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 あ、まずったかも。

 ちょっと手を抜きすぎちゃったかな?


 グラスからスナップを利かせて、口のつけていないワインを彼女、エリザ・デイビス男爵令嬢のドレスの裾にぶちまける予定だったのに。


 ちょっとした手違いで、彼女が何故かぶつかってきた。その結果、わたしが手にしていたグラスが傾き、わたしのドレスが濡れた。


 ドレスが汚れた瞬間、笑いさざめいていた会場は急にしんとした。きっと、ワインが零れるその様がよく見えたのだろう。もちろん、夜会なのだからワイングラスを持っていたことは不自然ではないし、わたしがスナップをどう利かせようか、まだ行動に移さず考えているタイミングでぶつかってきたのだから、周囲からはどちらかというとわたしがワインを掛けられたように見える。


 これって、どういうこと?


 ちょっと不機嫌に眉を寄せた。ただ、不幸なことに、わたしの顔はちょっと童顔。18歳の割には目が大きすぎるし、少し目じりが垂れている。だから不機嫌に見せたいのに、不機嫌というよりは泣きそうに見えてしまう。


 ……不本意だわ。


「カロリーナ!」


 驚いて側にやってきたのは、婚約者で今夜エスコートしてくれたキアン・ガルシアだ。先ほどまで主催者の伯爵と歓談していたが、騒動の中心にわたしがいることに気が付いたのだろう。キアンは素早くわたしとおたおたとしているエリザを見て、状況を理解したようだ。


「どういうことだ?」

「いや、あの、わたし」


 エリザは歯切れ悪く、言葉を重ねる。ただ、全然言いたいことは伝わってこないが。


「キアン様」


 そっと彼の腕に手を乗せた。上手くいかなかった怒りのあまりに手が震えている。

 ここはわたしがエリザに華麗にワインをひかっけて、キアンの怒りをわたしに向く予定だったのだ。


 何故、立場が逆転しているの?


「ああ、すまない。カロリーナ、すぐに帰ろう。主催者の伯爵に少し事情を話せばわかってくれるよ」


 優しく微笑むと、そっとわたしの肩を抱いた。エリザはキアンの態度に愕然としている。


「キアン様!実は、カロリーナ様はわたしにぶつかって……!」


 うわおう。勇者だ。これだけの目撃者がいるにもかかわらず、わたしを悪役に仕立てたか。

 ちょっと無理かな?仮にわたしが彼女の立場だったとしたら、その選択肢は選べないわ。だって、確実に嵌めようとしているのがわかってしまうもの。

 ほら、ちょっと周りを見て?

 扇の下ではカロリーナ陰謀説よりもエリザ陰謀説が語られているわよ?


「それに、カロリーナ様はいつも学園でわたしにひどい意地悪を……」

「それはないな。カロリーナは常に私と一緒にいる」


 キアンはますます機嫌が悪そうだ。

 やだな、キアン機嫌が悪いとしつこいのだ。夜のいちゃいちゃが。最後の一線は結婚するまで待ってとお願いしているけど、かなりつらい状況まで追い込まれる。今夜、ちゃんと寝られればいいけど。できれば、屋敷に帰って一人反省会したい。

 無理かな?無理だろうなぁ。かなり怒っているし。


「キアン様」


 そっと彼の名を呼んで、上目遣いで見つめた。潤んだ瞳に見つめられて、キアンはエリザを放置することに決めたようだ。


「さあ、行こう。ドレスも汚れてしまったな、可哀想に。また新しいものを作らせよう」

「折角、キアン様に見立ててもらいましたのに」


 しゅんとして見せると、その場を後にした。


「あの女、目障りだ」


 少し乱暴な足取りで歩いている時にぽつりと呟いた言葉は多分わたしに聞かせるためのものではない。思わず、といった言葉だ。彼も声に出ているとは思っていないだろう。

 だから、わたしは全力で聞かないことにした。


 本当にどうなっているの?

 わたしが手を抜きすぎたのかな?



******


 わたしはこの世界にはなくてはならない、とっても重要な人物なの。

 この世界を生まれてから死ぬまで何度も繰り返している。


 何度も、って言っているけど、一度や二度じゃないわよ?

 聞いて驚かないでね、わたしは100回以上、カロリーナとして生まれて、カロリーナとして死んでいるの。100回を数えた時にもう数えるのはやめたわ。あ、薄幸ではないわよ?だって、大体40歳くらいまでちゃんと生きているから。


 ちなみに、ヒロインではないわ。わたしの役どころは、悪役令嬢ってやつなの。驚いた?

