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豆腐SF  作者: 土着信仰
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三話 雪花菜

 奇声を発して大豆畑から突っ込んでくる一人の狂戦士。

 それは当然、少年の想像するような、オークでも魔獣でもない──

 それは人外の敵ではなく人間だった。





 彼は自ら豆腐教の禁忌を破り、やけくそのように銃剣を構え、まだ青い大豆を踏み荒らし、真っ直ぐにニクスに突進する。





 その若い兵士の名を不切きらずと言った。














 信仰が揺らぐと、弱くなる────











 不切は、彼の家系で初めて日本語の名を持ち、日本語を学んだ世代にあたる。

『宗教革命』以降、この国では公用語として従来の大陸共通語に加え、宗教的公用語としての日本語が広く普及した。

 そのことに疑問を持つものはいなかった。だってそれは『原典に寄せる行為』だったから。





『原典に寄せる行為』。

 それは、神性あるいは聖性を持つ存在への信仰がそのままエネルギーを持ち、ときに物理法則すら書き換えるこの世界において、最も重要な宗教的行為である。



 個人の信仰がエネルギーを持つようにするには、まず、世界の神羅万象すべてに対して自らの篤信さを証明し続けなければならない。

 そして、この世界で最もメジャーな信仰の証明方法が、『原典に寄せる行為』なのだ。



『原典に寄せる行為』。

 それはもともと『宗教革命』によって豆腐教が国民・国家宗教としての座を占める以前の世界宗教であった『旧教』勢力が編み出した信仰証明行為である。


 当初の『旧教』では、儀式や修道に携わる聖職者を除いた、一般の信徒たちにとっての信仰証明は、聖職者への信仰告白と年に数回、教会主催の集団礼拝への参加のみだった。



 人間は生活に関わるものすべてに最適化と効率化を望む。例えそれが宗教であっても。



 現代日本人が自宅にいながらインターネット回線で金儲けをしたいと望むような感覚で、当時の信徒たちは教会に出向くことなく信仰証明をしたいと考えた。それは同時に、年に数回という頻度でしかできなかった信仰証明を自分のしたい時にいつでも可能にすることでもあり、それは当然自身から発生する信仰エネルギーの量を最大化するということでもあった。



 そう、宗教的行為の最適化。



 人々の救いであり心の拠り所である信仰は、エネルギーを生み出すという生産的概念としての側面を持つため、その側面の効率化と最大化を図る「信仰形態における」宗教改革が起こったのは歴史的必然であった。

 そして、その宗教改革によって誕生した信仰の最適化行為が『原典に寄せる行為』だった。




『旧教』の聖典の記述を踏襲した行為を行うことで自らの信仰を証明する。それは日常生活から文化的行為まで。


 夫婦は、使徒の名と同じ名を生まれてきた子供に与える。老婆は、聖典に記述されているものと同じ料理を作る。学者は聖典を記した言語と同じ言語で著作を著し、司祭は今までの当世風な正装を脱ぎ去り、村で一人だけ宗教画で描かれている時代と同じ様式の正装で着飾った。王侯は豪奢な建築で神話世界を再現した。

「此の国の人皆師に盲従する弟子の如し」という当時の日本人転生者の手記にある一文がその実情を簡潔に示している。




 やがて、『宗教革命』が起こり、いずれ後述する紆余曲折を経て、この世界の人々は日本人転生者の持ち込んだ豆腐をはじめとする大豆製品や大豆を信仰の対象とするようになった。



 しかし、この新宗教には問題があった。

 信仰の対象が新奇な外来物であることだ。



 この世界に普及して日の浅い大豆には、神話としての歴史と聖典が存在しなかった。あるのはただ実体のみ。

 そのため各家庭で大豆を礼拝する行為は見られても、生活しながら信仰証明の可能な『原典に寄せる行為』は初期豆腐教において見られなかった。


 必然的に豆腐教は信仰エネルギー生産効率と生産量においてそれまでの旧教に劣ってしまう。そして、エネルギー生産の減少は必然的に社会の停滞を招く。



 こうして、豆腐教に旧教の風習である『原典に寄せる行為』を行わなければならないという必然が生まれた。

 だが、豆腐に寄せるべき原典は無い。




 そこで、豆腐教首脳部は『豆腐の由来した文化』を豆腐教の『原典』と為し、元来の文化を日本文化に書き換えるだけで『原典に寄せる行為』を可能にした。


 いわば、自発的被文化侵略。いわば、信仰の最適化。


 中世ヨーロッパ風異世界、と多くのなろう作家たちが形容したであろう風景は、多くの日本人転生者たちの協力を受け、急速に明治期の日本的異世界へと変貌した。

 農村には土間付き藁ぶき屋根の家が立ち並び、地方有力者の家は瓦葺き屋根の屋敷になった。主要言語は日本語に切り替わり学者たちは漢籍を学び、司祭は袈裟や水干を着た。騎士道は武士道になり王侯は近代西洋を模した東京を模して都市改造を行う……。




