシミリアンであれば、確かにできる話だ。
エリザは誰に喧嘩を売っていたか、気が付いていただろうか。
あの女は俺たちにすり寄り、俺の婚約者であったカロリーナを排除しようとしていた。それは誰の目にも明らかだった。その媚びを売った態度はあまりにもあからさまで、周囲の人間の方がどうするのかと注意深く見ていたほどだ。
今まで遠巻きにされて様子見であったのは、カロリーナがそれをあまりにも気にしなかったからだ。カロリーナは婚約者を取られないように頑張って牽制していたが、夜会などでの舌戦を知っている者からしたら可愛いお遊びみたいなものだった。
彼女の牽制はひどく常識的なことを、高圧的に話すだけだったから。
『キアンはわたしの大好きな婚約者です。馴れ馴れしく触らないでくださいませ。媚びているみたいですわ』
『廊下で喚かないでください。声が大きすぎますわ。あなたは幼子ですの?』
端から聞いていて、あまりの拙い嫌味に笑いを堪えるのが大変なくらいだった。嫉妬しながら俺を心から愛しているんだと訴えているカロリーナがとても愛しかった。
俺は隙あらば彼女を陥れようとする者を近寄らせないよう、常にカロリーナを側に置いた。どれほど俺が彼女を愛しているのかを示すために、必要以上に学園でスキンシップを図った。
それだけでなく、前倒しで籍を入れ、子供も作った。卒業単位はすでにそろっていた俺たちに両親は反対しなかった。やや呆れていたぐらいだ。
このままあと1か月もすれば卒業。
「別に。きっと何もしなくても、周りは許さないだろうから」
そう、学園から外に出てしまえば、そこはすでに貴族社会だ。
学園での出来事であっても、王族であるマクシミリアンと交友のある次期侯爵夫人への仕打ちは広がっている。あの女は貴族との結婚は絶望的だろう。本人は身分の高い男を捕まえたかったようだが、貴族との結婚すらもかなわない。誰も王族や侯爵家の不興を買うような女を妻にとは望まない。男爵家もよほどの挽回を示さなければ、そのまま没落する。自力で這いあがってくるならばそれもよし、そうでないなら淘汰されるだけだ。
「お前は優しいな」
ほろ苦く笑われて、そうかと首を傾げた。
「ああ。俺はあの女を絶対に許さない」
底冷えするような声音に思わず瞬いた。そして、マクシミリアンを見つめた。
「マクシミリアン、カロリーナは無事だった」
「結果論だ。許さない」
頑なに言い募る彼に首を傾げて笑った。
「お前、意外とカロリーナ好きだよな?」
「だって、妹のように可愛いだろう?少し考えなしで。お前を一生懸命に愛している」
「……あれでも、ものすごく考えているんだ」
酷い言われ方に、一応訂正する。
「お前を取られまいと、一生懸命にあの女を牽制して。無理なら一人で逃げようとして」
「……やっぱり知っていたんだ」
「カロリーナはすぐに逃げるから。しかも無駄に行動的だ」
そう頷いたのは、ダニエルだ。彼もまたカロリーナを友として大切にしてくれていた。
「……締まらないな」
「まあ、カロリーナだから」
今日は早く帰って側にいよう。カロリーナの気の抜けた笑顔が見たい。