 わたしは伯爵令嬢で、キアンは侯爵嫡男よ。身分もなかなかいいでしょう?


 7歳でキアンと婚約、17歳まではラブラブ、18歳で学園に編入してきた先ほどの男爵家の庶子であるエリザにキアンを奪われて、嫉妬のあまりにやりすぎて婚約破棄、そして勘当と。今は、彼女と出会って半年といったところね。


 いつもいつも同じ。初めは嫉妬のあまりに嫌がらせやらなにやらやったけど、回数を重ねるごとに面倒だし飽きちゃった。自然とね、手を抜くことを覚えたの。


 心配しなくても大丈夫。手を抜いたって物語は進むし、ポイントを押さえておけば余裕よ。悪役令嬢なんて。

 嫌がらせなんて実際しなくても大袈裟に噂を流せば、それっぽく見えるし。もともと嫌がらせには証拠なんて、あってないようなものだわ。裏を取ろうにもみんな、そうみたいよ?みたいなふわっとした内容が大半だもの。

 あとは、夜会とかでの華麗なワイン掛けと学園での罵りパフォーマンスがあれば信憑性が増すのよ。これはわたしが30回目で体得したのよ。狙った位置に素早く引っかけられるの。最初の頃は下手糞で、自分も汚れっちゃったり、全然ひかからなかったり、それなりに落ち込むことも多かったのよ。


 今夜もぜひ、わたしの華麗なワイン掛けを披露したかったわ。


 だから、ちょっと今回は困っている。


 どうして今までのように上手くいかないの?

 もしかしたら、手を抜きすぎて盛り上がりがかけるのかしら?



「カロリーナ」


 物思いにふけっていると、そっと馬車の中で名前を囁かれた。広い馬車なんだから、向かいの席に座ってもらいたいのになぜかわたしは彼の膝の上。


「キアン様」

「名前、様はいらない」

「キアン……」


 彼の瞳を見返して、ほとほと困った。ぎらぎらと獰猛な雄の目をしているのだ。まだ帰りつかないのに。


 どうしたらいいの?


 今頃なら本当は、不機嫌そうにしていて話もしない雰囲気なのに。今までだってキスくらいはしていたけど、触れるぐらいの軽い物だった。なのに、現在は大分アウトの領域まで関係が進んでいる。かろうじて乙女なのよ。正直、全身隈なく手と唇で愛されて、乙女だなんて言い張るのはかなり微妙だけど。


 でもよく考えてみたら、最後は勘当されてしまうんだから彼と最後までどうこうなってもいいのよね。


「カロリーナ、あの女には近づくな。嫌な感じがする」


 彼女に手を出すな。


 いつもならそう絞り出すような、憎々しい言葉を告げるのに。今はわたしを守るように心配そうに告げてくる。


「約束だよ」

「ええ、わかったわ」


 ひえええ、約束だよ、が出ちゃったわ。このセリフが出てくる約束事は絶対に破っちゃいけない。破ったら、大変なことになる。

 主にわたしの精神状態が。


 一日中、彼の膝の上に乗っているか、抱き上げらえているかになってしまう。すでに学園内では有名な話すぎて、話題にすらならないほどよ。この状態のわたしを見たら、大抵の人はあれ、今度はどんな約束を破ったの?みたいな顔になるくらい。

 幼馴染のマクシミリアン王子だって、伯爵子息のダニエル・バークだって、皆、苦笑いよ。誰か止めてよ。本当に。

 キアンは平然として、いつもと変わりないだろうとしれっとしているだけだ。恥ずかしいのはわたしだけ。


「わかってもらえて、よかった。……ドレスの代金は男爵家にでも請求するか」

「そこまでしなくても。彼女だってわざとじゃないでしょうから」


 そう、彼女はわたしにワインを掛けられたくてぶつかってきただけ。下手糞だけど。勝手に動かないで欲しいわ。予定通りに行かないとイライラするから。


「こっちに集中して」


 ちゅっとした唇を吸われた。手が怪しい動きをしているが、止めない。なんだかんだとずっと一緒にいるんだもの。

 やり直しの回数×18年。


 本当は大好きなの。

 本当は彼と添い遂げたいわ。


 ……きっと叶わないだろうけど。


「キアン、大好きです」


 だから、仲がいい今だけ。今だけはちゃんと気持ちを伝える。キアンは少し顔を起こすと、じっとわたしを見下ろした。


「ああ、俺も愛しているよ」


 すぐに噛みつくようにキスされた。

 そのキスに翻弄されながらも、心の中で神様にお願いする。


 この愛されている時間をできるだけ長くしてください、と。

 わたしがキアンを愛していたことを彼の心に刻んでください、と。




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