 それらの効果は凄まじかった。文化が存在するだけで信仰エネルギーが得られるのだから……。





















 話を戻そう。不切の名は『原典に寄せる行為』によって名付けられた。

 彼の名は豆腐に関わりある日本語で名付けられたもの。

 彼の兵士としての服飾はたすき掛けした和装。


 多くの豆腐教徒と同じように、彼は存在そのものが『原典に寄せた』もの。本人が敬虔な豆腐教徒ということもあり、彼は生きながらにして信仰エネルギーを生産、使用して宗教戦士としての能力を底上げしていた。



 だが、彼は偶然とはいえ、大豆畑に飛び込んだニクスに刃を振るい、信仰の対象であった大豆を傷つけてしまった。

 この行為により彼は同僚たちから信仰を疑われ、信仰証明に難ありとみなされてしまった。

 また、不切自身にも神を自分の手で傷つけたという罪悪感はある。

 いわば、信仰の危機。

 いわば、信仰における葛藤。



 彼はニクスを彼自身の手で殺せば、これらの苦しみから救われただろう。

 だが、現実は非常だった。



 僧形の司祭兵は撤退の法螺貝を吹き鳴らした。

 自分の犯した罪は償えない。この事実が胸に突き刺さる。

 もし彼がこのまま帰還しても待っているのは神に刃を向けた男へ投げかけられる周囲からのあらゆる侮蔑であり、信仰証明の重大な危機によって低下した信仰エネルギーの生産量では、自分の身体能力以上の戦士たることはできないだろう。

 退けば地獄、である。

 ならば、最後の信仰証明しかない。



 仇敵に一太刀も浴びせず背を向けるなど、武士道に反するのではなかろうか?

 そう、これは武士道であり『原典に寄せる行為』。

 そう思うや否や不切は一人隊列から飛び出し大豆畑に飛び込んだ。



 不切は走る。背丈よりも高い大豆たちを掻き分けて。それが、武士道。

 この大豆はみな、人々の信仰の対象になり、国家が信仰エネルギー農法の確立を支援したことで圧倒的な成育を遂げたもの。いわば、人々の思いの結晶。

 武士道、踏みにじる。

 遠くから自分を呼び戻そうと絶叫する同僚の声が聞こえる。いわば、最後の縁。

 武士道、踏みにじる。



 足を踏み出し、大豆を踏みにじる度に自分の心も踏みにじられる感覚がした。

 武士道、これでいいのか?







 ────信仰が揺らげば、弱くなる。







 既に彼の宗教にとって消えがたい罪を犯したことに加えて、そこから自らの信仰が揺らいだことで体から多量の信仰エネルギーが抜け落ち、身体機能が低下、足取りが重くなる。



 それでも、止まらない。



 なぜ?不切は考えた。

 頭痛がする。視界が狭まる。その中で、彼は最も彼らしい答えにたどり着いた。



「殺そう」

 誰を?あの女を。それが、俺の生きる最後の望みであり、最後の信仰証明だから。

 神のために、神敵を殺す。そのためには、止まれない。




「神よ、我は神のために死なん!!!」

 武士道、叫ぶ。信仰エネルギーが、また体内を駆け巡る。

 大豆畑を駆け抜けて、ただ一人の敵を求める。

 見つけた。女。まだ、子供?いや、神敵。殺す。



 不切は、銃剣付きの村田銃を大上段に振り上げて叫んだ。全てをこの一撃に叩き込む。





「武士道──────ッ!!!」





 必殺の一撃が、放たれる。






























 少年は、突如現れた和装の兵士の言葉に驚愕する。『武士道』。間違うことなき日本語であり、日本語の概念。

 それに、少女の頭上で振り上げられているものは……銃?



「危ない!!!!」

 少女に向かって叫ぶ。この声は届いたのだろうか?




 そうして、事態は進展する──


























 ニクスは、冷静だった。

 拳銃を右手に持つが、両手は下げたままで不切に向けることはしない。

 銃剣が、稲妻のごとき速さで振り下ろされる。だがニクスは、動かない。



 このとき、両者の持つ信仰エネルギー量はほぼ同じ。不切の保有する信仰エネルギー量は多少持ち直したとはいえ宗教的禁戒を犯したことでかなり目減りしているし、ニクスの神は宗教革命時に零落してしまったため、いくら信奉しても得られる信仰エネルギーの総量に自ずと限界がある。


 手持ちの信仰エネルギーで底上げできる身体的ポテンシャルが同程度となると、お互いの本来の身体能力勝負になる。こうなれば所詮一人の少女に過ぎないニクスよりも、訓練を受けた兵士である不切のほうが有利のはずだ。

 ニクスの脳天に一撃が叩き込まれる。




 刹那。




 ニクスは、銃を手放した。

 唯一の武器である銃は当然重力に従いニクスの手を離れる。

 そして銃が地面に落ちるより早く、

 ニクスは、躰を"捌いた"。





 身体の位置を相手の攻撃線から逸らす。そうして相手の死角に入り込む。

 銃剣が振り下ろされたが、ニクスには当たらない。


 ここからは師相手に何度もした動き。


 神速の速さで銃剣を掴む。反射的に相手は力を込めて握り返す。一瞬の動揺を見せた相手の視線とニクスの視線がぶつかった。

 その一瞬で上等。



 相手と呼吸を合わせ、相手のかける力の方向を読んで逆利用、予想外の方向に力をかけ、重心を崩す。最小の動きで相手の体勢を最大まで崩すとそのまま銃剣をひねり相手を投げる。

