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瞼に明るさを感じて、うっすらと目を開ける。天井の様子から、ここが自分の部屋ではないことが分かる。
「あら?」
とりあえず動こうと思うのだが、体がだるすぎて動けない。指一本動かすのも面倒というのは本当にあるんだなとぼんやりと思う。
「目が覚めた?」
穏やかな優しい声がわたしの覚醒を促した。
この声、あれ?
「え?キアン????」
「そうだよ。他に誰がいる?」
そう囁きながら、目じりに軽くキスをしてきた。抱き寄せられた体に、お互いが何も纏っていないことを知った。
「えええええええ??????」
「うん?」
まさか、まさか、まさか!!!!
驚きに真っ白になった。くすりと笑ったのはキアンだ。ゆったりとした手つきでわたしの髪を梳かし、毛先を持つとキスを落とす。その間、恐ろしいほど色っぽい視線を向けられているものだから、狼狽えてしまった。
「カロリーナ、真っ赤になって可愛い。昨夜は思っている通りだよ」
いつもなら、寸前で止まってくれるのに。最後まで致したの?本当に?
「どうして……?」
「君を愛したくて……我慢ができなかった」
他に何があるんだと言わんばかりの答えだ。
でも、それって答えになっていない!襲われたのと同じじゃないか!!!嫌じゃなかったけど。
「今日は動けないと思うから、この部屋でゆっくりしているといい。俺は学園に行ってくる」
「あの、わたしも……!」
慌てて起き上がろうとしたが、全く持って無理だ。しかも、ありえないところが痛い。しかも、やってしまった証を思わず感じた。生々しい現実に、かあっと全身が赤くなる。
キアンはわたしが何を感じたのかを理解すると、嬉しそうに笑う。そして、唇にキスをした。朝の軽やかな挨拶のキスではなく、深く息を止めるほどのキス。
キアンがようやく顔を上げた頃にはすっかり息が上がり、ぐったりとしてしまった。
「俺も休んでしまおうか。もう一度愛し合いたい」
そう言いながら手が不埒な動きを始めた。優しくお腹を撫で上げ、そのまま胸に指が伸びる。
「学園、行った方が!今日は確か大切な授業が……!」
「そうだな」
同意しているなら、手を止めて!
そう叫びたかったが、すぐに唇は塞がれる。今回はすぐに離れた。
「今日はここにいるんだ。帰るなよ」
「でも」
「誰も近寄らないように言っておく。用があればベルで侍女を呼べばいい」
ようやく離れてくれた。キアンは裸のままベッドを降りると、落ちていた夜着を拾い、それを羽織った。何だか遠くに行ってしまいそうな感じがあって、つい彼の名を呼んでしまった。
「キアン」
「すぐに帰ってくる。大丈夫、先生には伝えておく」
先生に伝えて?
え、何を???
もしかして、わたしの貞操の状況ですか?
もう一度キスをしてからキアンは部屋を出て行った。一人残されたわたしは、しばらくの間、呆然としていた。
******
どこでどう間違っているのか。
今までとは違う展開に正直どうしていいかわからない。いつもなら、こんなにも親密にはならないし、もっとギスギスしている。
やはり手を抜きすぎたことしか考えられない。大体において、慣れた頃に失敗はするものだ。初心は大切だという先人の言葉は正しい。ここ何回か、この調子で適当に過ごしていたし、勘当後の生活の充実を図っていたから失敗するなんて思ってもみなかった。それが油断に繋がったのかもしれない。
これはダメだ。早く、補正して悪役令嬢を全うしなければ。わたしの悪役令嬢歴に傷が残る。
でも、もうイベントは過ぎてしまった。昨夜のワインは掛け損ねて自分がかかってしまうし。それによって何かの火が付いたキアンには美味しく頂かれてしまった。
次のイベントは何だったかしら?
主なイベントは代表的なものは3つだ。夜会での華麗なるワイン掛け、教科書の破損に、階段落ち。このうち、教科書の破損はすでに噂を流しているから何かをするつもりはない。あることないこと、小鳥たちが囀っていたことを確認している。
残るは……階段落ちか。
あれはちょっとなぁ。あまり気が進まない。できれば、教科書の破損と同じように噂だけ飛ばして現実味をつけようか。
まだ悪役令嬢初心の頃は真面目にやっていたけど、なかなかタイミングが難しいから実現する難易度が高い。しかも、完璧を求めるなら、階段から突飛ばせるタイミングで、キアンに見せないとダメなのだ。
繰り返し人生の中でも、これを完ぺきにこなしたのは本当に数えるほど。だから、大抵は噂だけで済ます。努力と労力の割にはとても成功率が低いのだ。
ワイン掛けが成功していれば、こんなにも悩むことはないんだけどな。
思わずため息が出た。やはり昨日の失敗が一番痛い。挽回策が思いつかず、胃が痛くなりそうだ。こういう想定外の出来事に弱いのはいつものことだが、今回は本当に本当に行き詰まりだ。
やっぱり階段落ちか?
それしかないのか。
気分を変えたくて、そっと体を起こしてみる。大分、体が楽になっていることに気が付いた。ほっと息をついて、ベッドからおりる。何だか体がべたべたしているので、そのまま浴室へと入っていった。
「う、そ」
浴室の鏡を見て愕然とする。病気じゃないかというくらいの鬱血痕。胸や腹、それに腿にまである。鏡を見ながら、自分の体の痕を指でなぞった。
これだけ執着を見せて愛してもらったのは長い悪役令嬢生活で初めてだった。
今回のキアンはわたしにいつも熱いまなざしを向け愛している、と囁いてくれる。わたしが勘違いをしてしまいそうなほど。つい諦めかけていた恋心が愛して欲しいと疼いてしまう。
わたしを見て。
わたしをもっと愛して。
欲張りな気持ちはどんどん溢れてきてしまう。でもダメだ。わたしは悪役令嬢なのだから、きっと最後はいつも同じだ。気持ちが膨れすぎないように蓋をしないと。
でも。
それでも。初めて一時でも愛されたのだ。
嬉しさに笑みが零れる。愛された痕を辿り、そっと下腹を両手で温めた。
「ここにもしかしたら子供ができているかも」
そうだ。最後の一線を越えたということは、子供ができているかもしれない。子供のできた自分を想像した。可愛い彼に似た子供。男の子だったらきっと生意気になるだろうし、女の子であったら信奉者が沢山、出来るはずだ。
「うん、いいかも」
ぽつりと呟いた。今までの繰り返しの中では、彼に愛されて子供を持つなどあり得なかった。
だけど今回。
断罪された後、わたしと彼の子供が手に入るかもしれない。
ただ、侯爵家の血を引く子供になるから、取り上げられるか堕胎させられる可能性がある。
「一人じゃないなら、いつもと同じ準備ではダメね」
首を左右に振り、とりあえず体を温めようと浴槽に入った。
ゆったりと温まりながら、これからを考える。これからを、と思いながらも気持ちはすぐにキアンに向かってしまう。
愛し愛されるのって、こんなに素晴らしいんだ。幸せすぎておかしくなりそう。この記憶があればこれからも何百回と繰り返していけそうな気がする。
……いや、無理。
次の人生で元に戻ったら本当に心が折れそう。