 相手は無様に転がった。


 だが、ニクスは止まらない。


 師は私に言った。お前は見てくれが繊細なくせに大事な時に粗雑だ、と。

 だから、きちんと詰める。



 相手は銃剣を手放している。武器はこっちの手の中だ。

 起き上がろうとした相手の目前に銃床を突きつける。相手は起き上がれない。


 詰めた。




 ほうっ、と息をついた。


 "合気"。

 師でもある日本人転生者の祖父直伝の技。


 彼女は豆腐教に今なお迫害されている『旧教』を信奉しているため、豆腐教の『原典に寄せる行為』に類するこの武術を使っている間は『信仰エネルギー』の恩恵を受けられない。


 しかし、彼女はこの武術を好んでいた。だって、信仰エネルギーが得られない代わりに相手の物理エネルギーを利用するという発想は彼女の住む世界には珍しく、面白いものに思えたし、何より祖父の教えてくれたものだったから……。



「宣ずる。私の名はニクス・フリーギドゥス。貴方達が貶めた神と神への信仰を守護する『信仰の守護者』なり」




『原典に寄せる行為』だけが信仰証明ではない。自らの名、信仰対象を世界に向けて宣言する信仰告白も信仰証明の一つである。

 彼女は、これによって合気道の使用で一度止まった信仰エネルギーの生産を再開させた。






 地面で転がっている不切に、打つ手はない。

「女、殺せ」

 不切は呻いた。なぜなら、殺されることが彼にとっての武士道だから。


「断る」

 ニクスは、銃床で不切のみぞおちを突き、不切を「落とし」た。

 普通に考えれば、殺すべき状況だっただろう。この場合、殺したら異教徒を殺したということで多大な信仰エネルギーを獲得できた可能性が高い。


 だが、ニクスはそうしなかった。

 一つは、彼女の後ろにいる日本人転生者の少年に、血を見せるのをためらったからであり、もう一つは、何よりもまずニクス自身人を殺したことがなかったのである。


 彼女に人を殺す勇気はなかった……。






















「マイ」

 ニクスは少年に呼びかけ、振り返る。ここからは使用言語を日本語に切り替えて、気弱そうな少年を落ち着かせ、意思疎通を確立させねばならない。だが──

 手遅れだ。そうニクスは思ってしまった。


 少年は、怯えていた。

 そう、つい先ほど大の大人に技をかけ、気絶させたニクス自身に。

 少年は、ニクスに対する少しの恐怖と大きな警戒の表情を隠そうとしない。

 何か、話さないと。



 突然、少年は後ずさった。それは、自分が知らず知らずのうちに少年に一歩踏み出してしまったせいだと気づいたのは、少し後だった。


 落ち着いて。話を聞いて。私は、貴方の味方。警戒を解いて。


 伝えたい思い。でも、頭がこんがらがって日本語にならない。

 どうしよう。目の前の少年は怯えたままだ。

 こんなとき、私はどうすれば……。





 ともかく、沈黙はまずい。

 そう思って意を決した彼女は、先ほど目の前の少年がしたようにジェスチャー交じりの片言の日本語で喋ることにした。


「マイ、私は」

 手をブンブンと振る。むやみやたらと腕を振り回すだけ。そこに意味は発生しない。

 ジェスチャーさえ、自分の思い通りにならないのか、と歯がゆい思いになった。


 その一瞬後、


 しまった。と思った。


 ニクスは、手に銃剣を持ったままだった。

 少年を、手に武器を持ったまま見つめていた。少年に向け、武器を振り回しながら語りかけていた。

 少年が怯えて当然である。



 慌てて手にしていた武器を捨てるが、もう遅い。

 顔を真っ青にした少年は、一目散に駆け出していた。




「待て!」

 必死になって絞り出した日本語。それは強い命令形。



 逆効果。少年は一度ピクリと肩を震わせて、そして、速度を上げた。




 背中がどんどん遠くなり、闇に紛れていく。


 言葉を、かけないと。


 でも、何を。わからない。



「マイ!!」


 叫ぶ。

 だってそれが、貴方の名前でしょう?


 だけど、届かない。


 やがて、少年の背中は見えなくなり、大豆を掻き分ける音も、聞こえなくなった。




 ニクスは、そのあともずっとその場で立ち止まっていた。

 昏倒した兵士と彼女一人、大豆畑の中。

 蒼白い月明かりは照らす。寂しげに、冷たく。




「日本語って、難しいなあ……。」

 私はこの言葉を日本語と大陸共通語のどちらで話したんだろうか。

 そんなこともわからなかった。









 遠くから、「マイって何なんだよ」と叫ぶ声が聞こえてきた気がした。



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